
昨日、校長先生が「明日は休校です。」と告げられて、生徒達はもう大興奮で、帰りの会も浮き足立っていました。嬉しい興奮で、隣の席の子がなんだかいつもより可愛く見えたりするんでしょうね、ちょっかいをかけたりして、その光景が懐かしかったです。私も、職員室では神妙な顔をしていたものの、悟られぬよう興奮しておりました。
確かに、今日はすごい雨ですごい風だった。しかし、どこかで誰かがなぜ死んでしまったりするのだろうといつも不思議に感じてしまう。不謹慎だけど。すごい雨ですごい風だと、なぜ人は死んでしまうのだろう?
なんで危険だと言われているのに、川の様子を見に行ったおじいちゃんが、今日もどこかで流されて死んでしまうのか。どうして見に行ってしまうのだろう?机の角に少し足をぶつけただけで、信じられない程痛いのだから、人は相当死にやすくてもろい存在なのだと、しみじみと膝のあざを見て思ってしまう。

台風が過ぎ去ったので、隣の家の子ども達が啓蟄のごとくに外に出て高らかに笑っています。犬のさくらちゃんも鳴いています。突然の休校に、「この貴重な時間を最大限に生かしきってやる」と鼻息を荒くしていたものの、気持ちばかり焦って何も出来ないまま夕方を迎えてしまった私の空しい心を、お隣さんの子ども達の声が軽やかに通り抜けて行きました。どれ、私も外に出てみようかな。
最寄りの川の写真。小さい頃から、大雨が降ると、かなり厳重に「川に近づくな」と親に言われて育ったので、写真を撮るのもちょっと離れて撮ります。だから台風で川を見に行くじいさまの気が知れない。でもそれはそれでじいさまの使命感やら男気がそうしたのだろうなあ。でもすごいってわかりますでしょう?この流れ。一寸法師はすごいなあ、お茶碗一つで川を下ったのだからなあ。彼も台風だったらひとたまりもなかっただろうに。

台風が過ぎ去ったあとの、雲が早くて人間は驚いてしまう。何にもできなくて驚いてしまう。2011年はそういう年なのかもしれないなあ。

台風が近づく中、小さい頃からことあるごとに通っていた鳥羽水族館へオグとともに行きました。鳥羽水族館が出来た当初、「日本で一番大きな水族館」と言われ、名物の少ない三重県民にとってそれはそれは誇らしい事でありました。初めて訪れたとき、「ああこれが日本一なのね。」と大きな水槽を覗き込んで、そのガラスのゆがみに気持ち悪くなりながらため息をついたものでした。
家族でも来て、小学校の卒業旅行にと友人4人でも来て、近視矯正手術を受けたばかりで片方に眼帯をしながら一人で来て、姉と外人の友達と来て、大学の友達とも、東京の友達を連れても来ました。「これはね、日本一大きな水族館なの。」と東京の友人にいばりちらしたのでした。
あんまりにも来てるもんだから、もう新鮮さもなんもなかろうに?と思いながら、私は大概いつも興奮してしまうのです。館内に足を踏み入れた時のひんやりとした空気と青い水槽が「別世界にきたよ」ということを告げます。

今回は3年ぶりくらいかな?あれ?いつもと様子が違う、、、。どうやら大幅にリニューアルされたらしく、歩き慣れた水族館のはずが雄叫びをあげるほどに色々変わっていました。
魚類が減って哺乳類が増えている!カピバラがいます。なんで?海獣でもないのに?どこへ行くつもり、鳥羽水族館。でも水族館にカピバラがいることが観衆にはよほど嬉しかったらしく、みんな魚類そっちのけでカピバラを見ています。おばさんなんかは、カピバラの前にひざまづいて「あら〜〜〜眠いのねえ。お腹いっぱいなのねえ」と大きな声で話しかけています。このおばさんは、絶対に自分のチワワかシーズーかなんかに服を着せているに違いない。

衝撃の青いロブスター。オモチャじゃないし、染めてもいない。正真正銘青いロブスター。たまげて説明を読んだら、品種改良のたまものだそうな。天然だからびっくりするのであって、品種改良っていうのは少し残念な気持ちに。「青いロブスターを作ってやる」と一生懸命な人々がどうやらいたらしい。相当変わってる。

旭山動物園に感化されたのか、鳥羽水族館もなんか随分と動物達との距離が近い水族館になっていました。このペンギンの水槽、手が完全に届く。余裕で触れそうな距離、なんですが誰も触らない。触れそうだと、逆に触らないという妙な心理作戦にでたのだろうか。とにかく、みんな行儀よく触らずに見ています。私もギリギリまで手を近づけたものの、手をかまれたりして、大騒ぎになって「30歳の女の人がなんかマナーを守らなくて手をかまれたらしい」とか言われたらそれはそれは恥ずかしいと思って、触りたい衝動と闘い、「恥を恐れる心」が勝利しました。
鳥羽水族館をあとにして、お昼ごはんを探しに鳥羽駅の方へブラブラ歩いて行きました。「海女のお店」という、外側からは想像できないくらい店内が繁盛している食堂へ。本当に海女が切り盛りしているらしく、もう、なんかすごい、発展途上国の露店のようなガサガサプラスチックコップが出て来て、私はそういうの全然平気でむしろ好きだけど、オグは隣でなんか怒っている。しまいには「虫が入ってた」とうなだれている。「いいじゃないの、海女がやってる海の幸のおいしいお店なんだから。だから都会育ちは困るのよ。虫の一匹や二匹。」と言いながらケンカになりそうなので、私達はおしだまって、美味しい海の幸をモグモグしたのでした。
きっとこうやって書くと、オグから「あんなこと書くな」っていう注文が入るのですよ。あ〜ごめんごめん。先に言っておくよ。

虫が大嫌いな人、ごめんなさい。これはここ最近のうちの玄関です。
すぐ隣にある大きな桜の木から毛虫がどんどんどんどん、うちの家の壁に登り着いて、うちの郵便ポストに登り着いて、うちの玄関の扉の前に徒党を組んで押し寄せてきて、いつも忙しくて髪の毛を振り乱して朝出て行く働き者のうちの母なんかは、毛虫に構っている暇なんてないもんだからいつも二、三匹いつのまにか踏み殺して、叫びながらそれでも出勤しています。
ところが、この子達は、夕方になるとどこかへ消えている。どこへ?
朝から昼間にかけて、郵便屋さんがのけぞるくらいにうちの玄関周りをはいちらかしているこの毛虫が、夜にはどこにもいない。本当にどこへいくの?
私が平和な国の王様であったなら、日がな一日この毛虫をながめて行方を突き止める事ができるのですが、もしくは昆虫博士で、虫の生態を探る事が仕事であったなら。
残念ながら、不思議な事があっても無視して洗濯物を干す時間を確保したいと思うくらい大人になってしまった私は、ただそのことを母に「今日の不思議」として報告するくらいの芸当しか持ってはいないのでした。

ほらね?すごいでしょ?階段を登ったり、たまに壁から力つきて落ちたりしてどこかへ行ってしまう。
「こんなにいるんだから蜘蛛に一匹ごちそうしてあげよう」と思い立って、目の前にあった大きな蜘蛛のいる蜘蛛の巣へ毛虫を一匹ひっかけてやりましたが、大きく体をゆすり毛虫が大暴れ。見事に巣を破って、ドクダミの花の中へ落ちて行きました。

赤福だけじゃないんですのよ。三重の餅菓子は。
これは桑名の有名な安永餅。なんでこんなに長くしちゃったのかしらと思いながら餅を口からぶらさげてふざけたりできます。味はあっさり。なんでかっていうと、うすっぺらいから口に入れた時にうす〜く伸ばされた微量のアンコしかはいってこないからさ。これが丸い大福であったら、一口ほおばったときにアンコの量が多すぎていくつも食べられないだろうけど、これはいくつも食べられるのである意味危険なお菓子でもあります。

これは、釆女なごん。(うねめと呼びます)おばあちゃんが老人会の旅行で「最高齢」だったからもらったんだってさ。長く生きるといいことがあるもんだね。女性は子どもの頃は「早くお化粧できる大人になりたい」と願い、25歳頃から徐々に年下女性に嫉妬し始め、28くらいから年齢を口外しなくなり、35くらいで顔に塗るクリームに高額をはたき、45くらいで「お姉さん」と呼びかけられたことで3週間は機嫌がよく、70くらいで男か女か分からなくなり、80になると突然年齢を誇りに思うようになる。うちのおばあちゃんは、最高齢が相当誇りだったらしい。私もいつか老人会でこのお菓子をいただくことを目標にして生きよう。
ちなみにこの釆女なごんは、一個食べきるのに私は二日かかります。大きなモナカのなかにはぎっしり餡がつまってて、お餅まではいっています。非常食にスニッカーズではなく、釆女なごんをポケットにしのばせてみませんか?

これは三重のお菓子ではなく、滋賀のお菓子だけど、美味しかった餅菓子。赤福でさえ2日はもつけど、これは高らかに「そのひのうちに食べきってください」とうたっています。それくらい柔らかい。繊細なお餅のお菓子。ビジュアルも私は好きです。
ここのHPを見たら北海道への送料が1300円で、お餅本体よりも高かった。取り寄せなくてもいいよ。北海道にもたくさん美味しいものあるはずだから。

山の仕事っていうのはウソで、ただ母が家の周りの雑草を草刈り機でかっているだけの話です。最近姉は、この恐ろしい草刈り機デビューを果たし、おばあちゃんちの草も刈ったと私に鼻息も荒く自慢してきましたが、私はまだこうして二階から母の勇姿をカメラに収めるだけしかできません。
この界隈の男達は、皆早朝からとにかくけたたましい音のなるこの草刈り機で草を刈りまくる働き者なので、都会育ちで朝の弱いうちの父は「なんで朝からあんなうるさいねん!!!」といって憤慨する姿を私はよく見ます。私もこのけたたましい音でよく目が覚めるので、そのときはくやしくてなんか涙が出そうになります。
でも怠け者の私が、働き者のこの地域の人々をののしることなど到底できないのです。でもどうしても、自分があの恐ろしい音の出る道具を操って、使いこなす姿を想像できません。音が静かで軽い草刈り機が開発された暁には、私はようやく庭に出る事ができるでしょう。
ところでこの緑に犯され尽くしているのがうちの庭です。右に見えるのが、かつて物置だったけど今は蜂と小動物の家になってしまった小屋です。どうして蜂と小動物の家になってしまったかというと、扉が閉まらなくなったからだと思います。いつだって、誰だって出入り自由の小屋になってしまったからです。
時々、中がどんなことになっているのか恐る恐る覗いてみますが、大概鳥肌が立って見るのを途中でやめてしまいます。昔はただの物置きだったのに、生命体が潜むとなるともう、ただの物置ではなくなるのです。神秘の小屋、畏怖の念を抱かせる小屋へと変貌してしまいました。もう私の力ではどうすることもできません。
そしてこの写真で母が立っている場所は、昔うちで飼っていた猫のフンを捨てていたので、異常に肥沃な土壌となり夏にカブトムシが大量発生するという珍事をもたらしました。その飼っていた猫のミント君も、10年前猫エイズで永眠し、まんまとこの庭に埋められ、毎年12月24日の彼の命日に私が一人で線香をたむけています。私が草抜きをするのは、一年でその日だけです。ミント君の墓の周りだけ。
このように、小さな庭ですが色々な出来事がちゃんと起こるものです。