
今日はおばあちゃんのお誕生日でした。
こういうイベントの時は絶対に絶対に私がケーキを選びたいんです。だってケーキを選ぶのはとても楽しい。でもデパ地下なんて津にはないから、歯医者に行った帰りに「ムッシュこうのや」という津では一番高いんじゃないかと思われるケーキ屋さんに行って来ました。
私がまだ小学生くらいのときに、このムッシュこうのやができて、その斬新なケーキに姉と二人で驚いたものです。見た目も斬新だったのですが、そのネーミングセンスに一番衝撃を受けたのでした。「異邦人」とかね、、、「桃源郷」とか、、。なんかよくわからんけど、食ってみたい。という幼心を揺さぶるネーミングでした。そのときに「ケーキは食べられる宝石」と思いました。
東京に住んでいた時はデパ地下なんて行ったら、もう目が輝きに耐えられないんじゃないかと思うような、凄まじい光を放つケーキの大群に目をつぶされて結局あんまり楽しむ事もできずに帰って来てしまったカントリーガールです。今日もイモを掘りましたよ。
こうしてたまにケーキを選ぶ事ができれば十分です。そんなムッシュこうのやの中で、一番楽しげなフルーツタルトを買いました。誕生日は楽しげなやつが一番だろう。おばあちゃんは一体どんな顔をするだろう?とワクワクして帰ったのです。
ところがあ!おばあちゃんは、驚きはしたものの、なんとな〜〜〜く普通のスポンジケーキに生クリームスタイルが良かったらしく、なんだか反応が良くない。しきりにタルト生地を褒めている。「この入れもんが美味しいなあ」と言い続けている。これはフルーツが主役ではないのだろうか。まあ美味しいけど。
でも最後に「このケーキは1万円くらいするやろう」と、ビッグな発言をしていたのでどうやら満足したようだ。結局おばあちゃんが好きなのは丸ごとバナナなんだね。

昨日は私が勤務する中学校の文化祭でした。1学期に制作した美術の作品も毎年展示します。1年生は絵文字、2年生は首振り人形、3年生は砂絵です。
中でも一番反抗心の強い2年生は苦労しました。テーマは「身近な人をつくろう」だったのですが、まず「作りたくない」から始まって、粘土が登場するやいなや、遊びに夢中。丸めた粘土を投げる、絵の具を混ぜて放置する、変な置物を作って肝心な人形制作の粘土が足りなくなる、友達の顔を変に作ってケンカする、泣く。
などのトラブルが毎回起こり、私は叫んだ事も少ないのに弱々しく叫んだりしていました。「やめて、アカン。」しか言ってなかったような気がします。なので、こうして文化祭に無事に展示できたことが奇跡のように感じました。
1年生は絵文字でした。これは自分が中学1年のときに実際にやって、楽しかったのでやりやすかったです。基本的に褒めちぎりながらやったので、奇想天外なアイデアがモリモリ飛び出し、笑い転げたりしました。特におもしろかったのが、何にしてもこだわりの強いK君の作品で「食」という漢字を選んだのですが(ちょうど写真の左端上段)ひとつひとつの点画がコース料理になっていて、「この点の部分はゼリー!この部分はオリジナルスパイスにするんだ!」とず〜っとず〜っと悩んで考えて消していいのができました。
大人しい3年生は、最初反応が少なすぎて本人たちの気持ちが全然読み取れませんでした。でもやり方のコツをつかんでいくと、みんながだんだん砂絵にはまっていくのがよくわかって楽しんでできたと思います。
きっとみんな家に持って帰ったら捨てちゃったりするんだろうなあ。と思いながら、写真だけは撮っておきました。覚えてなくてもいいんだ。彼らの髪の毛一本分の成長に役立っていますように。

どこに何がいるかよく目を凝らしてみてください。我が家の観葉植物に、夏からずーーーーっと5匹のカエルが暮らしています。しかも毎日ちょっとずつ葉っぱを変えてそれぞれ本日一番居心地がいいと思われる場所で、体の境目がわからないほど溶けるように、くつろいでいます。もう秋で肌寒くなろうというのに、相変わらず、葉っぱの上に毎日ひとつずつうんこを落として彼らは居ます。
どんだけ暇かと思われるかもしれませんが、毎日植物に水をやるついでに彼らの位置を確認するのが楽しみです。ついでに毎日霧吹きで、彼らにも水を吹きかけて遊んでいます。水を吹きかけると、口を大きく開けて水を飲むのですが、その姿がおもしろすぎてやめられません。
絵を描いていて疲れた〜とか、何かに集中して目がやられたときなど、私はそっと階段を下りて彼らに会いに行きます。コーヒーを飲みながら観察します。相当癒しになっています。可哀相かと思いながらサディスティックな気持ちの時は、ちょっとだけカエル達の背中を押してみたりしますが、もはや動じることなく、「またかよ」くらいの顔でこっちを見ています。
これからどんどん寒くなって、やがて居なくなってしまうのだろう。寂しい。これから疲れた時はどうやって癒されよう。冬には冬の仲間が、現れてくれればいいのに。

3年生の選択美術の授業です。
2学期は何をしようかしら〜?と考えておりました。選択授業は人数が少ないので自由度が大きいのです。悩んだ挙げ句、自分の好きな「静物デッサン」に決めました。生徒に告げると「どんな生き物を描くの〜?ニワトリとか?」と全員が言います。ああ、生物と勘違いしてるのね。
さて〜。デッサンしようにも肝心の静物がない。自宅をひっくりかえしてなにか描けそうなものを探しました。幸い、マジシャンの父の部屋からは意味不明の道具が山ほど発見されました。指の模型、気持ち悪いコアラのぬいぐるみ、トランプが100ケース、リングにボール。すべて人を驚かせたいがために古今東西より父がかき集めたガラクタです。そこから私は銀色のお皿と、なぜかイミテーションのパンを発見して無断で持ち去りました。あとはおばちゃんちからカボチャをひとつ。イミテーションのバラとリンゴとレモンを少々。母のインテリアからもっていったけど、気付いていないのでだまっていよう。
そうして出来上がった2学期のお題。寄せ集め感が漂うビンボー静物だけど、初めての静物デッサンにはまずはこんなもので許してください。
最初はぎゃーぎゃーうるさい中学生達。わざと変な格好で描こうとして笑いを取ろうとするものアリ、バラの花の位置がおかしいと騒ぐもの、パンが食べたいと騒ぐもの、カボチャが本物だと信じないものアリ。でもだんだん本気になってきて、いつのまにか静かに描く音が。まさに静物デッサン。
のぞいてみると、瓶のふたからきっちり描いています。全体のバランスをはかろうという気持ちは微塵もありません。あとからきっと「全部入らない」と騒ぐのでしょうが、この描き方も私は好きです。
こんな秋をまっていたのです。感心した校長先生がこっちをのぞいているわ。いいところだけ見てくださいね。普段は崩壊している私の授業はくれぐれも見ないでくださいね。
昨日はおばあちゃんちの庭で栗拾いをしました。
まだ本格的に落ちてはいないのですが、うかうかしているといつの間にか落ちまくって、あっというまに虫どものアパートになってしまうので、常に目を光らせていなくてはいけません。
私が一年で一番おばあちゃんに貢献できるのが秋です。実りの秋、80の老婆がすべてを収穫するには、小さい畑ながらに腰がひんまがってしまいます。かといって、私も日焼けのこわい年頃なので日の暮れにぼさっと畑に現れては、コソドロのように毎日少しずつサツマイモやイチジクを掘り返したり、もぎとったりしています。
それで昨日はいよいよ栗にまで触手をのばしたのですが、これは簡単そうにみえて一番腰と目にきます。立ったままずっと下を向いてイガから栗を取り去る作業は、一種トランス状態になります。もう脳みそも栗にしか反応しなくなり、下ばかり向いているのでいよいよヨダレまで垂れて来ます。一人でするのはおすすめしません。

それでも、このイガに詰まった栗を見つけた時のアドレナリンのピュアさといったら。収穫の喜びってすごい。
収穫した栗は、渋皮甘煮にしたりそのまま茹でて食べます。この日の夜もおばあちゃんが茹でた栗を食べましたが、皮を剥くのがまた一苦労で、一体どんだけ手間取らせるんだ栗達よ?と悪態をつきながら口にほりこんでやりました。
そういえばこの日はお月見で、庭に出ておばあちゃんと月を見ました。私は乱視で、月が二重に見えるのですぐに飽きて家の中に入ってしまいましたが、おばあちゃんは月が雲に隠れるまでずっと見ていました。どうやら俳句の勉強会にもっていく句を作らなくてはいけなかったようです。