しゅーりーじょー。首里城。ガイドさんが、、、ガイドさんなのに「実際観てがっかりするベストスリーの観光名所にですね〜、首里城が入ってるんですよね〜。あはははは。なんか思ったより小さいとかなんとかでねー。」と笑って言ってましたよ。
いやいや、そんなこと思わなかったですよ。特にお城の内部がおもしろかったです。王様が座る椅子とか、ラストエンペラーみたいでなかなかドラマチックでした。こんな雰囲気のお城は、日本国内では本当に沖縄しかないから、沖縄ってやっぱりだいぶ本土とは違うんだなあというのが感じられましたよ。中国って感じがした。
お城付近にある、テンションの高いアイスクリーム屋。ここもやはりブルーシールアイス。由緒正しき世界遺産といえども、国民は生活が第一だからね。売るよ〜アイス。修学旅行生に向けた変な言葉の書かれたTシャツもバンバン売ってたよ。京都でも売ってるもんな〜。またそれを買っちゃうんだよな〜修学旅行生が。私も小6の修学旅行で全然京都に関係ない変なおみやげ買ったもんな。「ミニミニ鉛筆セット」とかいうやつ。
沖縄と言えば忘れては行けないのが戦争の傷跡です。首里城の後は南部戦跡巡りと題して、ひめゆりの塔、ひめゆり資料館、平和記念公園を訪ねました。私は、小さい頃から「はだしのゲン」とか目をそらさず自ら進んで読みあさるような、戦争話を比較的好む子どもでありました。図書館へ行くと、「アウシュビッツの歴史」とか「写真で見る太平洋戦争」とかを影でひっそり読んでは、「よかったよお、戦争の無い時代に生まれてよお。」と静かに恐れおののいていました。折にふれ、「戦争の無いありがたさ」を一人で勝手に振り返る習慣がありました。だから妙に「ゲシュタポ」とか「ガマ」とか「バンザイクリフ」とか言葉には詳しいのです。
ということで、今回はこの戦跡巡りも楽しみにしていました。このひめゆりの塔のその真下の洞窟で、まさしく女学生達は爆弾を落とされ亡くなったのだそうです。資料館の中を歩きながら、私は夫に「良かったよなあ、私達は戦争の無い時代に生まれてさあ。」と言うと、夫が「まだ分かんないよ。これから起こるかもしれないじゃん。」とぽつりと返して来ました。ぎゃー! でも確かに、外国ではいつもどこかで戦争が起きてるもんな。たくさんの人が死んでるもんな。まだ全然終わってないんだろうな。
平和記念公園辺りで超大雨が振り出し、その後ずっと雨が降っていました。お陰で写真を撮る気持ちの余裕がなく、全体的に必死のツアーに。
南部戦跡巡りのあとは、おきなわワールドとかいうテーマパークに行ったのですが、写真がそういうわけで少ないです。この施設の目玉は、国内最大級という鍾乳石の巨大洞窟「玉泉洞」であります。いやーすごかったよ。何がすごいってもう距離が半端無く長い。もう途中で本当に出たくなる。広い空間に帰りたい、ここから出たい、お腹空いた、という強い意志だけで前に進む感じになってくる。狭くて一方通行なのに、途中で大々的に記念撮影なんかしてる集団がいたりすると、もう気を失いそうになる。「そこを通してくれ!」と大声出しそうになって、自分の心の狭さとの闘いであったともいえます。
でも顔ハメだけはする。心の余裕は全くなくなってきてるけど。これだけ頑張って顔ハメしてるのに、撮影係の夫が「これはイマイチだね。おもしろくないよ。」と。ああ疲れた。
やっとここから出た後は、昼ご飯でバイキングだったのですが。これが全くの期待はずれで、もう人が多すぎて、食べ物の奪い合いになってるのよ。もーひどい。人が少なければ良かったんだろうけどね。沖縄ならではの食材を取ろうと一生懸命になったけど、途中であきらめて、なぜかからあげとかフライドポテトとか、カレーとか、競争率の少ない方へ流れたのでした。普通にフライドポテトが美味しくて一人で往復してたけどさ。
旅も、やっと、やっと終わりに近づき、ガイドさんもお別れの歌を歌ってくれる。沖縄の歌はいいなー好きだなー。私達夫婦は、最後の観光スポットである新原ビーチは疲れ果てて動けず、なんとバス内で待機。だって雨だし、もう動けない。 夫と「もうおうちに帰りたいね。家でごろごろしたいね。」とうなされる。やっと空港について、搭乗時刻まで二時間もある。
喫茶店でぼんやりしながら時間を潰す。飛行機に乗って、家に着いたのは深夜を回っていました。布団に入る前に、「やっぱり我が家が一番やね。」とお互いうなずきあった。
今度もし沖縄へ行くなら、竹富島とかで一日中海を眺めているような旅にしよう。