私が東京に行く前に、できるだけたくさんの関西圏の友人、親戚に息子を会わせておかねばと思い、母が大阪ツアーを企画。大阪のおばあちゃんちに行きました。息子、初めての長旅でしたが、振動があれば大人しくできるようで、2時間ずーっとチャイルドシートで熟睡していました。なんてやりやすい子だ。
まずは友人のよーこちゃんが、もうすぐ1歳になる娘のはーちゃんと共に車で駆けつけてくれました。3時間ほど、お互いの出産エピソードを身振り手振りもオーバーに、つばを飛ばしながらしゃべりまくりました。こんなに興奮してしゃべったのは久しぶりでした。
よーコちゃんからいただいたふくろうのリュックサック。もう少し大きくなったら、これにオムツを入れて息子に背負わせよう。己の下の世話を自分で看る男になるのだ。
大阪には、親戚がたくさん住んでいます。またいとこのえりちゃんとさやちゃんも、来てくれました。二人とも、5歳の息子さん、10ヶ月の娘さん、3歳?と1歳の娘さんを持つお母さんです。
私は今まで誰と一番遊んで来たかと言われたら、間違いなくえりちゃんとさやちゃんと言える。という程二人とは朝から晩までよく遊んでいました。休みの日の朝は、えりちゃんさやちゃんと私と姉で朝マックに行き、そのまま夜の10時まで遊んでいました。小学生なのに。お互いの親からストップがかかるまで、とにかくずっーっと遊ぶ。私はあの時代に、一生分遊んだような気がする。リカちゃん人形で、シルバニアファミリーで、病院ごっこ、お母さんごっこ、お店屋さんごっこ、ある時は公園でうんこを踏み、犬に追いかけられたり、初詣はみんなで腕を組んで出かけて、花火大会にも行きました。さやかちゃんは一番お姉さんなので、みんなをまとめて、常に新しい遊びを考えてくれます。えりちゃんは、優しくて何かあると真っ先にかばってくれる。私は二人が本当に大好きでした。朝から晩まで遊んだあの日々は、私にとってものすごく重要で大事な時間だったように思う。
その二人ももう立派なお母さんになっていて、ほんの少ししか会えなかったけど、あまりにもしっかりと二人が母をしていたので本当に驚いてしまった。私が「出産が死ぬ程しんどかったよー。」と言ったら、えりちゃんが「私も一人目は55時間かかってん。しんどいよなあ。シホちゃんエラかったねえ。」と言って、それにもびっくりした。さやちゃんも、一人目は胎盤が出なくて大変だったみたいで、二人ともそんなにしんどい顔をちっとも見せずにいつも楽しそうだったので、まさかそんなに難産だったとは知らなかった。
えりちゃんなんて小さい頃から体が弱くて、マクドナルドのハンバーガーのレタスを、いつも残していたのに。そのエリちゃんが、55時間。でも涼しい顔で、二人目も産んだ。昔からしっかりしていたさやちゃんは、今は昔以上にしっかりしていて、ピアノの先生をしながらおじいちゃんおばあちゃんみんなを巻き込んで、絶妙に時間をやりくりして子育てしていた。
先輩母達は、すごい。そしてそのすごさを分かるようになったのは、私が母になったからだと思った。苦労してない人なんていないんだなあ。東京でも頑張らなくてはと思った。