
私の住む田舎では、ふた月に一度くらいの割合で「ごはんさん」というものが回ってきます。上の写真がそれです。要はお仏壇にあげるごはんのことなんです。どこにあげるのかといえば、通称「あん寺」という地域の集会所の仏さんに捧げるのであります。今日はそのごはんさんの当番がうちに回って来たので、ちょっと記録。
昔から、このごはんさんセットが入っている鞄が玄関先に置いてあると、母が「あ〜〜〜〜明日ごはんさんや〜。朝忙しくなる〜。」といって嘆いていたことを覚えています。忙しい母にとっては、この地域の決まり事が多少煩わしかったに違いありません。多分みんなそう思いながら、でも絶やす事はできないし、絶やす気もないのです。この地域に住んでいる限りは、みんなで守っていかねばならないのです。

この仏様と左隣にある仏様に一つずつごはんを供え、花の水を換えて、コップの水を換えて、チーンと鐘をならして拝んだら終了です。朝にそなえたご飯を夕方にも取りに行かねばならず、一日2回こなければいけないのです。自分の家の番が終われば、お隣の家に回します。
昔はこのあん寺には「あんじゅさん」という、この集会所と仏様を管理するおばあさんが住んでいました。私が小学生の頃は、このあん寺に朝集合して小学校まで集団登校をしていたので、よくあんじゅさんに挨拶したりしていました。1年に一回、めちゃくちゃ甘いお茶「甘茶」というのを朝飲まされるという謎の行事もあったりして、子どもながらに不思議なおばあさんだと思っていました。
おそらくあんじゅさんは亡くなられたのでしょう。いつからか、いなくなっていました。子どもはそういうことにあまり気付かないものです。それからこのごはんさんという習慣がうちの地域で始まりました。毎朝ごはんをあげてくれていたあんじゅさんがいなくなったので、誰かがあげなければいけません。

集会がない日はひっそりとしているあん寺の玄関。小さい頃は一人でごはんさんをするなんてことは怖くて想像もできませんでしたが、めでたく私も一昨年から「ひとりごはんさん」デビューすることになり、多忙極める母に代わってせっせとごはんを運んでいます。
ひとりであん寺の中を散策するのが楽しくて、あんじゅさんが使っていた小さな小さなお風呂などをのぞいたり、裏の窓の外を流れる川を眺めたりして、あんじゅさんに思いを馳せています。彼女は一体どんな人生だったのだろうなあ。
夕方になったらまたごはんを回収しにいかなくちゃ。

夢に出て来そうなひまわり畑です。オグと愛知牧場へ行って参りました。
田舎者のくせにさらに田舎を求める私に付き合わされて、シティ派のオグはかわいそうに。でも愛知にも牧場があったなんて、友達のヨーコちゃんのブログで知って行ってみようということになりました。
きっと動物との触れ合いコーナーがあるに違いないと、鼻息を荒くして乗り込んだのですが。ウサギは暑さで、汚れたゾウキンのように奥の小屋へひっこんだまま。モルモットは「体調不良」のため触れられない場所へ避難。豚はわらをかき集めながら自分の食事に必死。羊は触ると無言で立ち去り、美しい馬小屋へは馬主以外は立ち入り厳禁、牛の乳搾りは「本日の受付終了」の看板が。オグは偏頭痛と動物が放つ匂いと闘いながらフラフラ。
でも「まあ、いっか」と思っている自分に、子どもの時のような動物への興奮が、潮がひくようになくなりつつあることを知ってしまって少し寂しい気持ちになりました。子どものときだったら、這いつくばってでもウサギを追いかけた事だろう。

馬主がいる馬の美しさに度肝を抜かれたあと、「おさわり自由」的な馬の小屋へ、、、。ははあ、、、なるほど。これがおさわり自由の馬ちゃんかと、妙に納得の天パーヘア。もしくは戦後の混乱期に生まれたかのようなものすんごいおカッパの馬ちゃんなどがつながれていました。顔もヘアーもかなりの個性派揃いで、なんか笑いが止まらなかった。私が馬ならまちがいなく「おさわり自由」コーナーへぶちこまれていただろう。

悲しい事(?)ばかりではなかったのですよ。牧場で手作りされてるジェラートがすんごく美味しかったのだ。この輝かしいジェラートを見よ。
私はいちご味とチョコレート味のジェラート。オグはミルクとヨーグルトミントという謎のフレーバーをチョイス。お互いのフレーバーに疑問を抱きつつ楽しみました。
ジェラートの他にも、ハムやらミルクジャムやら他色々動物達からしぼりとった肉やらミルクを存分に生かしきったラインナップがお楽しみいただけます。そのなかで、なぜか私は冷やしパインという牧場一切関係なしの食べ物に手を出し、牧場を後にしました。
みなさんもどうですか、都会に疲れたら牧場へ!

昨日は青山に住んでいる(三重県の青山です、東京じゃなくって!)叔母に会いに行きました。うちから車で山道を40分走ると、そこはひときわ風が強い、風力発電の街です。
建て替えたばかりという叔母の家をまずは見学(個人宅なので、写真は撮りませんでしたが)。二人暮らしなのに、トイレが4つくらいあって部屋がわけがわからないほどたくさんありました。鬼ごっこもかくれんぼもやりたい放題です。トイレもし放題です。家の中に昔の井戸のポンプがあって、ピカピカのキッチンもあります。古い物と、新しい物が居心地よさそうに並んで暮らしていて、私はとても好きでした。
片付けと掃除が好きな叔母は「まだまだやることがたくさんある!」といって元気そうで、楽しそうで、ランチに入ったレストランではステーキを注文していました。妹である私の母と、子どものときの話に花が咲いておりました。女の人は、いつまでも少女なのだと思いました。
叔母の家をあとにして、風力発電の風車を観に行く事にしました。
ヘアピンのようなU字型のぐねぐね道をひたすら登ると、突然風車がたくさん現れます。

遠くで見ると小さいけれど、近くで見ると巨大で変な音がしていて、別の星に不時着したような不思議な気持ちになりました。見物に来ている人もたくさんいました。
海が近くにある人は、落ち込んだ時にきっと海を見に行くのかもしれませんが、この風の街に住んでいる人は、この風車を見に行くのでしょうか?

次の日は、松本を自転車で巡りました。松本といえば、松本城!!地震の影響で壁にひびが入ったとか。そんな事件をものともせずに、この日も松本城は混んでいた。
混み過ぎて、天守閣に辿り着くまでに40分。チケットを買うのにも、長蛇の列。並び疲れて、せっかく展示してある歴史的資料の数々にも一瞥するだけで「早く、、、ここから出たい。でもせっかくここまで来たんだからせめて天守閣に、、、」という葛藤の中、もはや狭い城の中をずるずると並んで歩く中、前に並んでいるおばさんの羽織っている上着が表裏反対なのを、おばさんがいつ気付くのかを待つ、という地味なエンターテイメントに頼らざるを得ない状況に。
やっとの想いで城から脱出して広々とした庭に解放されると、庭にはゆるキャラが集合しており、なぜか彦根のひこにゃんまでかり出されているではないか!
松本城の麓でゆるキャラに群がる人々に、妙に感慨深い気持ちになって、パシャリと一枚。戦国武将に見せてあげたい、「日本は平和になったよ。」と。

長野と言えば、ソバだ!!!今回の旅行では4回食べた。その中で、一番美味しかったのがこの山菜冷やしソバ。山菜のがんばり度が今まで食べた山菜関係の中で群を抜いていました。このワラビの巻きっぷり、まるでカタツムリやないか!歯ごたえの「生え抜き」感が素晴らしい。ソバも、すごく美味しかった。
「美味しいそば」とは何かよく分かっていない私ですが、明らかに美味しかった。そして、本来ここまで褒めたのなら、お店の名前を言うべきなのですが、松本城にくらわされた疲労感で、まったく覚えていません。とにかく、松本城の敷地内にあるきれいなソバ屋さんです。

そして今回の旅で私が一番感動したのが、この「栗みぞれ」。
栗専門の和菓子屋さん、「竹風堂」というお店で食べました。栗のかき氷なんて食べた事ない。そもそも合うのか?と思っていたのですが、一口食べた瞬間に「お、、、おいしい!!」とつぶやくほどに美味しかったのです。そして、新鮮な驚きがあった。
上に乗ってる「栗あん」ももちろん美味しいのですが、かかっているシロップさえも栗の味なのです。
食べている間中「すごい、おいしい、すごい、おいしい」としか言えませんでした。
他のお客さん達は、「栗おこわ」とか「オレンジジュース」とか注文してたけど、「栗みぞれ、食べなよ」と勧めたくなりました。
天井の高い涼やかな純和風建築の店内も、メダカが泳ぐ小さい庭も、その庭を手入れするおばちゃんの姿さえもなんだかよかった。
旅行中ずっと晴れていて、山の木々が一本一本鮮明に見えるような絶好の長野満喫日和でした。旅行から帰って来た途端に台風がきて、余計にラッキー度が高く感じました。長野に住みたいな〜。毎日アルプス公園に行って、夏は栗みぞれを食べるのだ。

お休みを利用して、長野へ行って来ました。長野の安曇野といえば、現在朝の連続ドラマ「おひさま」で人気沸騰中らしい。関西弁が多い朝の連ドラのなかで、標準語なところが私は好きです。自分が関西弁なだけに(いや、正確には三重弁だけど)ね。
写真は「アルプス公園」。なんか、長野にはやたらと「自然いっぱい公園」がたくさんある。この公園も、超広大。ミニ動物園とかアスレチックとかゴルフコースとか、簡素な作りだけどスリルだけは超絶なジェットコースターまである。なんでも詰め込んでいるけど、無料で、人に優しい楽しい公園です。近所にこんな公園があったら入り浸るなあ。

これは「大王わさび農園」。好き嫌いのない私が唯一食べられないのが、ワサビです。よく、採りたて削りたて(?)のワサビは全然辛くないっていいますけど、なんでも食べる私が食べられないっていうんだから、ワサビと私の関係についてはそっとしておいてほしいの。あの脳天に突き刺さる刺激は、「どうしてこんなに苦しまないといけないの?」と言いたくなるのです。
でも、ワサビが清流の中でさらさらと育っている姿を見るのは、初めてだったけど、好きです。こんなにキレイな環境で育ててもらえるなら、ワサビに生まれ変わってもちょっといいかもしれないとさえ思った。食べられないけど、「おしゃれな薬味」だとは思っています。「あのひとは、ワサビみたいだよね」なんて言われたら、「なんかすごいやつ」っていう気がするし。
この清流には、なんと「足を突っ込んでいいスポット」があって、激しい熱波にみまわれた人々が癒しをもとめて群がっていました。私も嬉々として足を突っ込んだのですが、あまりの冷たさに、ワサビを食べてもいないのに脳天に刺激が!恐るべし、ワサビ。
結局、人々がわさびソフトクリームやらワサビソバなんかを食べている横で、イチゴのかき氷を食べて舌を赤く染めていました。