
昨日は父と母は朝からマジックの発表会で、ド派手な格好で出て行きました。私は昔からマジックには興味がないので、いつも留守番をしています。
父の知り合いは当然マジックの関係者が多く、いつも変わった名前の人から年賀状がいっぱいきます。キードンとか、サミーさんとかアクアさんとか。トランプマンから電話がかかってきたこともあります。おばあちゃんのお葬式の時に、あまりにも風変わりな格好の人たちが大勢きたので、その度に親戚のお姉さんは笑いをこらえるのに必死でした。真っ黒な髪を腰まで伸ばしたおじさんとか、ものすんごいパンチパーマの人とかです。みんな派手です。
夜の七時半頃に、両親は騒がしく帰って来ました。手に大きな花束と、お菓子と風船をいっぱい持って。こういうときは楽しいなと思います。家中に不可解なマジックの道具が転がっているのは面倒くさいですけど。

親が持って帰って来た風船を、部屋に飾ってみました。サーカス小屋みたいにかなり楽しげな部屋になりました。でも数秒後に、風船が放つ強烈なゴムの匂いに耐えられなくなって外してしまいました。
親の知り合いの方々からはよく「どうして娘さんはマジックをやらないの?」と言われますが、私と父は別の人間なのだから興味が異なるのは普通の事です。でもたまに、自分もマジックが好きならよかったのになあと思う事もあります。最近若い弟子ができたようで、すごく父は楽しげです。よかったです。

この、なんだか人をイラっとさせるメガネは私が初めて作ったメガネです。確か7、8歳くらいだったと思います。当時視力はすでに0.2くらいで、早くから私は近視児童として生きておりました。でもなぜかそのとき自分の周りは空前の近視ブーム(?)で、近視=かっこいい、みたいなふざけた風潮があったのでした。(ちびまるこちゃんで、骨折して三角巾をつけている生徒がなんかヒーローに見えるといっていたのと同じ現象です。)他と違う事がなんだかかっこいいと思っていたのでした。
だからやたら「ニセ近視児童」も出回っていたと、私は思います。どれだけ自分は目が悪いか、といった自慢話をする子もいたくらいでしたから。アホな現象が大真面目に繰り広げられているのが子どもの世界です。そういうヒーロー性重視ないきさつにより、この星がきらめくトンチンカンメガネになったわけです。
そのあともちろんこんなメガネをずっとつけていたわけではありません。4年生の時に転校をしたら、キャラの設定が狂ってしまい恥ずかしくてこんなメガネつけられなくなってしまいました。その後何度もメガネを変えて、ついに20歳でレーシック(近視矯正手術)を受け、メガネとの生活は終止符が打たれたはずでしたが、近頃夜の運転が見えなくなってきました。そしたら!なんとこの初代メガネがぴったりと度があったので、しばらく夜の運転の時はお世話になっていました。誰にも見られないように細心の注意をはらいつつ。(案外今流行ってますよね?このデカフレームメガネ)

メガネの話をし始めたら、案外途方もなく長くなりそうなので、あっさりさせよう。そう、それであの初代メガネにいつまでも頼る訳にはいかないので、最近新しくメガネを買いました。そのメガネがこの上の写真です。最近「エアフレーム」で有名になったJinsというメガネ屋さんで買いました。お店はお客さんでいっぱいで、とてもはやっているようでした。
やっとあのCCB状態から抜け出せると思ってルンルンだったのですが、いざ夜のドライブ中に掛けてみるとなんだか酔う。フレームがスリムすぎて、上下の景色がフレームから飛び出て見えるぞ??まさかの3D。そんなオプションつけた覚えはないのに。
そうして、また私はCCBメガネをかけなおしたのでした。落ち着く〜、この安定感。

12日の金曜日に地震があって、次の日の13日は大阪でおばあちゃんの一周忌がありました。大阪に行く車の中で、テレビをずっとつけてみんなでニュースに釘付けでした。その途中で、関東方面に行く大量の消防車が走り抜けて行きました。地震の被害がなかった私達の地域では、その映像が日本の事ではないような気がして、現実のこととも思えませんでした。
大阪は天気が良くて平和そのもので、お坊さんのお経を聞いていましたが、おばあちゃんのことを偲ぶとともにやはりみんな地震のことを心配しています。阪神大震災のとき、「ティーカップがたくさん割れた〜」といっておばあちゃんが騒いでいたのを思い出しました。
天災は、誰を恨めばいいのかもわからなくて、どこに怒りやくやしさをぶつけたらいいのかわからなくて、涙がどんどんでてきます。それとともに、被災地の人たちが一生懸命お互いを支えようとしていて、どんどん涙が出て来ます。
おばあちゃんの一周忌に、こんな大地震が起きるとは思わなかった。でも、この日に産まれた赤ちゃんだっているんだものね。
自分にできることをしよう。

勤務している中学校の卒業式がありました。今年卒業するのは29名。人数が少ないので、その分みんなとても仲が良い。黒板の落書きも人数が少ないせいかシンプルです。下に散らばる紙吹雪を見て教頭先生が怒っていましたが、夕方なんと卒業生が掃除をしにきたらしい。なんという偉い子たちなんだ!
普段私は美術室にしか居ないので、普通教室に入る機会はほとんどないのですが、なんともウッディーな教室ですね。毎日山小屋気分。
卒業式なんて何年ぶりだろうと、楽しみにしておりました。自分が生徒の立場ではなく教員ブースから眺める事になろうとは思いもしませんでしたが、気持ちは生徒とあまり変わりません。緊張して壇上に向かう校長先生の後ろ姿を見守るくらいです。私が中学生の時の卒業式というのははっきりいって苦痛でしかなく、二時間同じ姿勢で、しかも静粛に礼儀正しく座っているというのは永遠とも思える時間でした。ちょっとでも私語をしようものなら、頭をふらつかせようものなら、めちゃんこ怖いK先生がすっとんできて頭をはたかれたものでした。起立のタイミング、礼のタイミングを全員合わせる為に何度もやり直し、今思えば北朝鮮となんら変わりない光景だったように思えます。
最近の卒業式はそうでもないみたいですね。在校生はかなりリラックスした姿勢で座っていましたから。
答辞を読む場面になり、やんちゃだけれど優秀なM君が壇上にあがりました。私は心の中で「M君が泣くはずはない」と思っていましたが、さすが器用なM君は昨日担任の先生に「オレが泣かな、やっぱあかんのやんなあ。頑張って泣くわあ」とぼやいていたそうです。答辞の後半、まさに山場という場面でさわやかにすすり泣くM君。うまい!うますぎる!それにつられて泣く生徒続出、先生も泣く!みせます、M君。私はM君に泣かせられたというより、担任のW先生が目頭をおさえたあたりでもらい泣きを無事に果たす事ができました。
ただでさえ生徒数の少ない学校ですが、明日からちょっと寂しくなります。

今年もやってまいりました、確定申告の時期が。我が家は私と母がある意味自営業なので、かなり大事な作業となって来ます。6年前まで確定申告という名前すら知らずに、アルバイト先からいただいた「源泉徴収票」というめちゃくちゃ大事なものを紙くずだと思って捨てていました。無知って恐ろしい。
今はパソコンでちゃちゃっとできるみたいですが、アナログ親子の私と母は、必死に下書きをして清書して電卓をはじきました。母は確定申告が大好きで、毎年頭をかきむしってやっていますが、楽しそうです。達成感があるみたいです。私は小さい頃から学習障害と疑われた程に数字に弱く、今回も目眩を起こしながら母に隣でつきっきりになってもらいました。
小学校から中学校まで私があまりにも算数や数学ができないので、恐れを抱いた母は私を塾に入れましたが、それでもできないので毎晩くらい母と算数をやっていました。どれくらいできなかったかというと、まず時計が読めなかったのです。小学校4年生で時計が読めないってけっこうギリギリですよね、、、?なのでおもちゃの時計を読む練習を、毎晩泣きながらしていました。確か分数が全く理解不能で、テストは全部ずる休みしたのを覚えています。小学校のテストでゼロ点なんて取ったら、多分やばいことになると思っていたのでしょう。他の教科はとどこおりなくできていたので、軽い学習障害だったのだと思われます。よく考えると、今までよくも何食わぬ顔で中高大学と進んでこれたものだと自分自身に疑いの眼を向けています。
でもそんな私ももう29歳ですよ。逃げてばかりはいられません。お金のことはこれから一生ついてまわる大問題です。これからはちゃんとお金の勉強をしていくつもりであります。手始めに漫画でわかりやすく、、、学ぼうということで「誰も教えてくれないお金の話」という本を読みました。
結論からいうと、「知れば知る程恐怖はなくなる」ということだと思いました。昔塾の先生が「君たちが勉強をするということは、君たち自身が自由になるためにすることなんだよ」と言ってくれたことで私は勉強するようになりましたが、きっとすべてはそれと同じ事なのです。知ることで人は自由になれるのです。そういうことで、つまり人生は一生勉強です。
って毎年確定申告の時期に誓ってるんだけどな。