
スバラシイことに、歩いて10分で大きな図書館がある。ベビーカーひきずって、通う。息子の機嫌のいいとき、かつウンコをしっかりした後に限り。何せ図書館だからうるさくしようものなら、瞬時に冷ややかな視線を浴びる。ものすごい緊張感で毎回扉をくぐります。
そして恥ずかしい事に、育児関連の本ばっかり目がいく。しょうがないよ、色々不安なんだもの。情けないなあ〜と思いながら、せめて知識だけでも身につけておこうとか思うけど、それが多分あだになるんよね。情報過多で処理しきれず、おかしくなるんよね。
そんな中、映画のおもしろ評論でおなじみの石川三千花さんの妊娠出産エッセイを発見。もう10年前のエッセイだけど、帝王切開の事が書いてあったから借りてみました。というか、知ってたけど、改めてすごいですね。ミチカさんは。45歳で初産で、双子ですよ。付き合って3ヶ月の彼氏と。結婚なんて、ましてや出産なんて人生の予定に全くなかったらしいです。そんで、私は、色々疑問が浮上した。
ミチカさんくらいの売れっ子の人が、両親が近くにいない中、双子を育てるってどういうこと?しかも45歳だから体力的にも結構キツいはず。どうやってお風呂入れてるんだろう?おっぱいとかどうしてるんだろう?とか、もう細かくて現実的な疑問が次々湧いて来た。でも、よく考えたら、うちの母も年子で私と姉を産んで、仕事をしながら、非協力的な遊び人の夫の面倒もみながら、一体どうやって子育てしてたんだろう?とか思う。母に聞いたら、もう髪の毛とか洗ってなかったし、毎日何にも覚えてないくらい、ひたすら動いて倒れるように寝てたらしい。ほとんど座る暇もなかったらしい。悩んで考えてる暇ないくらいにしなければいけないことが山積みって、実はとても大事な事なんだ。私みたいに、ベランダに息子と出て、黄昏れてる暇なんてあったら実は余計ややこしいんだ。毎日戦争するくらい忙しくてめちゃくちゃな方が、実は人は賢くなって、生き生きする。
ミチカさんは、旦那さんがフリーの家具職人でめちゃくちゃ子育て大好きな人だったから、ものすごく前向きに子育てできていたみたいです。かつ、ミチカさん自身が異常にパワフル。仕事も全然休まずひたすらバリバリこなす。子育ても、ものすごくにぎやかに楽しんでいる。そして、書いてあることが、なんだか全部バブリーでそこが年代の違いを感じました。ああ〜攻めてるなこの人は、って思いました。「すべて楽しまなきゃ、生きてる意味ないじゃん!落ち込んでる暇ないじゃん!悩んでるのもったいないじゃん!ダサイじゃん!ダサくなるくらいなら死んだ方がまし!」みたいな。仕事も子どもも旦那も全部手に入れました!ラッキー!というオーラが溢れていて、私は久しぶりになんだか落ち込んだ後、変にやる気も少し出て来ました。
私、最近毎日シケた顔して、スーパー行ってご飯作って、息子をあやして、規則的にお風呂入れて、おやつが楽しみ〜くらいな、もうダメな毎日を繰り返していたけど「人生を楽しむ」という姿勢を忘れかけていた。というありがちな展開すぎて恥ずかしいんですが、それに陥るんですよ。「あ〜!なんてありがちな展開なんだ!」と思いながら、でもこのエッセイを読んでいると、くやしくなってきてやる気がでてきました。すべては自分のメンタルの問題だ。
まずは味気ないなんの飾りも無い玄関をもう少しかわいくしたりしようかな。絵も描こう、忘れかけてた。あぶねーあぶねー。

いや、別に血迷ってる訳じゃないけど、、、。もうどうしても泣き止んでほしくてさ。息子の黄昏れ泣きがひどくてさ。夫が帰って来ても、疲れてほほえんでもやれない自分が居る訳ですよ。もう寝るの九時半だよ、今の私。朝五時半起床。ウンコは少し固めだけど毎日出てるね。朝ご飯は卵掛けご飯。毎日ベビーカーひいて汗だくで買い物。どうしよう健康的過ぎる、長生きしちゃう。
そんなことで、気付いたらアマゾンでクリックしてた。フィッシャープライスのレインフォレストジャンプルー、とかいうおもちゃ。1万以上しちゃったけど、赤ちゃんが乗ってジャンプできるんだ。世の中には泣き止んでほしい母達の弱みにつけこんだ商品が山ほどあるんだぜ。私、ここ2年洋服も買ってない、化粧品も買ってない、いつもノーメーク。顔だってもう水でしか洗ってない。ファンデーションなんて1年つけてない。身だしなみなんて鼻毛切るのと眉毛がつながらないようにするくらいですよ。こんなにも財布のヒモが固い女なのにね、買っちゃうですよ。ワンクリックでね、届くんですよ。意味不明のおもちゃが。
「これに乗せると赤ちゃんが大喜びで泣き止む!もっと早く買ってあげればよかった!」なんていう口コミを読んでね。「これさえあれば、、、これさえあれば、、、。」ってなるんだよ。息子はむずがって泣いていても、膝の上でちょっとジャンプさせるといきなり笑うので、きっとこれは有効かと思う。泣き叫ぶ息子を片手間にあやしながら、かつてないスピードでおもちゃを組み立てる私。乗せてみた。
おお、、、なんかまだよく分かってないみたいだけど、泣き止んだ。散りばめられたおもちゃの数々にも興味を示してる。ヘラヘラ笑い出した!成功かも!サンキュー、変なおもちゃ!
大丈夫ですよ、これに頼り切ったりしませんってば。基本私があやせばいいんでしょ!分かってます分かってます。
産む前は、ベビーベッドなんて買うわけないと思ってた。搾乳機なんて買うわけないと思ってた。ベビーバスもおもちゃも、すぐどうせ使えなくなるんだし、何にもいらないぞ!って思ってた。けど、今や赤ちゃんグッズで溢れている。いらないもんまで買ってる。おっぱいは経済的だから、絶対おっぱいだけで育てるぞ!と誓って、頑張った。けど、結局トラブルが多すぎて母乳外来に通い詰め、粉ミルク以上に出費はかさんだ。
すべては、予定どうりではない。私の色々な予定など、何も通用しなかった。スケジュールを立てられない人生が始まった。今度は何をクリックしてしまうのだろうか。恐ろしい。

里帰り出産のち、猿と鹿とムカデの這いずり回るカントリーロード三重から、ベランダからうっすらと東京スカイツリーの見える東京は江戸川区へ引っ越してまいりました。やっと夫と合流。う〜ん、この排気ガス臭、、、。三重に居た時は虫の鳴く声とおじさんの振り回す草刈り機の音しかしなかったのに、今やマンションの窓を開けたら、耳をつんざくようなけたたましいパトカーの音が。毎晩事件です、、、ねえさん。
新居は、、、男の一人暮らしの園でした。夫さま、半年近く東京で一人暮らしお疲れさまでした。
そして私がまず最初にお世話になったのが、やはり産婦人科の母乳外来でした。引っ越しのストレスと冷えにより、乳が一気に詰まりまたもや石化してしまった私のおっぱい。一晩中揉み続けてもびくともしない岩のような乳。乳が出なくて泣き叫ぶ息子。朝になり、髪の毛もぐっちゃぐちゃのままベビーカーをひきずり歩いて7分余りの産婦人科へ。歩いて7分で産婦人科なんてすごくないか!!??三重に居た頃は、最寄りのコンビニまで車で10分だぜ。などと、事あるごとに三重と比較して驚く田舎者。
田舎者、乳を詰まらかしてシティの産婦人科へ参る。なんと、そこに居たのはゴッドハンド助産師。ひともみで私の乳に詰まった怪しげな塊をすぽーん!とはじけとばしてくれました。私は驚愕し過ぎて乳を噴水のように飛ばしながら「すごーいい!!!!」と大絶叫。これが、、これが日本の凄腕が集まる地、東京。三重の産婦人科にはいなかったですぜ、あなたのようなゴッドハンド。「すごいすごい」を連発する田舎者の私に、ゴッドは一言「仕事だからねえ。あははは。」と。見た目はどこにでも居る温和なおばさまなのに。実はおばさんの仮面をかぶった乳ゴッドであった。もう、ゴッドに会いに通いたくなっちゃう!でも3000円かかっちゃう!ひともみ3000円!やはり神!
コンクリートロード東京だが、10分歩けばなんでもある。ベビーカーをひきずりながら、歩いて何でも手に入れてやるぞー!排気ガスで鼻毛は伸びるけど、たくましく生きよう。

最近、友人のひとみちゃんが「そろそろ絵本読み始めてもいいかもよ」と言っていたので、絵本の読み聞かせをするも、いつもモウレツに嫌がられて悲しく幕を閉じている。母ちゃん、下手かな?そういえばうちの母は、ものすごく絵本を読むのが上手だった。絵本には書いていないオリジナル効果音を、巧みに繰り出すエンターテナーであった。そのおかげで、なぜか笑う場面でない箇所でも、私ら姉妹はゲラゲラ腹を抱えて笑っていたのを覚えている。絵本の作者からしたら不本意な状態だったかもしれないけど。
ところでタイトルの「母、倒れる。」の母とは、私の事である。金曜日に、何か乳が痛いの〜と思っていたら、突然39度も熱が出てぶっ倒れた。またもや乳が詰まったようだった。どんだけ乳は私を苦しめるのか。
しかも高熱が出たのが深夜のことで、まだまだ頼りになる私の母は血相を変えて、産婦人科に電話した。「すぐこい。」とのことだったので、たまたま大阪から来ていた姉に息子を託して、私は両親の運転する車にふらふらと乗り込んだ。夜の道路を突っ走る親の背中を見ていたら、ほろりと来た。私はまだまだこの人たちに守られていると感じた。まだまだ親の背中は、私にとっては大きい。
深夜の産婦人科、院長ののりちゃんが静かに私の乳を揺する。乳を揺すってもこれだけさわやかなおじいさんは、世界中探してものりちゃんしか居まい。「う〜ん、そやなあ。多分ここのつまりのせいやなあ。赤ちゃんに影響の無い弱い解熱剤と葛根湯出しとくから。あとは看護師さんにしぼってもらって。冷やしとくんやに。」
私が勝手に心の中で「まゆみ」と呼んでいる若い看護師さんが、しっかりと描かれた眉毛を上下させながら乳を搾ってくれた。まゆみが、すこぶる一生懸命「詰まらないための工夫」やらなんやら話してくれているのに、私は眠すぎて目が白目で聞いていたらしく、途中でまゆみが笑い出した。もうなんでもいいから眠りたかった。まゆみ、あとはよろしく、と言わんばかりに私は突然横になり、まゆみは眠ったままの私の乳を搾り続けてくれた。
が、詰まりは完全には取れなかった。なので熱のひいた本日、私はまゆみを裏切って別の母乳外来に車を飛ばした。Yクリニックのおっぱい外来へ駆け込むと、夏風邪をひいたメガネのおっぱいスペシャリストが出て来た。スペシャリストは、マスクをして咳き込みながらも、一生懸命私の乳を搾ってくれた。私の乳が四方八方に飛び散って、スペシャリストのメガネも乳だらけだったが、詰まりが取れた。風邪でしんどいのによくぞ他人の乳を搾ってくれた。多分「はー、やってらんねーよ。」とか思ったかもしれない。あんたが頼りだ、助けてくれてありがとう。
スペシャリストは的確に、乳のしぼり方を私に伝授し、去って行った。
帰りの車から見える経が峰が、青々と美しく爽やかであった。詰まりが取れた私の心が見せた風景だった。おっぱいが詰まるたびに「神様、ごめんなさいごめんなさい。私の何がいけなかったのでしょうか?心を入れ替えるのでこの詰まりを取ってください。」と願って、なんとかやってきている。あと何度私はおっぱいに泣くのだろうか。もうすぐ東京生活が始まる。東京には、おっぱいスペシャリストはいるだろうか。不安な日々です。

私が東京に行く前に、できるだけたくさんの関西圏の友人、親戚に息子を会わせておかねばと思い、母が大阪ツアーを企画。大阪のおばあちゃんちに行きました。息子、初めての長旅でしたが、振動があれば大人しくできるようで、2時間ずーっとチャイルドシートで熟睡していました。なんてやりやすい子だ。
まずは友人のよーこちゃんが、もうすぐ1歳になる娘のはーちゃんと共に車で駆けつけてくれました。3時間ほど、お互いの出産エピソードを身振り手振りもオーバーに、つばを飛ばしながらしゃべりまくりました。こんなに興奮してしゃべったのは久しぶりでした。

よーコちゃんからいただいたふくろうのリュックサック。もう少し大きくなったら、これにオムツを入れて息子に背負わせよう。己の下の世話を自分で看る男になるのだ。
大阪には、親戚がたくさん住んでいます。またいとこのえりちゃんとさやちゃんも、来てくれました。二人とも、5歳の息子さん、10ヶ月の娘さん、3歳?と1歳の娘さんを持つお母さんです。
私は今まで誰と一番遊んで来たかと言われたら、間違いなくえりちゃんとさやちゃんと言える。という程二人とは朝から晩までよく遊んでいました。休みの日の朝は、えりちゃんさやちゃんと私と姉で朝マックに行き、そのまま夜の10時まで遊んでいました。小学生なのに。お互いの親からストップがかかるまで、とにかくずっーっと遊ぶ。私はあの時代に、一生分遊んだような気がする。リカちゃん人形で、シルバニアファミリーで、病院ごっこ、お母さんごっこ、お店屋さんごっこ、ある時は公園でうんこを踏み、犬に追いかけられたり、初詣はみんなで腕を組んで出かけて、花火大会にも行きました。さやかちゃんは一番お姉さんなので、みんなをまとめて、常に新しい遊びを考えてくれます。えりちゃんは、優しくて何かあると真っ先にかばってくれる。私は二人が本当に大好きでした。朝から晩まで遊んだあの日々は、私にとってものすごく重要で大事な時間だったように思う。
その二人ももう立派なお母さんになっていて、ほんの少ししか会えなかったけど、あまりにもしっかりと二人が母をしていたので本当に驚いてしまった。私が「出産が死ぬ程しんどかったよー。」と言ったら、えりちゃんが「私も一人目は55時間かかってん。しんどいよなあ。シホちゃんエラかったねえ。」と言って、それにもびっくりした。さやちゃんも、一人目は胎盤が出なくて大変だったみたいで、二人ともそんなにしんどい顔をちっとも見せずにいつも楽しそうだったので、まさかそんなに難産だったとは知らなかった。
えりちゃんなんて小さい頃から体が弱くて、マクドナルドのハンバーガーのレタスを、いつも残していたのに。そのエリちゃんが、55時間。でも涼しい顔で、二人目も産んだ。昔からしっかりしていたさやちゃんは、今は昔以上にしっかりしていて、ピアノの先生をしながらおじいちゃんおばあちゃんみんなを巻き込んで、絶妙に時間をやりくりして子育てしていた。
先輩母達は、すごい。そしてそのすごさを分かるようになったのは、私が母になったからだと思った。苦労してない人なんていないんだなあ。東京でも頑張らなくてはと思った。