
私も夫も特に車に格別の興味はない。しかし、2歳半の息子は違う。格別格段の興味が車にある。もはや車にしか興味が無いといっても過言ではない。図書館に行けば2時間車の図鑑を観ている。しかも乗用車ではなく、トラックやバスなどの働く車が最も好きなようだ。ろくにしゃべりもしないのに、「マカダムローラー」とか「フォークリフト」「ホイールローダー」などの工事用車両の名前だけはすらすらとのたまう。
そんなことで、東京ビッグサイトで開催されている東京モーターショウに行ったのだ。

子どもにしか許されないかぶりつきの観賞をする息子。ベビーカーも持って来ていたが、車が見えた瞬間飛び降りて、ベビーカーは無用の物となった。無数にある車を、一つ一つ夢中で観ようとしているので、そんな体力も時間もない我々大人は、「こっちにもっといいのがあるよ」などとささやきながら、どうにか奥へ奥へと息子を誘い出す。

工事用車両好きが皆歓喜の声をあげる、なんかすんごい車両があった。その名もスパイダーらしい。車に興味はなくとも、楽しい。未来、近未来の車がたくさん観られる。奇麗なおねえさんが、車と一緒に回転台でくるくると回っているのをみると、あーテレビで観た事ある、と思う。それで、とにかくやはり圧倒的にギャラリーは男の人が多くて、みんなバズーカみたいなカメラを首からぶらさげている。びっくりするぐらいみんな熱心である。そりゃ、車が好きで来てるんだもんね、当然と言えば当然なんだけど、男の人はなんだか子どものままの心をずっと持っているのだろうなと、その真剣な表情を見て思った。

今回の目的は、トミカでした。なんやかんやで、我が家にもトミカのミニカーがどんどん増えて、今では数えきれないくらい家中に転がっている。そのミニカーで有名なトミカも会場を持っているという情報を夫が何かで見て、「限定のトミカがあるらしい、、、モーターショウ行ってみようか」と夫が提案してくれたのであった。夫は、「限定」が好きである。コンビニなどで売っている季節限定の味とか好きなようだ。
トミカの会場はとにかく遠かった。というか、ビッグサイトがでかすぎて、びっくりした。動く歩道で移動しなけりゃいかんのだもん。やっと着いたと思ったら、子ども子ども子どもの波。そりゃそうだろうが、もう見れないくらいびっちりと小さな子どもとその親が特設ブースを囲っていた。息子は抱っこされていたのをびょーんと飛び降りて一目散にトミカに駆けて行った。そしてあっというまに子どもの山の一部となった。
夫はというと、「適当に買ってくる」と言ってどこかへ消えて行った。私はとにかく息子を見失わないように下から見える青いスニーカーだけを目で追っていた。子どもというのは、お金を持っていないけれども、大金を動かせるのだなあと、ぼんやりと思った。親は子どもの願いを何でも叶えてあげたいと思うのだもの。このトミカブースには、そんな親がたくさんいて、もちろん自分もそんな親の一人であって、なんだかオモチャ会社に対して口惜しいような気持ちになったが、トミカにめちゃくちゃ詳しくなっていく自分がいるのは紛れも無い事実。
限定トミカを購入する長い列を見て、「まさかこんなに並んで買ってはないだろう、夫もあきらめただろう」と思っていたら、突然私の後ろにぼんやりと夫が現れた。「4台買った。」とぽつりと言った。えーすごい。父ちゃん、やるじゃん。一気に出すともったいないので、息子がどうにもならんくらいぐずったりしたときに小出しにしようとなった。
親は限定だというので騒いだりするけど、子どもはあんまり限定とか関係ないような気がする。好きな車両が、好きなだけで。うちはもっぱらトラック。
トミカブースを後にして、昼ご飯を食べ、トラックブースでまた大騒ぎしたあと、息子は気を失うように寝た。夫に息子をまかせ、私はダイハツとレクサスのブースを見た。息子がいないと、突然どうでもよくなった。うーん、子どもの力はすごい。
とても楽しい一日だった。息子に「今日は楽しかったね」というと「トラックみた、トミカショップみた」と言った。息子なりに今日一日を素敵な日だったと思ったらしかった。帰っても、モーターショウの本を一人でぱらぱらとめくって「これみた」と言っていた。
子どもの輝く顔をみたいために頑張る大人を今日はたくさん見た。車が大好きで、キラキラした目で車を見つめるたくさんの大人の顔も見た。世界の未来が明るくなってくれればいいのに。こんな美しい車がたくさん走る世の中になるのだろうが、世界は本当はどうなっていくのだろう。子どもが皆、子ども時代に何の心配もせずに愛情に包まれて過ごせるような世界になればいいのに。

息子が満3歳になったら、絶対に幼稚園に入れようと思っていました。子どもを産んでから、幼稚園には4年保育と3年保育というのがあるという事も初めて知りましたし、満3歳児保育という言葉ももちろん知らなかったのですが。
満3歳児保育というのは、3歳のお誕生日を迎えた月から幼稚園にすぐに入れるというものらしいです。例えば、うちの子だったら4月生まれなので、4月に幼稚園に入れるんです。6月がお誕生日で3歳になる子だったら、6月から幼稚園に入れるという、そういうことらしいです。おそらく自分の子が2月生まれとかだったら、満3歳児保育とか考えなかったでしょうけど、4月生まれなのでほぼ一年幼稚園に入るのを待たなきゃいけない。そんなことはできん。一刻も早く預けたいのです。
そう、要は、一刻も早く預けたい。ということです。もちろんたくさんの刺激を外の世界で浴びて来てほしいし、早く社会というものがあることを知ってほしいと思います。
ところが、江戸川区は満3歳児保育をしている幼稚園が少ない。幼稚園自体はめっちゃくちゃたくさんあるけど、満3歳を預かってくれるところは少ないんです。まあ助成金をたくさん出してるから、そんな手を広げられないのかもしれない。事情は知らんが、とにかく少ない。
だから私は去年から細々と幼稚園探しを始めて、隣の葛飾区にまで足を運んだりして全部で4つの幼稚園に首をつっこんだりしました。こんなのまだ少ない方で、10個くらい見たという人もいれば、全部見た方がいいという人すらいました。お母さんが口を揃えて言うのは「うちの子に一番合った幼稚園を探すまでは、探すのをやめない」ということだそうです。
何?なんなの?うちの子に一番合った幼稚園って、、、?うちの子って何が合ってるって言うのさ。そんなん知らんし。まだ2年半しか生きてない人間に何が合って何が合わんというのか。昨日むしゃむしゃ食べてた食べ物を、今日は全く食べなかったりする生き物ですよ。あ、気まぐれってことか。
そんなことで、私は子育て広場で会うお母さんたちの熱心さにびびりながらも、さっさと感化されて、会うお母さんみんなに「幼稚園って考えてますぅ?」とか挨拶代わりに聞くくらいの感じになった。
その結果「あそこの制服はブランドで高い」とか「朝6時に並んで抽選券をもらわないと入れない」だとか「園長先生が眉毛を整えすぎてる」だとか「園庭が広すぎて、先生が目を隅々まで配れないからダメ」だとか。もう、ありとあらゆる情報が私のちっこい脳みその中を駆けずり回って、神経を衰弱させました。
まあまあ、それでもどうにか2つに絞り込んでね、一つは面接もあって、土曜日に夫はスーツ、私はワンピース、息子もフォーマルな格好をさせて、無理矢理顔に粉をはたいてよそゆき顔で行ってきました。
今結果待ちです。これから先、何度もこういう気持ちになりながら子どもの成長を支えていくんでしょうな。

内容と写真は関係ありません。今、まさにイヤイヤ期の息子。2歳5ヶ月です。2歳2ヶ月くらいから多分始まってる。それまで別に素直だったわけでもなく、急激な変化という訳でもないのですが。本当にずーーーーっと「いや」と言っている。ボキャブラリーがまだ少ないから、とにかく不平不満を言う時は「いや」しかないのだね。あとは「ダメ」。「いやー」と「だめー」を連呼しながら生きている。
私が何かを注意すると「かあか、いや」。夫が何かを注意すると「とおと、いや」。注意するといっても「牛乳、こぼれそうだよ」とか、そういう内容でもとにかく攻撃される。最近暴力を覚え、気に入らないとひたすら私を殴る殴る、蹴る蹴る。朝から晩までDVを息子から受けています。
身内だけならまだしも、お隣に住んでいる1歳10ヶ月のゆう君にも、通りすがりに蹴ったり、たたいたり、密かにつねったりしているので本当に目が離せない。これがちょっと年上の4歳のななちゃんには、デレデレで、絶対叩いたりしない。自分よりちょっと小さくて男の子のゆう君のことが気に入らないらしい。だから私はゆう君とゆう君のママにずーっと謝っている。そして、叩く息子のことを怒り続けなくてはならない。私も、息子も切ないのだ。でもゆう君も遊びたがるし、うちの息子も遊びたいし、私はゆう君のママとおしゃべりしたい。
毎日、一瞬一瞬、息子の機嫌が悪くならないように気を使う。眠くなって来たら眠りに誘う。お腹が空いたというとすかさずおやつを与える。できるだけ、行きたい場所、つまり車のオモチャがたくさんある場所に連れて行く。外出先でもお腹がすくと機嫌が悪くなるので、常にせんべいを携帯する。
狭いマンションで、私と息子、息子は何をしても嫌がるときがある。私は胸が詰まりそうで、そんな時息子がジュースをわざとこぼすと、私は息子の頬を叩いてしまう。私も泣きながらジュースを拭く。叩かれた息子は、私の泣き声をかき消すくらいの大声で泣く。
都会の核家族の子育ては、孤育てで、誰か一人でもそんな時隣に居てくれたら、全然ちがうのになあと思う。それは例え子どもだっていい。だから、ゆう君と息子がケンカしても、私はお隣のゆう君のママと一緒に居たい。ゆう君ママもきっと同じ。
でもいなくなればいいのにと思ったことは一度も無い。毎日、居てくれる事が嬉しい。すごいことだなあと思う。仲良くやれない日もあるけど、できるだけ毎日楽しい日にしていこうと思う。

季節の変わり目には必ず風邪をひく私と2歳の息子。だいたい息子が風邪をひき、母子の濃厚接触により私も間もなく風邪をひく。幾度となくこれを繰り返してきているので、この秋もまたかという感じだった。
いつも通り、咳をしはじめ鼻水をたらたらと流す息子。でもすこぶる元気なので医者にも連れて行かなかった。「鼻水が出ていても機嫌良く元気であれば医者に連れて行ったり薬を飲ませなくてよい」という小児科医が書いた本を何回か読んだことがあったので、そのスタンスできたのです。
鼻水をたらすようになって3日目の夜。風呂から上がったら急に「ミミ、イタイ」と息子が言い始めた。「痛いの?絵本読んであげるからもう寝よう。」と言っても、泣いてなかなか寝ない。これはいつもと様子が違うと思って、夫に話すと「救急に行こう」となった。鼻水が出ていて、耳が痛いというのはまず中耳炎だろうと、子どもの病気の本を読んで知識はあったのでそこまで焦ったりしなかったが、とにかく寝てほしいので救急で診てもらおうとなった。車で10分ほどのところに小児科の救急があってよかった。ところが耳鼻科はやってないと壁に書いてある。受付の人に事情を話すと、医者に伝えてくれた。診てくれるらしい。
やはり中耳炎という診断。痛み止めの座薬と、粉薬を一晩分だけくれるという。今まで薬を子どもに飲ませた事がないというと、医者は目を丸くしてとても驚いていた。そんなに驚く事なのかと、逆に私は驚いた。2歳でそんなに薬を飲んでいるものなのか、世間は。今まで大きな病気もせず元気でいてくれた息子に感謝。ってでもまだ2歳5ヶ月だよ。これからも色々あるだろう。
座薬を入れるのは、自分が痔持ちなのですごく慣れている。夫が一生懸命息子にいれようとしたが、できなかったので私が代わりにやったらすぐに入った。私の痔も役立つ事があったか。夜中に何度か泣いたがどうにか寝てくれて朝を迎え、耳鼻科に駆け込んだ。
その耳鼻科の先生は知識量がものすごかったが、こわかった。「子どもの鼻水がでたらすぐに鼻水を吸引してやらないと中耳炎になる。ほっときすぎ。ひどくなると難聴になるぞ」と脅された。私は縮み上がった。息子は医療用の鼻水吸引機でぎゅいんんんと凄まじい量の鼻水を吸引されて大泣きして大暴れした。粉薬と、耳にさす薬をもらった。
小さい子にはアイスやジュースに混ぜて飲ませてくださいと薬剤師さんに言われたのでアイスに混ぜたら、一口食べて首をかしげ、食べない。ジュースに混ぜても一口でやめる。耳に入れる薬は、悪い方の耳を上にして穴に5〜6滴たらして、10分間そのままの姿勢にしてくれと、そんなことは2歳児には無理である。寝てる時にしたらどうかと薬剤師さんに言われたので、昼寝の時に試みたが、入れた瞬間がばっと起きて泣く。至難の業である。子どもと薬というのは、とても難しい関係なのだった。
中耳炎というのは、親が自己判断で通院をやめては絶対にいけないらしい。医者がもういいですよというまで根気よく通院しないとよくならないのだとか。よって次の日も昼過ぎに車で耳鼻科に行く。駐車場に止めたころから息子は嫌な予感を察知して泣き始めた。そして、いざ医者の前に座って大暴れ。私が股の間に息子の足をはさみ、はがいじめにしてもまだ暴れるので、夫も押さえ込み、看護師さんも押さえ込み、大人3人掛かりで2歳児を押さえ込んだ。それでもみんな汗だくで、看護師さんが一言「す、、、すごいですね。」と。熱があるとは思えぬ大暴れぶりであった。これをあと何日も続けるのかと思うと目眩がした。
じっとしていられない幼児で中耳炎になると、大変だということがよく分かりました。鼻水を放置することが、幼児には非常に危険だということもよく分かりました。小さいお子様をお持ちの皆様、鼻水は吸ってやってください。
現在私はもちろんのこと、夫も体調を崩し、我が家は静まり返った3連休を過ごしています。

私と息子が三重に帰郷している間に、夫が左足を骨折しました。私が三重の家族と賑やかにしている時に、沈んだ声の夫から電話があり、しばらく私は自分の事ばかり話していましたが、ふと夫が「あのな、、、骨折したんや。」とぽそりとつぶやきました。三重の家中大騒ぎになり、「すぐ東京に帰った方がええんとちゃうか!」とかなんとか騒いだのですが「帰ってくるのは予定通りの日でいいよ」との事でした。
なんでも趣味で続けている陸上の試合の日で、軽く練習がてらランニングしていたときに起こったそうで、道にあった障害物を避けようとして、よけたら、なんたらかんたらで骨折したそうです。落ち込んでいましたね。走るのが好きな人間が、一時期とはいえ走れないんですから。仕事が営業なのに、松葉杖でしか動けないので仕事もほとんどできずに、事務仕事を回してもらってどうにか仕事に行っていました。体って大事ですよ。

それでも左足だから、運転はできるんです。幸いな事に。そんでさらに不幸中の幸いなことに、我が家が新車を購入した直後の出来事だったんですね。ええ、車を買いました。それはある日突然にです。猛暑が続いていた7月の下旬。暑さで全く家の外から出られず、自転車も乗れず、息子は外に行きたがって騒ぎ、家中のイライラが頂点に達した時でした。「もう、車買お。」私がつぶやき、家族ですぐ近所にあるトヨタカローラに行き、二週間後には判子をついていました。
ファミリーカーです。でっかいやつ。スライドドアね。ファミリーカーってあんまりデザインが好きなのがないのですが、もうそこはファミリーだからそんなもんでしょう。突然に車を買ったとはいうものの、社宅で空いていたお隣に、Oさん一家が越して来た事が大きいんです。Oさん一家は小さい子どもが二人いて、車を持っていて、週末になると家族で車でお出かけしていたんですね。それがもう、うらやましすぎてうらやましすぎてね。なんで我が家は週末に汗だくだくになって自転車で遠距離走ってんだろ?疲労困憊になって帰って来てから夕ご飯を作る事の苦痛さと行ったらありませんよ。「車さえあれば、我が家はもっと幸せになれるはず」みたいな変な考えの虜になってしまった結果です。
結果。車ってすごい。車超楽。もっと早く車買っておけば良かった。です。Oさん一家ありがとうです。私の背中を押してくれて。いや、勝手に押されたのは私ですが。夫も足を骨折した中で、車が無かったら本当に病院にも行けないしめちゃくちゃ車に助けられました。
こんなでっかい車、私は絶対に運転なんてできないだろう、しかも東京の街を、、、。と思い込んでいたのですが、夫を駅まで送ったりなど、必要にせまられて結局私も案外乗り回しています。しかし、東京の駐車料金の高さが泣けます。そして、運動量が減ったからか、太ってきました。でももう戻れない、車がない日々には戻れないのです。さようなら、汗だくの日々。さようなら、強風にあおられる日々。