
蛾が苦手な人は申し訳ないことです。
少し前に私はトマト畑で巨大な青虫を捕獲し、新鮮な葉っぱを入れたり、なでたりして3日間かわいがっていたのですが、どう見ても弱っていく一方だったので3日目に突如庭のわさわさしている緑の中に放しました。放してからも、その緑の中でむしゃむしゃ葉っぱを食べている彼を見ていたので安心していたのですが、しばらくして姿が見えなくなっていました。
その後、あいつは大きくなったらどんな蝶になる予定だったのか気になって図鑑で調べたところ、どうやら蝶ではなくて蛾になるスケジュールだったようです。
本日、うだる暑さの中、我が家の庭にあるベンチに一匹のスズメガがとまっていました。ナウシカのメーベのような美しさ。彼を放った緑のすぐ側のベンチです。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。虫好きなレベルが中途半端な私は、虫の知識も中途半端なので詳しい事は分からないけれど、あの子だったら嬉しいなあと思います。
それにしてもなんてシャープで美しい形でしょうか。蛾特有のややこしすぎて酔うような模様ではなくて、北欧のモダンな家具のようなその姿。顔面はかなり宇宙人でした、意思がまったく読み取れない。どんだけ接写しようとも逃げなかったので激写しときました。母ではないが私は君の成長が嬉しい。元気でね。

昨日借り暮らしのアリエッティを観に行きました。よかった、ジブリが3Dとかに手を出さなくってと心から思いました。世間の3D熱はどうかしてると思います。かつて津の小さな映画館を満員御礼にして、14歳の私に立ち見をさせたジブリ映画を観に行くときはいつも緊張します。あ、よかった。座れたぞ。
「ボクは小さな子どものまなざしからあまりにも離れ過ぎたのかもしれない」もののけやハウルを作ってから宮崎駿さんが自分自身に問いかけた言葉は、「崖の上のポニョ」にストレートに反映されていました。この借り暮らしのアリエッティは、ポニョよりさらにわかりやすいと感じました。難解な部分は一切ありません。
それでも大人に「物足りない」と感じさせないのは、ジブリ特有の「細部まで行き届いた目線」にあると思います。今まで観た小人ものとは明らかに違います。人間の台所に初めて辿り着いたアリエッティの五感を感じた私は驚きました。人間にとっては普通の台所なのに、すさまじく巨大な化学工場のような物々しさで迫って来ます。恐怖を与える程に。(実際泣き出した子どもがいましたから)
釘の階段、テープをはがしたときの抵抗感、パンを切る音、人間の足音や息づかい。小人という存在を存分に生かしきって、「きっと小人ならこう見えている」を感じさせてくれます。それを感じるたび、あ〜嬉しい嬉しいと思います。「小さき者に注ぐ宮崎駿の目線」が感じられるからです。あ、でも今回は宮崎さんが監督じゃないんですね。米林監督だそうです。よかった、宮崎さんのよい後継者が現れて。世襲はないな、この世界では。吾郎さんは別の道を探してほしいです。
時に残虐な描写を厭わず、人間の破壊的な行為に対する怒りを込め、どんどん難解になっていったジブリ作品でしたが、今、宮崎さんは、誰にでもわかる方法で改めて地球に住む全ての生き物に対する大きな愛情を伝えてくれていると思います。と、いいつつも私が一番好きなのはナウシカなんですけれども。
帰りに本屋さんで、最新号のBRUTUSをタイトルだけで買ってしまいました。これすごい!スタジオジブリの社員旅行や車内恋愛についてまで書いてあります。

今日は大阪に住んでいる姉と、あてもなく京都へ。無計画とは恐ろしいもので、強靭な体力の姉と一緒だといつのまにか足の指の皮が全部むけるくらい歩く事になります。本日は間違いなくズルムケdayでした。
最初ボストン美術館展を観ようとしたら、「興味がない」と姉にいわれたので「龍馬伝展」に変更して、ブラブラ歩いて行くと、龍馬伝展に並ぶ人々の長蛇の列が見えきてしまい、今度は私が「もう龍馬のことは全部知ってるからいい」と強気な発言でやめることにしました。
まだ何も成し遂げていない私達は、焦って「抹茶のパフェが有名だからとにかくパフェ食べよう」という考えに至り、焦り過ぎて辻利でもなんでもない、あやしげな、人が誰もはいっていないしょーもないカフェに飛び込み、最高に悲しい感じのニセ抹茶パフェをさっさと食べ、さっさと出て来ました。あの白玉はゴムだろ。
この日は、猛暑。汗とともに塩分の消失を感じた私は猛烈に韓国冷麺が食べたくなり、姉に探させ、デパートの8階にてありつきました。食べたいと思ったものが食べれているという贅沢に感謝しました。そのあとは、延々京都の町をひたすら歩く、歩く。
「京都らしい事」は特に何一つできない日でしたが、姉はたいていの願いは叶えてくれる私にとってスーパーマンのような人なので、一緒に散歩ができてとても楽しい一日でした。そんな姉は小学校6年生までは成海璃子ちゃんのような可憐な少女でしたが、今は佐藤浩市におでこの狭さが似ています。

今日の夕方、青しそを略奪しにおばーちゃんちを訪問しました。そしたら、半狂乱になったばーちゃんがなにかをわめいていました。「トマトを採っとったらなあ、こーーーんなでっかい青虫が7匹もおってなあ!!!もー気持ち悪て気持ち悪て、4匹はつぶしたけど、3匹は川に捨てたわ〜。」と。
どうして私に見せる前に殺戮してしまったのか私はひとしきり文句を言って、まだ青虫に生存者はいないか被災地を訪れました。トマト畑には、ばーさんに殺害された青虫の死体がゴロゴロと転がっていました。大きくなったら、きれいで立派なチョウチョになったであろう未来ある青虫でした。でも、ばーちゃんの言い分もわかります。手塩にかけたトマトが7匹の青虫によって今やリーブ21状態。田舎人が都会人よりむしろ小動物を嫌う理由をまた再確認しました。
そんな思いでトマトの葉っぱを見つめていると、いました。生存者が一匹。まるで不思議の国のアリスに登場する青虫のようなデカさと嘘くささで草をむしゃむしゃ食っていました。私は嫌がるその子を無理矢理トマトから引き離したのですが、そのとき初めて青虫の声を聞きました。「ブーブーブーブー」と豚のような声を出して全力で抵抗していました。もうそのかわいい声で一瞬にして私は愛着が芽生えてしまい、その子を飼う事にしました。
私がせっせとダンボールに穴を開けたり、草をしきつめたりしていると、あんなに怒りで我を忘れていたいたばーちゃんも突然協力的になり別の畑に生えていたトマトの葉っぱを一枝進呈してくれました。「私も昔は虫が好きやったんやけどなあ、畑をすると嫌いになってしまうんさ」と胸中を告白していました。
帰って母に見せると、こちらも半狂乱で何事かをわめきちらしてくれましたが、「よく考えてみて、本当に気持ち悪いと思うのか?」ということを辛抱強く話すと、いつのまにか母も青虫の環境をよくしようとどこからか網を探して来て、より通気性の良い青虫ハウスが完成しました。
がんばってきれいで大きなチョウチョになってほしいと思います。返事を返してくれないので名前はつけません。

「少女・夢みるとき」展のオープニングの夜は、奇跡の夜となりました。アルバムジャケットのイラストを描かせていただいたオオモリメグミさん(www.myspace.com/megumiomori)と、私のHPを管理してくれているデザイナーのOZ君がオープニングに来てくださり、猛烈な行動力と人間力のメグミさんが「今から菊地さんとこに行こう!」と、そのままブルーマークのデザイナー菊地さんのもとへ連れて行ってくださいました。(アルバムジャケットをデザインしてくださったのが菊地さんでした)
菊地さんの事務所の真下が「NEWPORT」(http://nwpt.jp/)というバー兼カフェ兼ライブハウスになっており、そこで待つ事数十分。私からしたら、芸能人より断然すごいデザイン界のスター菊地さんが、ポロンと登場しました。
菊地さんは学者のようであり、真実しか口にしない人でした。はっきりいって、私と菊地さんでは知識量や経験値や脳みその構造などに差がありすぎて、会話にならない具合で、私は小学生になったような気分になりました。でもそのなかでもたくさんはっとするような言葉をいただき、私は一生懸命それを咀嚼しようと思いました。
「賢くなるんじゃないんだよ、とにかく考える事だよ。自分の生活のことを考えてみれば、知りたくなるのは当然でしょ?」という言葉が特に印象的でした。
すると、隣で呑んでいる方がメグミさんと菊地さんのお知り合いのカメラマンさんだと分かり、その方が素足にコンバース、Vネックの黒のTシャツ、ウエーブのかかった髪、日焼けした肌、そして都会のバーで交わされるなんだかしゃれた会話などが相まって相当トレンディな空気を私は感じてしまいました。そういえば菊地さんも素足にデッキシューズ!メグミさんの頭にはカンカン帽。さらにそのバーのカウンター内に居た方が「Pepe California」のプロデューサーの方だとわかり、東京ってすごい、東京っって、、、!デザイナーとミュージシャンとカメラマンとプロデューサーがバーで出会ってる!と私が一人で興奮していました。
パー子になりきった私はそのギョーカイの空気を捉えようと写真を激写しました。手ぶれ激しいその写真を私は一生大事にしよう。
この夜のご縁に本当に感謝します。みなさまこれからもどうぞよろしくお願いします。