ShihoSeji Blog

イラストレーター瀬島志保子のブログ
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暑がり、寒がり。

うちに忍者がきた。というのはウソで、寒がりの夫がついに顔まですっぽり覆う防寒具を買ってきた。本当は夫がつけているときのほうが5倍くらいおもしろいけど、つけているときを撮らせてくれないので代わりに私がかぶってみた。こういう人が家の中をうろうろしているのだ。相当に怪しさが増すので家の中でしかつけないらしい。

私の中で男性よりも女性の方が寒がりである、というのを常識のように思っていたけど、うちでは夫より私の方が寒さに強いようだ。そして私の方が数倍暑がりだ。

夏に、「エアコンつけてもいいけ?」とせがんでいたのは私の方だった。薬局で買ったクール枕というもの無しでは寝られなかった。冬になって、真っ先に風邪をひいたのは夫で、薬局でホット枕を買って来たのは夫だった。私は最近まで、夏用のシーツでも全然平気だったけど、夫はそのときすでに毛布を3枚と羽毛布団、靴下をはいて寝て、何枚も服を着て寝ていた。そして最近はついに、このフェイスカバーをつけて寝ている。その隣で、私はたまに暑くて布団をぬいで寝ていたりするのだ。

皮下脂肪の力ってすごい。映画「タイタニック」で船が沈んでから、ジャックはローズを海に浮かぶ板の上にのせてかばっていたけど、本当は痩せてるジャックが板の上に乗るべきだったんだ。どうみたってローズのほうが皮下脂肪がついてた。私もどうやら海で遭難した時は、夫を板の上に乗せなくてはいけないようだ。そういうことで、最近は毎朝車で夫を駅に送っている。とてもこの寒さの中、夫が自転車をこげるとは思えない。

夫は最近なんだか毎日一点ずつ「寒さに効きそうなもの」を買って来ているような気がする。今度は薬用養命酒を買って来たので驚いた。本人曰く、「寒いからじゃなくて、右足のむくみが気になるから」らしいけど。いつもCMで流れてた養命酒、どんな人が飲んでるのかと思っていたけど、急に我が家の日常に仲間入りを果たした。私は妊娠中だから飲めないけど、いつも顔を歪めて一気に飲み干している夫をじっと見守っています。

夫のことばかり言ってるけど、私は私で年寄り臭く入浴剤が大好きだ。入浴剤と言っても、おしゃれなバスソルトとかラッシュのバスボムが好き!とかじゃなくて(それには憧れてるけど)、もっとこう白檀の香りが漂う「旅の宿」シリーズに馴染みが深い。母も、私の入浴剤好きを知っていて、お歳暮なんかでもらったやつをそのまま私に横流ししてくれる。

「今日はこの入浴剤で決まりだ、、、。本日我が家は湯布院なり。」と思いながらお風呂に入るのが楽しみなのだ。そうして、その残り湯を洗濯にも使うものだから、夫のシャツからは渋い白檀の香りが漂っている。

 

  • 2012年12月5日
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ばあさま達の愛。

三重で暮らす母から定期的に荷物をいただいています。そこには私が要望した数々の品物が入っています。毛布を3枚くれ、海苔は余ってないか、あそこのあの本棚に入っているミステリー小説を入れてくれ、など多種多様な要望に、母は細かく対応してくれて非常に助かっています。そして感謝しています。

その荷物の中に、同じく三重に住む私のばあさまからも野菜やらなんやらが入れてくれてあります。母が私に荷物を送る頃合いを見計らって、ばあさまは私に届けたい諸々を一緒に荷物に詰めてくれます。

今回は、巨大な白菜丸ごと一個と大根二本、私の大好きなお漬け物でした。私はスーパーのお漬け物ではダメなのです。おばあちゃんの漬けたやつが好きなのです。かといって、これまたばあちゃんの漬け物は、万人受けはしません。その独特の匂いと味は、ばあちゃんの漬け物マニアであるごく一部の人間しか好きではないかもしれません。私とか母とか、それで育って来た人間は、その味が麻薬のように好きです。なんというか、濃ゆ〜い乳酸菌の味がするのです。私の夫は、その特殊な匂いにおじけずいて、食べられないようでした。それをいいことに、私はこの送られて来た漬け物を一人で大事に食べています。

私は、ビニール袋で固く閉じられたその漬け物の封を開けたとき、その濃い漬け物の匂いとともに、冬のおばあちゃんちのストーブの匂いと夕ご飯の匂いを思い出し、それが当たり前に自分の日常にあったことが懐かしくなりました。あの時間は永遠に続くものではなかったのですが、永遠ではないからこそ、大事な記憶となるのです。

ばあちゃんは時に、母と荷物の梱包の事でケンカしながらも、一緒にダンボールに愛情を詰め込んでくれるのでした。

今回、私が入れてほしいとお願いした品物の中に「毛糸の靴下」というのがありました。この靴下は、2010年に亡くなってしまったもう一人の私の大阪のばあちゃんが、生前大量に作っていたストックの靴下です。このばあちゃんは編み物が得意でした。冬になると、私も姉も当たり前のようにこの靴下をはいていました。もう何枚もやぶけて、何枚も今まで編んでもらいはいてきました。ばあちゃんが死んで、この世からいなくなってしまっても、まだはいていない靴下のストックがあったのです。

今までは、やぶけたらまた縫ってもらえばいいやと思っていましたが、これからは簡単に捨てられないのだなあと思います。ばあちゃんの笑っている遺影より、この靴下のほうが何倍も、ばあちゃんの存在を思い出させるのでした。それはそこに存在して、私の足をまだ温めてくれているのです。

熱い想いを語ったあとに、全く関係のない話をします。先日友人のひとみちゃんがくれた美味しい抹茶ケーキの残りをむしゃむしゃと食べていたところ、ケーキの中から奇形のイチゴちゃんが這い出して来ました。最初知らずに口にほりこんでから、イチゴに存在感のある突起を感じて出した所、かなり変わった形をしていました。これは、、、私のお腹の赤ちゃんが男の子だということを予言しているのでしょうか?ちなみにまだ性別ははっきりしていません。

そして、こういう形のイチゴちゃんも、ちゃんとケーキに入れてくれたケーキ屋さんに、私は何か妙な温かさとユーモアを感じたのでした。

  • 2012年12月3日
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ひとみちゃん、よーちゃん来る。

よく見たら左端に「尿感」って文字が見える。申し訳ない映像をバックにかわいい後ろ姿を撮ってしまった。ごめんね、よーちゃん。さらには、ヤンママひとみの太ももまで激写。ごめんね、ひとみちゃん。本日、我が故郷三重から、高校時代からの友人ひとみちゃんとその息子ちゃんのよーちゃんが遠路はるばる来てくれました。片道二時間程を、1歳に満たない赤子を連れて一人でカーを運転してくるひとみちゃんは、スゴイ。とインドアな私は思う。私は近隣のスーパーに行くのさえ、カーを運転するのが億劫であるのに。

今最も私が色々インタビューしたい、リアルな母子が目の前に現れてくれたので、もう家に上がる手前の階段を登る辺りから、質問を雨のようにひとみちゃんに降らせてしまった。チャイルドシートから、離乳食から、だっこひもから、出産時の陣痛間隔から、母乳に適したチクビの長さから、便意と陣痛の違いから、マザーズバックの中身まで、ひとみちゃんは包み隠さず見せてくれて、色々教えてくれた。出張教室のようだった。

以前、3月くらいに私が三重のひとみちゃんちを訪れたときは、「子育て疲れのどん底」であったひとみちゃんは、私の目にもはっきりと彼女の疲労の色が見えていた。そのときまだ生まれて間もない息子のよーちゃんは、ただふにふにと泣き続ける存在で、かわいいけどあまりにも取り扱いが難しそうな生き物であった。

ところが今日現れたもうすぐ1歳になるよーちゃんは、ひとみちゃんにそっくりの黒めがちな目をくるくるとさせて、赤ちゃん特有の「あーあー、まーまー」と言うなん語を機関銃のように発射していた。はっきりと、私のことも認識してコミュニケーションをとってくれる。おもちゃを渡してくれるし、トイレに行った私を追いかけて来てくれる。小さな意志を持った人がそこにいた。

赤ちゃんが来るので、私はできる限り部屋の中に何も置かないように掃除したけど、それでもどこから見つけて来たのかゴルフボールをいつのまにかくわえていたり、テレビにくっついていたビニールテープをひっぱったりしてくるよーちゃんを、ひとみちゃんが怒らないようにどうにかして注意をそらして引きはがす。私と話していても、ちゃんとよーちゃんの行動を見ていて、手を出しすぎないくらいの、ちょうどいい感じで見守っているのがすごいのだった。それで、泣き出すと一瞬で泣き止ませる方法までちゃんと熟知していた。すごくお母さんだった。

お昼は、私が平凡なカレーを作って、ひとみちゃんが美味しいケーキを持ってきてくれました。あのカレー、ちょっとしょっぱかったね、、、ごめんね。

3月の、子育て疲れ真っ最中の時でさえ、ひとみちゃんは自宅の中でかわいくおしゃれにしていた。今日も、ふさふさのまつげとハートのピアスとおしゃれなピカピカの靴をちゃんと履いて、おしゃれをしていた。私は、「自宅だし!」と思ってノーメークで、いつも着ているジャージでチャルメラのおじさんみたいな格好だった。久々に同じ年のおしゃれをしている女子と話すと、「ちゃんとせな!」と私も背筋の伸びる想いがした。今のままじゃ、生まれてくる私の赤子があまりにもかわいそうであった。お母さんがチャルメラのおやじみたいだったらショックだろう。最近顔の産毛もスコールの後のサバンナのようで、夫についに「鼻毛が出てるよ」と言われたばかりだったのだ。

ピンクのラパンに乗って、颯爽と手を振り帰って行くおしゃれアクティブママひとみちゃんを見送り、赤子と対面するまえに美容院に行かねばと思った。

  • 2012年11月29日
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養老天命反転地。

岐阜県の養老公園にある不思議テーマパーク「養老天命反転地」へ行って来ました。この公園は現代美術家の荒川修作と詩人のマドリン・ギンズさんのプロジェクトを実現した、芸術作品ともいえるテーマパークなのだそうな。

広大な敷地内には迷路状の建物やすり鉢状のフィールド、曲がりくねった回遊路など、日常にはまずないユニークなパビリオンが点在しています。すべて斜面で構成されたパーク内を回遊すると、非日常的な感覚を体験できます。というのが公園の説明書きにはなされています。

敷地内の建物には、それぞれ「昆虫山脈」や「極限で似るものの家」「白昼の混乱地帯」「もののあわれ変容器」といった、詩人が考えそうなかっこいい名前がついている。

友人ヨーコちゃんが「楽しかったよー。一宮に居る間にいってみたらー。」と言うておったので、ある晴れた日、夫と行ってみた。みかんとロッテのチョコパイ、水をリュックサックにいれて。

受付に行ってチケットを買うと、「作品内には窪地やすべりやすい斜面もございます。歩行には十分ご注意ください。ヘルメット及び運動靴の無料貸し出しを行なっております。また万一ケガをされたお客様にはミュージアムショップに救急箱もご用意しておりますので、お近くのスタッフにお声をおかけください。」という紙を渡された。

え。そんなに危ないの?私こんな妊娠中のでっかいお腹で何しに来たんだ、、、??とうっすら私は後悔し始めた。時期が悪いんやないか?その予感は的中した。

ほとんどの斜面も、段差も、迷路も、お腹がつっかえて大変だった。夫もいちいち手を貸さねばならず、私達はほとんど無言で歩を進めた。「失敗やったな。」「今来たらあかんだな、、、。」と私は一人ぶつぶつと文句を言っていた。身軽な身で来ていたら、かなり楽しかったはずだ。

見ると、健康体であるはずの夫もハアハア言っていた。広大な空間で、チョコパイを食べながら妙に心細かった。

そうして、まあだいたい分かったよ、という雰囲気になって私達は足早にこのパークを後にした。私は夕方猛烈な頭痛を発症して、そのまま朝まで床についた。お腹の子に申し訳ない気持ちになった。養老天命反転地にさえも申し訳なく思った。でも、反転地で刺激されたのか、その日の晩に初めての胎動が始まった。頭痛にうなされながら、お腹の子が私の腹を蹴っているのを感じて少しにやにやとした。

みなさん、ここを訪れる時は、お腹に子がいない時に、ズボンで、運動靴で、できれば両手をふさがれないバッグで、お弁当と飲み物をもって、冒険心を溢れさせて、元気な時に行ってください。

  • 2012年11月28日
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沖縄旅行、3日目。

しゅーりーじょー。首里城。ガイドさんが、、、ガイドさんなのに「実際観てがっかりするベストスリーの観光名所にですね〜、首里城が入ってるんですよね〜。あはははは。なんか思ったより小さいとかなんとかでねー。」と笑って言ってましたよ。

いやいや、そんなこと思わなかったですよ。特にお城の内部がおもしろかったです。王様が座る椅子とか、ラストエンペラーみたいでなかなかドラマチックでした。こんな雰囲気のお城は、日本国内では本当に沖縄しかないから、沖縄ってやっぱりだいぶ本土とは違うんだなあというのが感じられましたよ。中国って感じがした。

お城付近にある、テンションの高いアイスクリーム屋。ここもやはりブルーシールアイス。由緒正しき世界遺産といえども、国民は生活が第一だからね。売るよ〜アイス。修学旅行生に向けた変な言葉の書かれたTシャツもバンバン売ってたよ。京都でも売ってるもんな〜。またそれを買っちゃうんだよな〜修学旅行生が。私も小6の修学旅行で全然京都に関係ない変なおみやげ買ったもんな。「ミニミニ鉛筆セット」とかいうやつ。

沖縄と言えば忘れては行けないのが戦争の傷跡です。首里城の後は南部戦跡巡りと題して、ひめゆりの塔、ひめゆり資料館、平和記念公園を訪ねました。私は、小さい頃から「はだしのゲン」とか目をそらさず自ら進んで読みあさるような、戦争話を比較的好む子どもでありました。図書館へ行くと、「アウシュビッツの歴史」とか「写真で見る太平洋戦争」とかを影でひっそり読んでは、「よかったよお、戦争の無い時代に生まれてよお。」と静かに恐れおののいていました。折にふれ、「戦争の無いありがたさ」を一人で勝手に振り返る習慣がありました。だから妙に「ゲシュタポ」とか「ガマ」とか「バンザイクリフ」とか言葉には詳しいのです。

ということで、今回はこの戦跡巡りも楽しみにしていました。このひめゆりの塔のその真下の洞窟で、まさしく女学生達は爆弾を落とされ亡くなったのだそうです。資料館の中を歩きながら、私は夫に「良かったよなあ、私達は戦争の無い時代に生まれてさあ。」と言うと、夫が「まだ分かんないよ。これから起こるかもしれないじゃん。」とぽつりと返して来ました。ぎゃー! でも確かに、外国ではいつもどこかで戦争が起きてるもんな。たくさんの人が死んでるもんな。まだ全然終わってないんだろうな。

平和記念公園辺りで超大雨が振り出し、その後ずっと雨が降っていました。お陰で写真を撮る気持ちの余裕がなく、全体的に必死のツアーに。

南部戦跡巡りのあとは、おきなわワールドとかいうテーマパークに行ったのですが、写真がそういうわけで少ないです。この施設の目玉は、国内最大級という鍾乳石の巨大洞窟「玉泉洞」であります。いやーすごかったよ。何がすごいってもう距離が半端無く長い。もう途中で本当に出たくなる。広い空間に帰りたい、ここから出たい、お腹空いた、という強い意志だけで前に進む感じになってくる。狭くて一方通行なのに、途中で大々的に記念撮影なんかしてる集団がいたりすると、もう気を失いそうになる。「そこを通してくれ!」と大声出しそうになって、自分の心の狭さとの闘いであったともいえます。

でも顔ハメだけはする。心の余裕は全くなくなってきてるけど。これだけ頑張って顔ハメしてるのに、撮影係の夫が「これはイマイチだね。おもしろくないよ。」と。ああ疲れた。

やっとここから出た後は、昼ご飯でバイキングだったのですが。これが全くの期待はずれで、もう人が多すぎて、食べ物の奪い合いになってるのよ。もーひどい。人が少なければ良かったんだろうけどね。沖縄ならではの食材を取ろうと一生懸命になったけど、途中であきらめて、なぜかからあげとかフライドポテトとか、カレーとか、競争率の少ない方へ流れたのでした。普通にフライドポテトが美味しくて一人で往復してたけどさ。

旅も、やっと、やっと終わりに近づき、ガイドさんもお別れの歌を歌ってくれる。沖縄の歌はいいなー好きだなー。私達夫婦は、最後の観光スポットである新原ビーチは疲れ果てて動けず、なんとバス内で待機。だって雨だし、もう動けない。 夫と「もうおうちに帰りたいね。家でごろごろしたいね。」とうなされる。やっと空港について、搭乗時刻まで二時間もある。

喫茶店でぼんやりしながら時間を潰す。飛行機に乗って、家に着いたのは深夜を回っていました。布団に入る前に、「やっぱり我が家が一番やね。」とお互いうなずきあった。

今度もし沖縄へ行くなら、竹富島とかで一日中海を眺めているような旅にしよう。

  • 2012年11月26日
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