ShihoSeji Blog

イラストレーター瀬島志保子のブログ
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隣町へ、父母来る。

私の住む隣町の市民会館で、大きなマジックショーをやるから観に来るようにと親に夏くらいから言われていました。100回くらい書いてますが、うちの父はマジシャン。でももうおじいさんだから、ほとんど審査員とかしかしてないけど。

この日も父は審査員、母はアナウンス業務に忙しく、私も夫と観に行く予定でしたが夫の扁桃腺が腫れ上がり、寝たきり状態だったので、一人でとぼとぼと会場に向かいました。会場に着くと、雨の中大盛況のようで、前に進むのが困難なくらい。みんなマジック好きなんやねー。

マジック道具の展示即売会の模様。あるよあるよ、あの道具もこの道具もうちの父の部屋に転がってる。整理整頓好きな人がマジックをやるのは賛成だけど、うちの父のように片付けられない男がマジックに手を出すと部屋がカオスになる。母が怒りで何度か気を失いかけているのを見て来ました。会場で熱心に道具を見ているこのおじさんや、あの青年の部屋もカオスなんだろうか?と私は中央の階段踊り場からその様子を見ていました。

そもそも私はあまりマジックに興味がないので、夫が一緒に行けないなら行かないでおこうと思っていましたが、チケットを持っている人には美味しいおにぎりが配られるというので、おにぎり目当てに行ったようなものです。無事に夫の分のおにぎりも入手して、ついでに母からおやつももらうと途端に眠くなり、「もう帰る」と言って、マジックをほとんど見ないまま帰って来ました。罪深い三十路の娘をお許しください。

家に帰ると、加湿器に蒸されながら夫が寝ていました。枕元には、龍角散のど飴、トローチ、ポカリスエットという三種の神器をそろえているのに全然回復しない。もう1週間以上病人です。そういえばうちの父も喉が弱く、毎年冬は加湿器に蒸されながら冬を越しています。男の人のほうが生命力が弱いって本当なんやなあと思いながら、咳き込む夫におかゆを作りました。

 

  • 2012年11月12日
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ほぼコタツの空間。

コタツをニトリで買ったら、部屋の大きさに比べて大きすぎたみたい。足の踏み場もないほど、コタツでいっぱいです。コタツ布団も実家から頂戴したら、ものすごくボリューミィな布団で、「千と千尋の神隠し」に出てくる大根の神様「おしらさま」みたいになってしまいました。しかも、ボリュームがありすぎてコタツの天板が落ち着いていない。ちょっと浮いてるから、危険。毎日恐る恐る食事をする私達。

やすらぎを得るはずだったのに。世の中うまくいかない。

秋は絶好の洗濯日和。なので、干し野菜も始めた。干すと野菜の栄養が2倍だの3倍だの、20倍だのになるらしい。干し野菜の本には「干し野菜はとっても簡単!切って干すだけ!」とあったけど、「ドライ」「セミドライ」とかの加減が全然うまくいかなかった。取り込む瞬間を見逃してぼんやり過ごしていると、きゅうりなんか干涸び過ぎてどこにいったか見えなくなる程に。初めてだもの、しょうがないさ。

痩せ過ぎの難民のようになったしまったキュウリや人参を寄せ集めて、レシピ通りのゴマ酢和えにしてみたけど、見た目が悲惨になった。それが食卓に出ただけで、戦後の混乱期における食卓のような貧しさが醸し出された。味も、夫に申し訳ない味になってしまった。私だって残したいくらいですよ。食べたけどね。

多分、ちゃんとしたらちゃんとなるんだと思います。別に干し野菜は悪くない。悪いのは私のやり方だ。

比較的成功した「豚肉とセミドライ大根の味噌炒め」。野菜を干すと、確実に野菜の味自体は濃くなる。「味の濃い野菜」なんて、すごく良いと思うけど、その野菜の味のクセも濃くなるのでそこは覚悟したほうがいい。大根独特の苦み、人参独特の臭み、キュウリ独特の青臭さもものすごく凝縮されたような気がする。全体的に少し大人向けの味になるかもしれない。

誰にでも、合う合わないはある。私の中で干し野菜が定番となることは、多分ないかな。コツを掴む前にやめそうな自分が残念だよ。

  • 2012年11月7日
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安産祈願2。

やっと妊娠5ヶ月に入ったので、夫と共に本格的に安産祈願に熱田神宮まで行った。結婚式も熱田神宮、安産祈願も熱田神宮。自分にとってこの神社がこんなにも縁深いものになるとは思ってもいなかったなあ。今では、神宮内で混んでない洋式トイレにも迷わず辿り着けるようになった。

それにしても、いつ行っても混んでいる熱田神宮。しかもこの日は、七五三の家族連れでいっぱいでした。屋台ももりもりと出ていて、楽しげです。キランキランに着飾った子どもと、こってり化粧の母親とおばあちゃんとスーツのお父さん、ぼんやりついて来ているおじいちゃんがたくさんいた。愛知は祖父母と同居率が高いので、七五三もとても賑やかそうだった。

私は自分の七五三の時、猛烈に着物を着るのと化粧を嫌がって、泣き叫んで取り押さえられて大変だったことを、自分の記憶として覚えている。取り押さえられているのを、自分の目線から覚えていて、泣いているのに口紅を塗られて、まずくてまずくてとても嫌だったのだ。それで、どうしても下駄をはくのを嫌がったので、履くとキュピキュピと音が鳴るいつも履いていたお気に入りのサンダルで参加した。周りの子も1つ違いの姉も、みんな奇麗な下駄をはいてカラコロと歩く中、私だけキュピキュピと鳴るサンダルだった。みんなが頭に大きな飾りをつけている中、私だけ何にもつけずに、いつものはねた髪の毛のままだった。そう思うと、よくぞ自分の結婚式であんなに巨大なカツラを頭にのっけたものだと、自分に感心するのだった。

祈願してほしい人は受付をして、この大変に立派なお社で祈願してもらいます。この社内は、写真撮影禁止なんですが、ものすごーい立派で、まぶしくてありがたーい感じに仕上がっています。私達以外はほとんど七五三の家族連れの中、多くの子ども達の名前とともに私達夫婦の名前も読み上げられ、肩身が狭かったけどほっとした。ふと私達の隣に、ものすごくカジュアルな服を着た男性が一人で来ていました。どうやら厄よけに来た人のようでした。七五三の家族連れの中きっと肩身が狭かったろうにと思いました。何があったか知りませんが、あの方の厄が落ちますように。

この日熱田さんでいただいた「おさがり」というもの。お茶とお守りとお箸と落雁。千歳飴もどさくさにまぎれてほしかったな。妊娠して3ヶ月目に慌てて熱田さんで安産祈願のお守りだけ入手していたけど、なんだ今日もらえたのか。知らんかった。お守りだらけの私のリュックサックでした。

この日、久しぶりに社前で夫婦二人で写真を撮った。通行人の方を呼び止めて。撮った写真を見たら、夫の顔の方が私より小さくなっていた。夫にはしわ1つないのに、私には法令線がのびていた。「私は老けたのか?」と夫に問うと、否定しなかった。それどころか、「もう開き直ってるんだと思ってたけど、一応気にしてるんだね。」みたいな事を言われた。

へその緒も 法令線も のびる秋

 

  • 2012年11月4日
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いっしょな部分、いっしょでない部分。

私と夫には共通点が極めて少ないけど、あえて言うとしたら二人とも読書が好きで昼寝が好きだということ。なんて省エネなんだろう。これで夫がキャンプとバーベキューとスキューバダイビングが好きだったら私は疲れ果てていただろう。

私は割と何でも読む。でもなぜか夫が読む本とはあまり趣味が合わない。読書が趣味でも、内容はやはりそれぞれ異なるのだった。さらには映画の趣味も全く合わない。夫は主に邦画のハードボイルド系。私は基本的に外国の映画を好む。なんでかっていうと、外国人が出てる方が非日常的な感じがして楽しいからだ。夫は、「日本人でないとあんまり感情移入できない」かららしい。さらには音楽の好みも全く違う。夫は邦楽しか聞かない。私は、あまり声の入っていない音楽を主に好む。ピアノの音だけとか。夫曰く、「君の好きな音楽はすべて眠たくなるから、車では聴けない。」そうだ。

今はそれぞれ、別々のミステリー小説に夢中になっている。ジャンルは一緒でも、お互いの本はちらっと横目で見るだけで読む事はないのだった。

私が読んでいるのは、父から借りた「ミレニアム」。スウェーデン作家の書いたベストセラー小説だ。2010年に映画化もされている。私はこの小説に出てくるヒロインがとっても好きなのだ。小さくてガリガリで、タトゥーも入れていて、ピアスもじゃらじゃらついていて、ものすごく頭が良くて、ケンカが強くて、女性を侮辱する男を許さない、天才的なハッカーなのだ。そうしてとっても孤独なのだった。はっきりいって、私と似ている部分は身長のみだ。でも自分と似ているヒロインだったら、絶対に好きにならないとは思う。事件を何も解決できなくて、ソファでごろごろしている小太りのヒロインなんておもしろくもなんともない。ピアスの穴なんて数年前にふさがったままだ。とにかく、今は「ミレニアム」に私は夢中なのだった。

一方夫の小説はというと、日本の警察が常に舞台となっている。夫は、テレビで「警察24時、眠らない街」とかのドキュメンタリーがやっていると必ず観ている。警察が好きなようだ。

夫があまりに熱心に読んでいるので、私も読んでみようかなと思ってパラパラめくってみたら、中国の本かと思うくらい漢字が多すぎて目がくらんだ。「警察庁警備局警備企画課」みたいなのが、いっぱいはりついているので、目がかくかくとして疲労困憊してしまったので、今日の所はやめておこう。

「ミレニアム」は外国の本なので、名前もリスベット、マーリン、ミカエル、とかでシンプルで目に優しいのだった。まあ、いつかは夫の本も読もうとは思っているけれどね、、、。

全然関係ない話だけど、私は最近ホットケーキを焼くのが上手くなったのだ。まあ、この写真は少しひっくり返すときに失敗したけど。一枚一枚焼くのは面倒くさすぎるので、いつもでっかいぐりとぐら風なのだ。

  • 2012年10月30日
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シーチキン愛。

シーチキンが好きだというと、「子どもっぽいやつだ」と思われるので、あまり大きな声では言えない。しかし、あの大人気作家さくらももこさんだって、「初めてシーチキンを食べたとき、こんなにうまいもんが世の中にあったのかと思った。」と言ってたし、有名な料理研究家の栗原はるみさんだって「シーチキンは偉大。」って言ってたよ。

私は小学生の時から、自分でせっせと「シーチキンチーズトースト」を作っていた。自分一人だけの為に。大学生になって一人暮らしを始めたばかりのとき、ご飯に何を作っていいか分からず、「シーチキンとキャベツ」を主食にしばらく生きていた。そのうち、シーチキンとキャベツのパスタに進化したりポテトサラダに入れたりして、一人暮らしを乗り切っていた。毎日食べてても「やっぱ、シーチキンはうまいなあ。」と思っていた。その代わり、シーチキンは自分で調理して食べるものと思っているので、絶対に外食の時は食べない、というのが私のシーチキンルールである(回転寿しとかでは絶対取らないとか)

シーチキンが大好きだけど、シーチキンが大好きと大きな声で言ってはだめだと私は思い込んでいる。それはうちの父がシーチキンが嫌いだからである。「そんなもん、子どもの食べもんや。」と、私がシーチキントーストを嬉しそうに食べている横で言っていたし、うちの姉も「なんか、ネコの餌みたいやん。」と言ってのけたのだ。当時我が家の缶詰のゴミは、飼っていた愛猫ミント君の餌の缶詰と、私が食べていたシーチキンの缶詰のゴミだけだった。多分それを見ていた姉はそう思ったのだろう。私はシーチキンが好きだというだけで、子ども扱いされているような気持ちだった。(確かに家族でわさびが食べられないのは私だけだったし、お酒をなめてまずそうな顔をするのも私だけだったけども)それでも、母はスーパーに行くと、ちゃんと私にシーチキンを買ってくれた。(母は特に食べ物にケチをつけるということはない、マーガリンがたくさんついた菓子パンとかが好きである)

今結婚して、実家を出た。私は今また、シーチキンを猛烈に食べている。一人で食べている。夫もそんなにシーチキンが好きではないみたいだったから、一人でこそこそ食べている。最近は春雨サラダに混ぜて食べるのが流行っている。でも、なぜか、シーチキンの缶詰を開けるたびに罪悪感が生まれるのだ。シーチキンの缶詰が、不燃ゴミの袋に溜まって来たのを見て、自分がこれほどの量のシーチキンを食べているのだなと確認すると、またうっすらと罪悪感が生まれるのだ。子どもが産まれたら、その子はシーチキンを好きだと言ってくれるだろうか。私がスーパーでシーチキンの3缶セットを手に取った時に嬉しそうな顔をするのかなあ。私の味方になってくれるのかなあ。

 

  • 2012年10月25日
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