
あれ?こないだおばあちゃんの誕生日をしたばかりだと思っていたけど、またおばあちゃん誕生日なんだ、、。ん?それとも敬老の日だったかな?とにかくよくおばあちゃんを祝っている気がする。このままのペースだとすぐに100歳を超えてしまうのでは。
私と母とおばあちゃんの3人だけど、ケーキは多い方が楽しい。私も本当はチョコレートのケーキがよかったけど、おばあちゃんはチョコレートが大好きだから、もちろんチョコレートのケーキを指差していた。私は母に「なんでチョコレートもう一個買って来てくれんかったん?」と騒ぎ立てる。
ということで、ケンカになるからケーキはみんなでつつきあおう、という話に。誰も若くないのに、誰もが大人げない。

プレゼントはお財布。これは鹿の皮でできていて、とっても柔らかいお財布です。おばあちゃん大喜び。よかったね。

突然まったく話を変えます。
こないだ東京に行った時に5年ぶりくらいに大勝軒のラーメンを食べました。新宿駅で「昼ご飯を食べねば、、、。」と一人さまよっていた私は、「大勝軒、すぐそこ」という看板を持って立っている兄ちゃんを発見。すぐそこなんだから行ってみよう、と思って矢印の方へ歩いて行きました。でも全然見当たらない。さまよった挙げ句に、また兄ちゃんの看板を確認しようと戻り、やっぱり間違いないとまた矢印の方へふらふら。でもやっぱり見当たらないからまた兄ちゃんの元へ。
でも、なぜかど〜〜〜〜しても直接兄ちゃんに道を聞くのが嫌で、こんなとき、すぐに人に道を聞くヨーコちゃんが一緒にいてくれたらどんなにいいかとため息をつきながら、つまらんプライドをひきずって別の道へ。でも一度脳内が「大勝軒のラーメンを食うのだ!」となったのに、今更別の選択肢を考えるのか?早く道を聞けばいいだろう!!ともう一人の自分がせきたてる、、、。
そしたら、たまたま入った路地裏に突然大勝軒発見!!!兄ちゃん全然矢印の方向と違うやんか!!と思ったけど、見つかったらそんなことどうでも良くなった。いつも食べてた「もり野菜」を注文。
東京にいたときは、いつも「もう食べられん」と思いながらやっとの想いで食べていた大勝軒のラーメンは、量が多い。だから「食べられなくてもいつも手伝ってくれるオグが今日はいないから頑張らねばならぬ。」と思いながら決死の覚悟で挑んだら、なんか知らないけど、いつの間にか食べ終わっていた、苦しみもせず、あっけなく私は食ってしまった。自分の胃袋が東京に住んでいた時より確実に拡張している!!!そのことに戦慄を覚えながら、大勝軒を後にしました。
駅に戻ると、まだ兄ちゃんは看板を持って立っていた。矢印はそっちじゃないよ。

10月25日から30日まで開催しておりました、ポスターを描く展2は、平日も大賑わいの満員御礼で酸欠状態のクーラーが欠かせない熱気につつまれ、無事に終了いたしました。人々の吐息で加湿器いらずでした。
私も、来ていただいた方にはできるだけ笑っていただこうと(目的がずれてるけど)ズッコケ話をまくしたてていましたところ、喉がかさかさになり、しまいにはケイウンスクみたいになっていました。

今回はイラストレーターとデザイナーがチームを組んで1枚のポスターを作る、という企画でした。私は星野さんというチャーミングなデザイナーさんと組まさせていただき、「小学1年生」のポスターを作りました。
これを作るにあたって、私は三重、星野さんは東京だったので、直接お会いして話し合う機会はそうそう持てず、そのかわりに「ホシ通信」というメールのやりとりを毎日のようにしていました。なんと、このホシ通信は現在vol83まできていて、今もまだ更新されています。なので、結果的には東京同士のチームよりも密に連絡を取り合う事ができたのでは??と思っています。私と星野さんのパーソナリティーも多いに関係がありますが。
メールではお互いの家族の話から「伝える」とは何か、という話や、好きな音楽、本、言葉、そして「自分が小学1年生だったとき」という話など、毎日本当にたくさんの話をしました。
「小学1年生のポスターを作るにあたって、健全100パーセントのものでなくてもいいです」と星野さんが言ってくれた一言で、私は自分が小学校入学のときのことを強く思い出しました。
それは、周りがいくら「おめでとう!」と言ってくれていても、自分自身は「よく分かっていない」ということです。
世界はとても広いけれどそのことさえ私は知る由もなく、ランドセルを背負わされて「何だろう?」と思っているのです。世界が広いという事は、生きていてだんだん気付いて行くことです。経験して知って行くことです。だから当時の私は何も知らなかった。でも、なんだか知らないけど、歓迎されているんじゃないのかな?とうっすら気付いて行く。
そういう、歓迎してくれている世界が少し目の前に開かれた、というのを絵にしたいと思いました。
キャッチコピーは、星野さんが書き溜めていたたくさんのノートから「楽しみにしていよう」という言葉を選びました。
子どもが、「大きくなる事を楽しみにしていられる世界」であってほしいと思ったからです。未来に対して楽しみを抱ける世の中がいいからです。

他の方のポスターもすごくかっこよかったです。女装したり、箔を貼ったり、超長かったり、ダンボールに印刷したり、すごく実験的ですごく遊びがあって「大人が真剣に遊ぶ」というのはこういうことかと思いました。ひとつひとつに私が勝手に解説をつけていいものか悩ましいので、遠くからの1枚でお許しください。
1番最初は「初めまして」の名刺交換から始まって集まった総勢18名が、会期中にどんどんお互いを知って、最後には本当に仲が良くなれたことが私はすごく楽しかったです。会場から起こる温かい拍手や笑い声のなか、私はこれからもすごく楽しみに絵を描いて行けるなあと、なんともいえない清々しい気持ちになりました。
会場に来ていただいた皆さん、ギャラリーDAZZLEの村松さん、18名のポスター展2の仲間の皆さん、そしてそしてもうお互いの事を何でも知ってる星野さん。本当にどうもありがとうございました。そしてこれからもどうぞよろしくお願いします。

今は、まさに実りの秋です。毎年当たり前のように実ってくれるけど、すごいことだ。いや、おばあちゃんがすごいのだ、育ててるのは彼女だから。それで、秋の3連休で姉が三重に帰って来たからちょうどいいやと、おばあちゃんの畑で大収穫祭。いいとこどりの我が家。
上の写真は、畑をうろつく父、母、姉。すごい仕事できなさそうな後ろ姿だ。姉はこれでもゆくゆくは農業をしたいと、なんか今流行っぽいことを言っている。でも、彼女はさつまいもがどれなのか分からなかった。サトイモを指差して「これサツマイモ?ほってもええの?」と嬉しそうな顔して聞いていました。

そば畑でおちょける姉。ちなみに、履いているジャージズボンは私が中学校の時のジャージです。そして、このとき私も履いていました。我が家では、中学校ジャージが現役です。裾がすぼまっていて、畑仕事にはうってつけ。おばあちゃんの帽子が似合いすぎる姉。こっちを向くと、北朝鮮の模範的なポスターの女性みたいな顔しています。

そば畑をうろつく父と母。姉曰く「なんか仕事も家もすべてを失った家族が、再出発を誓ってる風景みたいやなあ」と。ドラマの見過ぎだね。でもなんか私もここを歩いていて、そういう錯覚に陥りました。家族を立て直したい人は、そば畑をうろつくことをお勧めします。

収穫している姿を一切撮っていないけど、ちゃんと働きました。これはほんの一部です、言わば撮影用です。右端の、毛むくじゃらの物体はやまいもです。今年はカキがなり過ぎて、むしろサルに採りに来てほしい。まってます。なぜなら私はカキが苦手だから。果物なのに無臭なところがなんか、寂しくて好きではないです。
一日外で作業をするということは、なんと体力がいることかと驚きました。後半は腰を折り曲げて作業していました。おばあさんの腰が曲がるのも無理はない。
姉は「あたしやったら、ラジオを持って行ってノリノリで作業するわ〜」と言っていました。こういう人ほど続かないと、思います。でも姉にはがんばってほしい。身勝手な妹。

収穫祭で採れた、栗とさつまいもとサトイモを使った夕ご飯。さつまいもが、、、びっくりするほど甘くなくて、びっくりした。普通こういうときって甘いはずだろう??おかしいな〜。美味しいけどさあ。
栗ごはんの栗は、姉と一生懸命剥いて、手が痙攣する程がんばりました。でも剥き方が下手すぎて、大きかった栗がちんちくりんになってしまいました。畑の恵みを生かしきれない姉妹。田舎育ちの割に、使えない私達。がんばろうね、お姉ちゃん。

秋の3連休は、徹底的に家族で過ごそう、というテーマでした。私は4人家族で、姉が大阪に住んでいます。なので、家族で半分は大阪、半分は三重で過ごそうという話になりました。
私はしばらくぶりの大阪だったので、あれもしたいこれもしたいとやりたいことを箇条書きにしていったのですが、いざ大阪に着くと大都会梅田に電車で行く事すらめんどくさくなり、なぜか歩いて10分の最寄りのデパートと、車で10分のブックオフで私は大変に満足してしまいました。
そして、最寄りのデパートでまんまと「北海道物産展」に足を運んでしまい、大阪で北海道を満喫した状態になってしまいました。あああ〜恐るべし物産展マジック。

父が「まずは昼飯やで〜!」といって、お寿司が食べたい私と母の意見を押しのけてまっすぐにイートインのラーメン屋へ。すると、混んでいて席がバラバラ。家族で過ごすはずの3連休のはずが、私の話し相手は目の前の真っ白い無機質な壁。隣には神経質そうなメガネのおじさん。最高に心落ち着かない状態でご当地ラーメンをすすりながら、一刻も早く出たいと願う。「おいしいね」という話をしながら食べたかったよ。味も覚えてないよ。心の状態が味にも反映するのだと、一人で壁に向かって頷く。

その日は姉が仕事でいなかったのですが、母が「姉ちゃんも物産展に連れて行きたい」となぜか次の日も姉を引き連れ物産展へ。どれだけ田舎者なのか。しかも姉は都会に住んでいるのだから珍しくも何ともなかろうに。
普段離れて住んでいるせいで、母はたまに姉に会うと「この娘の願いをすべてかなえてやりたい」とありったけの愛情を注ぐ。姉は物産展の会場を母を引き連れて堂々と試食を繰り返し、試食をすすめるおじさんも「どうやらこっちのちょっと肥えた娘に食べさせた方がいいらしい」と、やたらと姉に試食をすすめる。後ろでやせ細った母は財布を握りしめて「ママ、あたしあのおはぎが食べたい」と姉が指差す方向へ消えて行きました。
結局買って帰ったのは十勝あずきのおはぎと、北海道じゃがいものコロッケをたくさんと、たこわさび。私は本当は甘エビの塩辛がよかったんだけどな。

夕方、三重に向けて出発。
「カニが食べたい」と父がいうので、まだシーズン本番ではないはずのカニを食べに、馴染みのカニのお店へ。カニが食べたいといったものの、なんかやっぱりシーズン本番じゃない雰囲気が漂っていて、盛り上がりに欠けました。
カニを食べた後、今度は姉が「31アイスが食べたい」というので駅前のサーティーワンへ。父はナッツトゥーユー、私と母はラムレーズン、姉は案の定ダブルをチョイス、チョコレートとパンプキンアイスを私より早く食べ終わっていました。
その日の夜は姉と一生懸命モムチャンダイエットのエクササイズを。明日へ続く。

少し前に、佐野洋子さんの追悼誌が出ていたので買って読んだら、あまりにも面白かったので今慌てて佐野洋子さんの本を集めて読んでいます。実はそれまでは佐野さんの作品は、代表的な絵本である「百万回生きた猫」しか読んでいなかったのです。あまりにも有名なこの絵本ですが、読むたびに泣けるので読まないようにしています。母は私に「このような絵本をあんたも描きな」というのですが、私はでんぐりがえりを地球百万周しても無理でしょう。
佐野さんはエッセイも沢山出しているので、それをこれから片っ端から読んでやろうという楽しみが出来て、それから毎日私は嬉しく楽しみに生きています。トイレに本が置いてあるので、トイレが楽しみです。
その追悼誌の中で、佐野さんが山田詠美さんの本が良かったと書いてあったので、その本も買い、さらに、最近とてもお話をたくさんしているデザイナーさんが好きな本として教えてくれたので、瀬尾まいこさんの本も買い、山崎ナオコーラさんの本も買い、今読みたい本が山積みになっていて学校に行っている場合ではないのです。
「角田光代さんの本を読んでいると、せっちゃん(私のあだ名)を思い出すよ」と3人の人に言われました。3人から言われるという事は、相当私と角田さんは何か共通している物があるのでしょう。
最初にそう言ってくれた友達のヨーコちゃんが、「このひとの本読んでるとな、せっちゃんのこと思い出すねん。そやから私の本全部貸すから読んでほしいねん」といって、彼女が集めた角田さんの本を6冊くらい貸してくれたことがありました。私はそのとき初めて角田さんの本を読みました。
でも、「ん?この部分が似てるのかな?それともこっちかな?」と私は読みながら自分自身でははっきりとはつかみ取れませんでした。それだけあまり自分の事をよく分かっていないのだろうなと思いました。でもそれ以来やはり角田光代さんの写真や文章をあらゆる場所で見つけるたびに、「お、元気でやっていますね」と勝手に馴れ馴れしい想いを抱いています。
私は自分が女だからといって、女性作家の本だけにしか共感できない、というようなことはないと思いたい。自分は村上春樹も好きだし、司馬遼太郎だっていっぱい読んだんだ!と自分自身に確認しましたが、やっぱりどうやらどうやら、女性作家の方が「やだ〜〜〜わかるわかるううう」と思ってしまうもんだなあ。しょうがないや、女だもん。