シーチキンが好きだというと、「子どもっぽいやつだ」と思われるので、あまり大きな声では言えない。しかし、あの大人気作家さくらももこさんだって、「初めてシーチキンを食べたとき、こんなにうまいもんが世の中にあったのかと思った。」と言ってたし、有名な料理研究家の栗原はるみさんだって「シーチキンは偉大。」って言ってたよ。
私は小学生の時から、自分でせっせと「シーチキンチーズトースト」を作っていた。自分一人だけの為に。大学生になって一人暮らしを始めたばかりのとき、ご飯に何を作っていいか分からず、「シーチキンとキャベツ」を主食にしばらく生きていた。そのうち、シーチキンとキャベツのパスタに進化したりポテトサラダに入れたりして、一人暮らしを乗り切っていた。毎日食べてても「やっぱ、シーチキンはうまいなあ。」と思っていた。その代わり、シーチキンは自分で調理して食べるものと思っているので、絶対に外食の時は食べない、というのが私のシーチキンルールである(回転寿しとかでは絶対取らないとか)
シーチキンが大好きだけど、シーチキンが大好きと大きな声で言ってはだめだと私は思い込んでいる。それはうちの父がシーチキンが嫌いだからである。「そんなもん、子どもの食べもんや。」と、私がシーチキントーストを嬉しそうに食べている横で言っていたし、うちの姉も「なんか、ネコの餌みたいやん。」と言ってのけたのだ。当時我が家の缶詰のゴミは、飼っていた愛猫ミント君の餌の缶詰と、私が食べていたシーチキンの缶詰のゴミだけだった。多分それを見ていた姉はそう思ったのだろう。私はシーチキンが好きだというだけで、子ども扱いされているような気持ちだった。(確かに家族でわさびが食べられないのは私だけだったし、お酒をなめてまずそうな顔をするのも私だけだったけども)それでも、母はスーパーに行くと、ちゃんと私にシーチキンを買ってくれた。(母は特に食べ物にケチをつけるということはない、マーガリンがたくさんついた菓子パンとかが好きである)
今結婚して、実家を出た。私は今また、シーチキンを猛烈に食べている。一人で食べている。夫もそんなにシーチキンが好きではないみたいだったから、一人でこそこそ食べている。最近は春雨サラダに混ぜて食べるのが流行っている。でも、なぜか、シーチキンの缶詰を開けるたびに罪悪感が生まれるのだ。シーチキンの缶詰が、不燃ゴミの袋に溜まって来たのを見て、自分がこれほどの量のシーチキンを食べているのだなと確認すると、またうっすらと罪悪感が生まれるのだ。子どもが産まれたら、その子はシーチキンを好きだと言ってくれるだろうか。私がスーパーでシーチキンの3缶セットを手に取った時に嬉しそうな顔をするのかなあ。私の味方になってくれるのかなあ。