ShihoSeji Blog

イラストレーター瀬島志保子のブログ
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憎みきれない。

カメムシを知っていますか?くっさい虫です。秋口から冬にかけてあらゆる場所で見かけます。ヤングなやつは緑色で初々しさを醸し出していますが、アダルトなやつは茶色く、けっこう知恵者です。東京に住んでいた時は全然見かけなかったのですが、田舎の人々はカメムシとは濃厚な付き合いをせざるをえません。振り返ればやつがいる、的な存在なのです。カメムシの臭いは、他の物に例えようのない、カメムシの匂いです。でも敢えて何かに例えるなら、きっとよく効く薬草はこんな匂いがするのだろうな、という匂いです。

子ども達は教室にカメムシが出ると大騒ぎします。そして、自分の今までのカメムシ退治の武勇伝を誇らしげに話だします。オレんちはガムテープで一気取りだぜ、うちなんて瓶詰め攻撃だぜよ、とか家の数だけカメムシ退治の話があるのです。カメムシが一匹登場しただけで、みんなが騒いで授業ができなくなるので、教師泣かせの虫かもしれませんね。誰かが踏みつぶそう物ならもうその日一日美術室は呪われた教室のような扱いです。

ちなみに我が家ではティッシュでカメムシをつつんで、トイレに一緒に流します。カメムシの為だけにトイレの水を流すのはもったいないので、誰かがトイレに行くついでに一緒に流してもらいます。なのでそれまでカメムシが包んだティッシュから逃げ出さぬようにティッシュのさきっちょにアロエクリームの瓶を置いて逃げ出さないようにしておきます。(ちなみにこれはアロエクリームでなくてもいいです。当たり前ですが。トイレに置いてあるちょっと重いものであれば何でもいい訳です。)

トイレに行こうと思って、扉を開けたときにこのティッシュの包みがあると「やれやれ、私に当たったか」と思います。大量捕獲の時には3個くらいカメムシ包みが置いてあって、責任の重さを感じます。

それと同時に、生活することの、説明のつかないような滑稽な風景に私は幸せな気持ちにもなります。

カメムシは、振り返ったり、後ずさったり、寝ている振りをしたり、突然全力疾走したり、気分が良いと飛んだり、怒ると臭い臭い匂いを噴射させたり、「誰かがカメムシを踏んだ」と人を疑心暗鬼にさせたりするので、憎みきれない生き物です。

  • 2011年12月3日
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風邪を、、、。

3週間ぶりに風邪をひいた。3週間ぶりというのがまたうっとしいところで、私はつまらない風邪をよくひきます。ほんとーにしょうもなく、だらだらとちょっとだけ調子が悪いのが続いたりします。

いつもより少しだけ忙しかったり、季節の変わり目だったりするとまず喉がやられ、喉の痛みがなくなると咳が出て、さらさらの富士のわき水かと思うような透明度の高い鼻水が垂れ流されます。

かといって、「あたし、体弱いの。」という自慢でもなんでもなく、私は基本的に非常に健康な人間です。よく人に「何十人も子ども産みそう、それで自転車にいっぱい子どもを積んで走ってそうだね」といわれるくらい、健康そうに見えます

私が1番好きな漫画家である岡田あーみんと同じで、中途半端に体が軟弱なのですが、大病は絶対にしない、という細く長く生きるタイプの人間なのです。昔自分は絶対に病弱だから早く死ぬんだ、と悲観的になって占い師に見てもらった所、「あんたは相当丈夫だよ。長く生きるね〜〜〜。鉄の心臓だよ。」と言われて、度肝を抜かれたことがありました。私は昔から不整脈があり、毎年検査にも引っかかっていたので占い師に反論したりしましたが、「問題ない」といわれ、それ以来私は「死ぬのはだいぶ先の話だわ」と、夜道もあまりこわくなくなりました。病は気からって本当だよ。

反対に私の姉は、「もう風邪ってどんなんやったか忘れた」というくらい風邪をひかず、中学校でも「岩女」というような悲惨なあだ名をつけられるくらいに、風邪をひかない鋼の肉体を誇ってるのですが、私と違って大きな手術を2回もしています。彼女は普段健康なのをいいことに、無理をしたり不摂生をするので、ある日突然ドッカ〜〜〜〜ンと調子が悪くなるタイプです。母もそんな歩く爆弾のような姉をいつも心配しています。足も歩き過ぎで変形しているのです。

ちなみに今の姉の職場でのあだ名は「親方」です。小学校の頃は「ジャイ子」、姉のせいで私のあだ名は「ジャイ子2世」でした。田舎の男子は本当に野蛮でイヤでした。

 

 

 

  • 2011年11月27日
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かわいいセーター。

うちの母は最強に物持ちが良い。というか、思い出が捨てられない。私と姉の小さい頃の落書きから、通園バッグからランドセルから上履きから、小さい小さい靴下、小中高の時の授業のノート。うちのどこにどう隠してあるのか分からないけど、ベッドの下や押し入れや、我が家で唯一のクローゼットから突然引っ張りだして来ます。そうして「うちには収納スペースが全くない」といっていつも嘆いています。

この断捨離全盛期に、うちの母は明治生まれでもないのに物が捨てられない。でもそうやって突然私達の前に「小さい頃の思い出が色濃く残るもの」を登場させて驚かせます。私は母の捨てられない病のために、何度も小さい頃の自分を振り返る機会を与えてもらっています。

この写真のキャンディキャンディのセーターも、もうシミだらけで、人にも譲れないくらいボロボロですが、ずっととってあったもので、姉とお揃いなので2枚あります。これは、もう死んでしまったおばあちゃんが編んでくれたもので、セーターの左下に唐突に現れているキャンディが今見るとなんかおかしいけど、当時はちょっとした保育園のアイドルに成りえたセーターでした。

このパンダのセーターも、おばあちゃんの大作で、もちろん姉とおそろいで2枚あるのです。これはバックで、背中にちょこんとパンダのしっぽがついています。前部分はカーディガン風にボタンがついています。これも着ていくと、かなり大人達にもてはやされた記憶があります。それこそ20年以上の時を経て、今回再び目にしたこのセーターでしたが、これを着ていたときの自分の誇らしい気持ちがぶわ〜〜〜っと思い出されて、色んな物を捨てられない母に感謝の気持ちが押し寄せて来ました。もちろんこれを編んでくれたおばあちゃんにも。

家に置くスペースがないなら、それは仕方のないことで、断捨離は理にかなっている。身軽になって、頭がリセットされて、なんだか素晴らしい人生が待っているらしい。私も、片付け関連の本を買ってしまった一人だ。よしやるぞ、と思って腕まくりをしてから実は何にも捨てられない自分に愕然としてきた。

でも私にとっては、立ち止まって後ろを振り返る瞬間が必要なんだなあ、と思うのですべては人それぞれなんだ。うちの田舎の家は、いつもぱんぱんのままです。

 

 

  • 2011年11月23日
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曽爾高原へ行く。

とてもよく晴れた秋の日、オグと奈良にある曽爾高原へと行って来ました。

曽爾高原は、実は一度、私が中学1年生の五月に行った事がありました。新入生に「規律ある生活と5分前行動」を徹底させるために、私の母校では毎年5月に、過酷な3日間合宿をさせる習わしがあったのでした。私はそのとき、部屋長を任されていました。自分の部屋の生徒が5分前行動をするかどうかは、部屋長の責任ということになっていました。もし遅刻すると、恐ろしいキツネ顔の先生に怒鳴られるのでした。びびりやの私はたったそれだけのことが重圧で便秘になったりしましたが、おかげさまでとても想いで深い合宿となり、今でも「曽爾」と聞くと、ほこりくさい青いジャージで過ごした、ただ怒られるだけの3日間がありありと蘇るのでした。

私にとってはとても重要な3日間だったと思うのでした。

そこうしていたら、いつのまにか29歳になっていて、それなりに規律を守り、時には道を外れたりしながら再び曽爾高原を訪れる機会が巡って来たのでした。

最近の「山ガール」旋風にのって、高原はおしゃれなレギンスと最新のアウトドアグッズに身を包んだ若いもんから3歳児から乳飲み子から、濃い化粧で日傘をさしたおばちゃまやら、でっかいカメラをぶら下げたおじさんやら、グルコサミン漬けであろう老人会から、なぜかインターナショナルサークルの外人さんまで溢れかえっていました。万人を受け入れる曽爾高原。人が居なかったら、そうとう寂しげなこのススキが群生する高原に、めちゃくちゃ多種多様な人々が集っています。ハイヒールで手ぶらのギャルがいるかと思えば、首をかしげるほどの重装備で立ち向かう人もいて、その光景が異様で、なんだかすごくおもしろかった。

私とオグは、ジーパンにスニーカーにリュックサックというつまらないくらいに常識的な格好で登り、汗をかいたら一枚脱ぎ、ちょっと寒いと軍手をつけ、お弁当を広げ、ウェットティッシュで手を拭き、困る事は何もなく「ああ、あのとき曽爾合宿で鍛えられたから、私はこんなに準備よくとどこおりなくうまくいくのかしら?やっぱりあの3日間があってよかったわ。」と、つらかったあの3日間に想いをはせたりしていました。

なんとなく覚えてるよ、この急斜面。甘く見てるとそれなりにしんどい、でもがんばって行ってみようかなと思わせるこの急斜面。大人になってから見ると、こんなにも「ちょうどいい」山だったのか〜。

 

  • 2011年11月13日
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ちょっとまえに文化祭があった。

去年の文化祭とほぼ同じ光景。でも一個一個違うんです。私中学校美術講師、やっと2年目ですが、2年目だから分かる事がそれなりにある。それが何なのかって何なんだろう。同じ事をやっても、去年の2年生と今年の2年生では全然違う反応だったりやり方だったり、するんですね。当たり前なんだけど。

子どもの複雑さと、単純さに、う〜んとなる。人形のタイトル、今年はすごく面白くて「カダフィ大佐の部下」とか「エリザベス瀬島」(私をモンスターのように作っていました)とかレディーガガとか。結構冒険してくれてすごく嬉しかったのでした。

私は基本的になめられっぱなしですが、中学生の男子がふざけて超くだらないことをしている光景が、おもしろすぎて自分が見ていたいと思ってしまって、注意をしなきゃいけない場面なのに見ていてしまう事がある。そういうときは「しまった!!私は先生だった!!」と、我に返る。

でも注意したり、ちゃんと怒ったりすることはすごくエネルギーがいることで、怒る本人もすごく消耗する。だからそれをちゃんとできる先生は、私はとても尊敬します。それがなかなかできない自分は、とてもズルいと思うのです。怠け者だと思うのです。だからそれを私はできるようになりたいと思います。

「先生最近こわくなったよ〜。」って言われたら、しめた!と私は思うのです。

去年と同じようで違うんだよ。の絵文字。右下の「笑」ってう字とかとってもいいでしょう?「ここをこうすればもっとすごく良くなる」っていうことをすごく私は言いたいです。私自身の少ない経験ながらも得てきた、ちょっとした「うまく見える技」っていうのを、生徒が少し知るだけで、とても作品が良くなった気がしてやっぱりやる気がでます。そういうのを知る事が、私は中学生のとき楽しかったから。それが美術を好きになるきっかけだったりすると思うからです。

一昨日調理実習があって、私も補佐役で入りました。

「きゅうりを塩揉みする」ということについて、塩の分量がよく分からないとか。小口切りがべらぼうに遅いとか、ピーマンの種をどうやって取ったらいいか悩むとか。まずエプロンがずっと後ろ前反対だとか。ちょっと手が空くとすぐに余計な事をして遊ぶチャンスをうかがうとか。

一つ一つがイチイチおおごとになって、それが妙におかしい。初めての人に何かを教えるというのは、私にとってもイチイチ驚く事です。そして自分にも一つ一つ教えてくれた人が、たくさんいたなあと思います。そんでもって、まだまだ知りたい事が私にもたくさんあります。知らない事に対しては、みんな子どもです。

 

 

 

  • 2011年11月10日
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