この3連休は今流行の断捨離をしました。我が家ではなく、大阪の祖母の家で。3月に亡くなった祖母の遺品整理に明け暮れました。主に母が、時々私が。
85年生きていた女性が一人亡くなるという事は、途方もない遺品が出るという事なのだと私と母は思い知りました。(姉と父は片付けが苦手なので、ノータッチです)しかも彼女はとにかく溜め込む性質で、博物館に寄付した方がいいんじゃないかというような、年代物の色鉛筆やら着物やらが手入れをされないまま彼女の部屋に、クローゼットにカビとともにしまいこまれていて、私はその部屋に入っただけでくしゃみが止まらなくなり、常にマスクと手袋が必要という状態でした。
最初は宝探しのようにワクワクしていましたが、わたしの頭の中の分別回路がパンクする程の量で、「ゼンブステテイイデスカ」と脳みそがつぶやいていました。人に譲ろうにも、歩くエレクトリカルパレードと言っていい程派手だったので、誰も着れない。バラとヒョウ柄に覆い尽くされたアンサンブルスーツって誰に譲ればいいか見当もつかない。
輪ゴムも、ビニール袋も、お菓子の空き箱も「いつか使うから」といって彼女は捨てられなかった。おばあさん世代は物が豊富でなかった時代に育ったので、捨てられない人が多いというのをとてもよく聞きます。彼女も間違いなくそのひとりでしょう。
物を所有することってなんだか物悲しい。でも私も全然捨てられない、カレンダーの裏だってメモ用紙にしたい。生きている間は、生きている証として思う存分溜め込んでもいい。死んだらそれは捨てられるんだと、私は知っていよう。家族の物は「こんなものまで溜め込んで!」とちょっと怒りながら偲びながら捨ててあげよう。
3月から徐々に進めて、今ようやく半分くらい。次は冬だな。
ばあちゃんちの庭のコスモスが猛威をふるっています。この小道を渡らなければおばあちゃんちには辿り着けないのに、顔や足にピシピシ当たってかゆくなります。
コスモスはピンク色だとばかり思っていましたが、ばあちゃんちのコスモスはすべてオレンジ色をしています。この猛暑でおかしくなったのかしら?咲き始めは「なんてロマンチックな小道!」と思ってゆっくり楽しんでいましたが、ずんずん伸びて毎回毎回顔をなでまわされてはちょっと疎ましくもなるでしょうに。
下の写真は同じくばあちゃんちの庭で採れたカボチャとスイカ。手前の少し黄色がかった球体は実はスイカです。おばあちゃん本人も採れ過ぎてわけがわからなくなっていました。しかも老体にむち打って自分で作ったカボチャとスイカの為の柵を頑丈に作り過ぎて、ばあちゃん自身も入れなくなるというトラブルもあったため、私が自衛隊さながらの匍匐前進をしてもぎとりました。

カボチャがこんなに採れているのに母が誤ってカボチャをスーパーで買ってしまい、また二人はケンカをしていました。「もう野菜は買うなっていうたやんか!」「そんなん言うたかって、あてにしてもらいにいったら採れてへん時だっていっぱいあるやんか!」などというやりとりを二人は飽きもせず毎年繰り返します。
ばあちゃんの畑は気まぐれなので、植えた場所の野菜が芽生えもせず消えたかと思うと、数メートル離れたところで自然生えしている野菜もあります。ばあちゃんはどうやらその様子が好きらしく、枯れても気にしませんし、一人で生えて来た野菜を褒めたたえたりして楽しんでいるようです。彼女を見ていると、なんだかイソップ童話を見ているような気持ちになります。
高校からの友人ひとみちゃんちに夕ご飯をおよばれにいきました。ひとみちゃんは2月に結婚をしたばかりの新妻であります。つまり、新居に新妻の手料理を食べに行ったという事です。
ひとみちゃんは結婚するまでお料理を作った事はほとんどなかったそうなのですが、出て来た料理は全部見た目も美しく、味も本当においしかったのです。(あ、この写真のピザは旦那様作でした)メニュー内容は、
ピザ、シーザーサラダ、タコとオリーブのマリネ、豚バラ肉とほうれん草のクリーム煮でした。もうここは河芸町じゃなくてイタリア?!!という錯覚に陥る程のイタリアンメニューでした。ひとみちゃん曰く「料理本を見てとにかく忠実に作る」とのことでしたが、それはすごく基本が出来上がっていいことだと思いました。彼女は昔から「生きる力」のたわわな器用な女性だったので、新婚生活もとても楽しそうで順調そうでした。
私は計量スプーンなど計る道具がとにかく苦手なのと、さしすせその順番もすべてがオレ流なのでだいぶ反省しました。
驚いたのが、新居のリビングに鎮座している地デジテレビのでかさと映像の鮮明さ。今現在アナログ生活の我が家のテレビとは猿と人間の差くらい歴然としていました。ニュースで街頭インタビューされているただの通行人すら大スターのように見えました。ピンクレディーのミィちゃんとケイちゃんの隠しきれない老いまでもが鮮明で、物悲しい気持ちにさえさせる近年のテレビ事情です。
友達の家で、遅くまで大人数でワイワイ騒ぐという経験を大学以来久しぶりにしたので懐かしくて楽しい夜でした。
しかし深夜にひとりで車で帰ったのですが、ナビがついているにも関わらず、知らない場所に迷い込んで右往左往している自分が残念でした。手汗でハンドルがすべりました。「生きる力」がもっとほしいと心から思いました。

2学期の3年生の課題は「飛び出す絵本をつくろう」ということで、やばいぞ。試作品を作らなきゃ!教えられない、、、。飛び出す絵本は何冊かもってはいるものの、作ろうなんて思った事もなかったワタス。不安爆発で6月くらいから研究を重ねておりました。
「metamorphose(変身)」という、どこかのヴィジュアル系バンドの名前のようなテーマに決めて制作。ありきたりです。はらぺこ青虫のぱっちもんみたいになってしまいました。しかし、私には今まで溜め込んできた色紙やシールやテープやリボンがたわわにありますが中学生なんてそんなの持ってないよね?特に男子なんて絶対持ってないよね。もちろん私のを寄付する形になるのだろうけど、なんかそんなんでいいんだろうか?私の悪い癖ですが、自分の個人財産を公共の場に持って行き過ぎなんです。頭が悪いのです。自分がどうにかすればいいや、となって最終的に落ち込むのです。ビジネス向きではないことは確かです。
中学生がどこまで想像を広げてくれるのか不安です。

女子受けをねらったチョウチョの飛び出すページ。上のくじゃくのページは、装飾過多気味で引き算を知らないページに。でも試作、楽しかった〜。自分が手をつけない分野を否応無しに考える、ということはとても脳みそにいいぞ、と思っています。
大学時代の友人、よーこちゃんとみっちゃんと三重県の南部へ一泊旅行。旅のテーマは「20代前半とアラサーの違いを認識する旅〜精神的、肉体的相違〜」でした。
大学時代はいつもこの3人で、学食を食べながらうわさ話をし、おしゃれについて語り、コスメについて語り、恋愛について語り、どちらかというとかなり男っぽい私の「女子」の部分はこの二人からすべて教わった気がします。華奢なネックレスがどうやらかわいいらしいとか、髪の毛をのばしてみようかな、とかこの二人を見て真似をしたりしてきました。
二人はもう結婚して、やっぱり私よりいつも何十歩も先のことで悩んだり、悟ったりしていてまたたくさん色んな事をこの旅で教わったのでした。
そして肝心の20代前半とアラサーとの違いは?肉体的な話でいうと、前は朝までデニーズでしゃべりつづけることができましたが、今回は夜中の2時くらいに体力の限界を感じ眠りについたことでしょうか。あとは貯蓄のシビアな話をしたり、生ゴミにわいた虫の話で青ざめたり、親戚付き合いの難しさについて論じたり、愛する人が突然死んでしまったらどう生きて行くか?など、学生のときには考えたこともなかった話題で盛り上がり、それぞれの10年の時の重みを感じたのでした。

次の日は伊勢神宮へ。赤福氷を食べた事がないというみっちゃんにどうしても食べてほしくて、赤福氷をオーダー!3人でひとつの氷しか食べられないあたりも、アラサーを感じました。冷えは大敵。
3人はそれぞれの悩みや抱負をたくさん話して、またそれぞれの家庭や生活に戻って行きました。もうすぐ夏が終わってしまうんだなあ。よーこちゃんはなんだかさみしくて、帰りの電車で少し泣いたそうな。楽しかったね。