東京から自然好きな友人二人が遊びにきました。目指すは経が峰山頂です。
経ヶ峰というのは、津界隈の小中学生なら誰しも一度は登らされたことがある、津市民には親しまれている山です。ほとんどの学校の校歌にも登場します。標高819メートル。私はその経ヶ峰の登山口から目と鼻の先に住んでいるので、小さい頃から気付いたら山頂にたどり着いていた、なんてことも。
この山は、なめてかかると思ったよりキツいので、割といつも緊張して登ります。山道はとてもバラエティに富んでおり、まず清流を眺めながら軽くハイキング感覚で何カ所か橋を渡ると、突如インディジョーンズ級にアドべんちゃらすな崖土山コースが待ち受けています。このあたりでお気に入りの靴や服を履いていた人々は痛い目にあいます。老人は挫折するでしょう。また虫嫌いな人も挫折します。
事実、私達はアブに追い回され叫びながら走り回り、余計な体力を使った挙げ句に持参した水をほとんど飲み干すという無計画をやらかしました。
インディコースを突破すると、今度は木の根っこで出来た見た目だけメルヘンな面倒くさい階段を延々登り、その後木のトンネルを抜けます。この辺りは童話のなかの主人公ちっくですが、顔はネチャネチャで口カラカラです。ファンタジー映画の悪役のような顔になります。恋人と登ってはいけません。本当にもういい加減着いてもいいんじゃないか?というくらいになって、やっと「ようこそ、経が峰山頂へ」という看板が見えて来ます。
頂上は、すごくいいです。達成感でいっぱいになります。爽やかな風が吹き抜け、色鮮やかなチョウチョが何匹も舞っていて、まるでラピュタに辿り着いたような気持ちになります。しかしこの日は薄曇りで湿度が高く、あまり素晴らしい眺望は臨めませんでした。それでもみんなで食べるおそろいのおにぎりは、大変においしく感じられました。

下りは、みんなクーラーの効いた部屋で食べるアイスクリームのことばかり考えて、下り特有の足の震えを隠しもせずに一生懸命下ばかり見てひたすら下りました。下界に近くなってくると、やっとハイな気分になり、猿の鳴きまねなどして盛り上がりました。
たどり着いた後のアイスの美味しかった事!!!でもあと10年は経ヶ峰に登らなくていいや。

2009年の11月から読み始めて、2010年8月に読み終わりました。司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」全8巻。あ〜〜〜長かった。
電車の中で、おばあちゃんの病室で、トイレの中で、ベッドの上で、あらゆる場所でちまちま読み進めてやっとでした。司馬さんの本はとっかかりが非常に読みづらく、最初は「もう少ししたら道が開ける〜」と思って頑張りました。
これを読んでいる間におばあちゃんが亡くなったり、中学校に勤務するようになったり、自分の現実世界では色々なことが当たり前ですが起こっている訳で、それでもいつもこの本を開くと日露戦争を舞台に別の日本人が色々な目にあっている訳です。私は、時にロシアに悪態をついたり、次の瞬間には降りる駅の確認をしたり、ちょろっと泣いたりなどして、人生はやはり色々あるほうがいいなと思いました。
歴史というものについて「もしもあのとき○○だったら〜」と考える事はあまり意味のないことですが、そう思わざるをえないほど世の中はギャンブルの積み重ねで出来ているのですね。いい加減でおもしろい世界です。
読むものが無くなった〜〜!トイレがつまらなくなる〜。と焦っていたら、なんと友人よーこちゃんの旦那さまから、ピッカピカの「竜馬がゆく」全八巻を「読み終わったからあげるよ」と奇跡的気前の良さでいただいてしまいましたfrom一宮。よーこちゃんの旦那さまは大の歴史好き、普段は無口なのですが、歴史のことになると目も生き生き顔もつやつやしてきて少年のようでした。やったー私のトイレライフがまた輝き始める!ありがとう!

山形から富山へ。マス寿司、白エビ、ホタルイカ。忘れちゃいけない黒部峡谷。ということで、強制収容所へ送られる難民のように、朝からトロッコ電車にすし詰め状態で黒部峡谷へ行って参りました。
忘れちゃいけない、とか言っておいて私は全然黒部ダムの事など知りませんでした。水の流れが激しい黒部峡谷から注ぐ水による水害は、長く富山県民にとって脅威でした。大正3年くらいから電力会社が、この険しい山々にダムを造ろうととにかく頑張ったわけです。なんという大雑把で失礼な解説、すいません富山の人々。1時間20分もトロッコに揺られるんですよ?相当険しくて、危険な峡谷ですよ?これを人が造ったという事実がとにかくすごいのです。
知識ゼロで乗り込んだ私は、せいぜい30分くらいだろうとぼんやりしていたら、あまりにも長いので途中から気を失いかけていました。乗客全員が、うきうきして乗り込み、迫り来る大自然にキャーキャー言って大興奮だったのですが、みんな1時間20分というあまりにも長い間ゴトゴトギーギートロッコに揺られるので、だんだん無口になっていき、私の隣のおばさんなどは荷物を全部落として眠りこけていました。「自然を甘く見るんじゃないよ」となぜか私は得意げな眼差しを民衆に向けていました。そういう私が一番帰りたかったです。
すさまじく険しい山々の中に、突然電力会社や温泉街があって、工事のおじさんがあらゆる場所から手を振ってくれます。なんだこりゃ?なんという不思議な光景だ?工事のおじさんも、なんだかテーマパークのキャラクターのように見えて来ます。しかし現実の生活の光景なのです。とにかく不思議な場所です。黒部峡谷。
そんな不思議な富山旅行も終わり、また三重に帰る長いドライブが始まりました。姉が途中で食べたものは、カツ丼、そば、コロッケ、アイスクリームをダブルで、ソフトクリーム、じゃがりこ、柿の種でした。
姉が「東北へ行きたい」と言い出してから、母は綿密な東北旅行計画を立て始めました。異なる場所に住み、激務の姉を含めた家族全員で旅行へ行く事など一体何年ぶりのことでしょうか。
仕事に追われて、太ったり痩せたりを繰り返している基本太めの姉の願いを叶えてやりたいと、面倒見のいいカニ座の母はがんばりました。三重から山形までの気が遠くなるようなドライブ中、姉は立ち寄るドライブイン全てで、ご当地グルメを食いあさりました。
山形は蔵王へ到着。ゆでたまご臭が心地よい硫黄温泉の聖地、流れるお湯の色はクリーム色。なんともいえないさびれた感じが素敵な温泉街です。私達が泊まったのは、なんと創業294年という歴史をもつ高見屋という旅館。なんでもお湯自体は平安時代から湧き出ているらしい。すげー!
硫黄は金属をダメにするらしく、高見屋さんの水道の蛇口は全部まっくろけ。垢ではなく、もはやすべてが味であり風情。老舗の力おそるべし。従業員の方たちは住み込みで働いているらしく、さっき着物で挨拶していた仲居さんとすっぱだかで風呂場で出会うというトキメキ付き。
食事は地元山形の山の幸がふんだんで、芋煮や「もってのほか」という名前の菊の料理、キノコ、山菜などがとてもおいしかったです。
色々山形を散策するはずが、長時間ドライブで疲れきって、みんな歯ぎしりといびきと寝言の大合唱。
次の日は、富山へGO!!!

よーこちゃんちにお泊まり計画二日目。2006年からずーーーーっと行きたいと思っていた「メイとサツキの家」に朝から行って来ました。
「メイとサツキの家」は「愛・地球博」のときに建てられた万博記念公園の敷地内にあります。「となりのトトロ」に出てくる草壁一家の家をそのまま再現してあるおうちです。これが相当すごくて、なんと観覧者は家の中に入って、自由に押し入れの中や引き出しのなかを開けて、中のものを触ってもいい事になっているのです。しかも、映画の時代設定が昭和30年代なのですが、その当時のものを全国から探し歩いて、鉛筆一本、本の一冊一冊、服や缶詰に至るまですべてのものが当時のものなのです。中には大変貴重なものももちろんあるので、丁寧に扱わなければいけないのは当然なのですが、それにしても博物館のものを全部さわれるような感覚でとてもおもしろいのです。
万博当時は、予約がいっぱいで到底観れそうになかったので、「いつか絶対いくんだ」と願っていた事が実現している喜びでいっぱいでした。他の観覧者の人たちも、共通点はただひとつ「ジブリが好き」っていう人々が集まって、集団で引き出しを開けたり、戸棚を開けたり、押し入れをのぞいたりしているので、ちょっとした窃盗団のようなのですが、みんなワクワクしてすごく嬉しそうでした。
家自体は、思っていたより小さい印象で「このお風呂には3人入るのは無理だろう?」とかつっこみどころもあるのですが、まあいいんです。楽しけりゃ。