
大学を卒業した年の2004年から2009年の10月まで、私が友人4人と住んでいた練馬の家が取り壊されることになり、一緒に住んでいた友達のよーこちゃんと遠路はるばる東京練馬へ!閉会式を行いに行って参りました。
私とよーこちゃんは一足先にこの家を出ていたのですが、そのあとも一名追加されたりして友人3人が住み続けていました。契約期間は2010年2月までだったので、残っていた3名も早めに引っ越し先を見つけてこの1月23日にこの家を引き渡す事に。
何が大変って、最終的にこの家から家具を全部出す事や掃除をすることを考えると住んでいる当時から私はこわかった。女性4人暮らしなんて、ぱっと聞いた所ではフローラルブーケの香のひとつもしてもいいものでしょう、、、。なんだかこぎれいにしてそうでしょう。
そう、最初はこの家もきれいだったんですよ。ただ私達は芸術を専攻していた事もあり、よく言えば個性的だったんでしょうね。ガレージでセメントをこねて作品を作ったり、ベランダでプラスチックの樹脂を塗ったり、部屋で絵の具を飛ばしまくったり、クリスマスには仮装パーティもしました。食べた物をそこらへんに置いておいたらネズミ君も来ましたし、コックローチ君ももちろんきました。ちょっと柱に寄りかかったら柱が一本取れたこともありました。
「ブラジル部屋」といういらないものをなんでもほりこむブラックホールのような物置もありました。近所の子どもから「お化け屋敷」と言われたこともありました。庭の竹が家の中に侵入して雨戸が閉められなくなりました。結露がひどすぎて家がカビだらけになりました。
思い出が詰まり過ぎて、この汚なすぎる外観を見ただけで胸がいっぱいになります。(大家さんすいません、汚くしたのは私達です。ごめんなさい)4人でこの家に決めて、4人で手続きをして、4人で遊んで騒いで笑って、泣いたりケンカしたりしました。近所からうるさいと言われた事もありました。外観が汚すぎて(中はそれ以上に汚い)よくリフォーム会社が訪問しにきました。
なんというか、書ききれるもではないです。この家で暮らした6年間というものは。ははは、書いてる事がほとんど汚い思い出しかないけど、ケンカして全員で大泣きをして仲直りしたこととか、恋愛の話も毎日のようにしていました。みんなでファッション雑誌を読みました。誰かが洋服を買って来たらみんなに見せて交換したりもしました。嫌な事があったら、みんなに話して笑い話に変えてもらいました。テレビにみんなで文句を言いながら観ていました。

この青い箱は、ヨーコちゃんがこの家を出て大阪に帰ってしまうことになった日にみんなで作ったタイムカプセル。2006年から10年後に開ける事になっているのに、何を間違ったのか20016と書いているアホさ加減。本気で間違っています。これは私の字だぞ。20016年だったらみんな死んでるっつーの。この家が無くなってしまうので、私が預かる事になりました。2016年にみんなに召集をかけるぞ〜!!!
この日の夜はみんなで台湾料理を食べました。何度も聞いた話なのに何度でもおもしろくて笑ってしまう話を繰り返し繰り返し。ずっと続かないことだとわかっているから楽しくて輝くのだな。グッバイ!練馬のスラムハウス。ありがとう、練馬のスラムハウス!

5年前のある朝、口がかゆくて飛び起きるという事件がおこりました。見ると口が真っ赤に腫れて、ぶつぶつがいっぱいできているではありませんか、、、。「なんじゃこれはー!!!」とびびってすぐに皮膚科にいきました。
「疲れておるんじゃろ。」という万人に対する安易な慰めの台詞を残して、皮膚科のおじいちゃんは中途半端な塗り薬を私に手渡して来ました。全然治る気配もなく、その後も私は口のかゆみと腫れで毎日オムライスの食べ過ぎの人のような顔で過ごしました。少しでもクチビルが乾くとかゆくなるので、常に手にリップクリームとワセリンを握りしめて、アルバイト中も過ごしていました。
別の皮膚科を受診しても、原因がわからなくて、そこでもらった塗り薬も全然効果がありませんでした。友達に「ヘルペスじゃない?」と言われればその薬を買って塗ったりもしました、父のアトピーの薬を塗ったりもしました。でも治らないのです。なんと、このクチビルの腫れた生活はその後2年程続きました。

それまで私は5年間くらいずっとニベアのUVリップクリーム(写真左端)を使っていました。伸びもよく、ずっと潤いが続くので大好きでした。でもこの口の腫れが出てから、ワセリンとロート製薬のリップ(写真中央)を使っていました。でも症状はよくなりません。薬局で2個98円で売られている近江兄弟社のメンターム薬用スティック(写真右端)は、安すぎるという恐怖から手を出さずにいました。「そこそこ値段が高くて、シンプルなリップクリームがいいに違いない」と思っていたからです。
でもこのロート製薬のナースちゃんリップと、近江兄弟社のメンタームキッド印のリップって同じ製品だと思っている人がけっこういるのですが、会社もキャラクターも全然ちがいます。成分の名前もロート製薬の方はメンソレータムで、近江の方はメンタームです。そんな私もある日間違って近江兄弟社のリップをうっかり買ってしまったのでした。そーしーたーらー!!!!一塗りで、突然治った。涙が出た。2年間色々試しても治らなかった私のクチビルの腫れが一瞬で治ったのです。(当たり前ですが、効果はあくまでも私個人の感想です)
それ以来、私は近江兄弟社を全力で応援しています。ハンドクリームとかも、近江さんは値段が安いうえに量も常に業務用レベルで、しかもめちゃめちゃ効くんです。どんだけ良心的なんだよ、と使うたびに感動しています。世にどれだけのこじゃれた商品が出回ろうとも、私はこの生真面目な近江の製品を選ぶでしょう。
私のクチビルの腫れの原因ですが、ある化粧品会社の口紅でした。というかほとんどの口紅にアレルギーがでることが分かりました。一生口だけはメンタームリップしか塗れないのです。どんだけ晴れの席でばっちり化粧をしようとも、口だけはスッピンでしか登場できないわけです。
なぜ今回突然この話を力説しているかというと、メンタームの在庫をきらしてしまって別の薬用リップを塗って寝たら、朝口が腫れていたからです。メンタームを急いで買いに走って塗ったら治ったからです。それに改めて驚いたからです。ありがとう!近江兄弟!!

年末辺りからモムちゃんダイエットを始め、毎日15分のエクササイズを始めたのですが、そうするとなんかどんどん色々やりたくなってきた。
そう思った時にやらなくてはまたすぐに日常に埋もれてしまう!まずは形からだ!ということでランニングシューズを買いました。初めてのアシックスです。派手だろう?このシューズの名前はNEWYORKというらしい。どっちかっていうとサンタモニカがいいな。今まではソールが薄いスニーカーのがかっこいいと思ってそればっかりに目がいっていたけど、どうやらそれだと膝とかに莫大な負担がかかっているらしいのです。
かつて看板屋さんでアルバイトをしていたときに高い所から着地して膝を痛め、それ以来ずっと膝に対して機嫌をうかがうように生活していましたが、こんなんではどんどん筋肉が衰えていってますます膝が弱くなってしまうに違いない。もう寝たきりの老後が私には見える、、、と暗い気持ちになることもあったのですが、今ならまだ間に合うに決まってるからソールの厚いシューズで出直そうと思います。
それにしても、最近のシューズははなんかすごい。このシューズもあらゆる方向から観察してみましたが、なんかゼリー?みたいなのがかかとに入っています。すんごいメッシュ加工だし、裏なんて複雑すぎて目眩がしました。この複雑なデザイン一つ一つがちゃんと意味をもっているんだろうなと思うと、技術者の方に拍手を送りたくなってしまう。
それでちょっと走ってみた。おばあちゃんちの犬のクロちゃんの散歩コース。山あり谷ありです。クロちゃんと行くと途中でマーキングしまくるのでペースが乱されました、なので二回目からは一人で。数分もたたずにポテポテと歩き出した自分がが情けない。これでも中学校の時は70人中10位くらいだったんです。家につくころには耳が痛くていたくて、頭まで痛くなって来ました。おかげでよく眠れた。
このピカピカの靴がボロボロになるころ、なんとなく調子の良い体になっているといいな。

さて、もうすでに3学期が始まっています。3学期の美術授業のテーマは1年生が「色彩の基本を学ぶ」、2年生が「スクラッチ技法で自然物を描く」、3年生は「シュルレアリスム」です。
私はいつも試作品を作ります。自分がやってみたいというのもあるけど、、、。この上の絵はスクラッチ技法で描きました。スクラッチというのは、くじでもありますが、引っ掻いて描く技法です。黒いインクを塗布してあるボードに、ニードルなどのするどいもので引っ掻いて線を描きます。このようなこつこつ型の技法の方が、案外中学生は夢中になるようです。私が中学生の時もこの授業を美術でやって、ものすごく夢中になった記憶があったので、是非やろうと思っていました。
この技法で描くのは、動物、植物、魚や鳥などが適していると、やっているうちに感じたのでそれ指定でいきます。全部つめこみすぎてしまった私の作品、、、。くどいですね〜。どういう状況だよ。
今日は導入として「伊藤若冲」のDVDを見せてみました。「増殖する自然物のイメージ」をつかんでほしいと思って。みんな案外しっかり鑑賞ノートに書けていたな、、、。よかった。

ははは、、、。上は急いで描き過ぎてかなりお粗末なシュルレアリスムっぽい絵。りんごとか美術教師にあるまじき描写です、すいません。これは、まず最初に紙に思いつくままに言葉を書いてもらって(例えば、りんご、イス、布団、アザラシ、ハンマー、とか)それらを組み合わせてあり得ない画面構成をしよう、という試みです。
日常の決まり事や、理性に縛られない表現を目指そうというものですが、みんな言葉探しに夢中になっていました。もう完全にしりとりをしていた子も多数。芸能人の名前を書く子多数。キャラクターやゲームの名前を書く子多数、、、、。寿司、マンモス、ルービックキューブあたりはなんかいいですね〜。難しくなりそうです。
3学期もがんばろう、わたし。

あけましておめでとうございます。といいたいのですが、2010年の3月に祖母が亡くなってしまったので、今年は喪に服さなくてはいけません。おせちも、初詣も行ってはいけないのでした。
このおせちは「喪中用おせち」です。そんなのあったんだ。葬儀屋のビジネスチャンスにまんまとのせられました。味はお世辞にも美味しいとは言えない。右端中央のローストビーフは、砂漠に長時間落ちてたのか?といいたいくらい乾燥しています。犬のクロちゃんにあげました。甘味の率が高くて、モナカとか金柑の甘露煮とか伊達巻きとか、甘味好きの姉しか喜んでいなかったです。でも、喪中用でもおせちがひとつあるだけで、なんだかちょっと豊かな気分になるのは事実。毎年美味しいおせちを作っていたのが、その亡くなったおばあちゃんだったので、これからお正月はおせちは毎年どこかに注文するかもなあ。世代交代して、自分たちでもちゃんと作れるようにならなきゃいけないのかもしれないけど。

門松は、いつも母がそこらへんの竹をなぎ倒して、庭に生えてる松をちょんぎって、そこらへんの砂を掘り返して楽しそうに作っています。私も微力ながら竹を支えたり、土を運んだりとアシストしています。今年はうちの門松は作れないので、毎年門松作りを楽しみにしていた母は、母方の祖母の門松を作るのに全精力を傾けていました。
そうして世間知らずの母方の祖母に「スーパーで買ったら7千円すんねんで」といって、恩を売りつけていました。いつもの母の手口です。
毎年真夜中に近くの神社へ、家族でおしくらまんじゅうをしながら歩いていって、おみくじを引いて、そのあと父はいかやきを買って、私はベビーカステラを買って帰る頃には全部なくなっているのですが、それもなく。でも色んなお正月があっていいもんだなあとも思いました。今年は「ダウンタウンの笑ってはいけない24時」?かなんかを観て笑い転げながらいつの間にか年が明けていました。コロッケのものまねがやっぱり一番おもしろかった。