栗沢まりさんのデビュー作「15歳、ぬけがら」という小説の装丁画を描かせていただきました。講談社児童文学新人賞佳作の作品です。
帯にもありますように、貧困がテーマです。子どもの貧困。日本は深刻ですよね。よくNHKのクローズアップ現代とかNHKスペシャルにもつい最近取り上げられていました。戦後どんどん豊かになってきたはずの日本ですが、今また深刻なんです。NHKスペシャルで井筒監督が「オレらの頃はみんな貧しくて当たり前やったから、そんなこといちいち辛いとか思わなかったけどなあ」とつぶやいておられましたが、貧困を経験した若者が「みんなが貧しいなら辛くないんです。でもみんなが持っていて当然の物を持てない、みんなができることが自分のうちではできない。ということが一番辛い、将来への希望がもてなくなる。」ということなんです。
今回のこの「15歳、ぬけがら」は貧困をテーマにした小説なんですが、かわいそう、というのではないです。なんというか、かっこいいと言った方がいいですね。もちろん辛いシーンもたくさん出てくるのですが、力強く孤高な麻美という主人公をみてほしいです。「ぬけがら」という言葉の意味も、かっこいいんです。自分の未来に思いを馳せる事ができるということが、どれだけ幸福であるかを思った。
児童文学だけれど、大人が読むべき一冊だとも思います。大人にしかできないこともたくさんあるから。
4年目、ついに4年目に突入です。姉の米作り。4回目なのにいつも胸が張り裂けそうに心配で緊張するそうです、姉。「やめりゃあいいじゃん」と言いたくなる程です。と、いうのを毎回思うし、毎回ブログにも書いている気がします。それでも毎年私も見ないと気が済まない。息子のこうすけもだんだん、さすがに、「どうやらなほちゃんは米を作っている人らしい」というのがはっきりと分かってきたようです。今年は9ヶ月のなっちゃんもベビーカーより観賞。去年はこの時期腹に入ってた赤子ですね。
こうすけは目下田植機が一番の関心事。なほちゃんと田植機を洗ったり、乗ったりすることを一番の楽しみにしています。
今年は姉の旦那様マイマイ氏も、大阪より妻のためにGWをすべてささげて参加です。しかもその仕事内容たるや、複雑に絡まったシカ除けのヒモをペットボトルに延々巻き付けるという、発狂しそうな作業。大阪から激混みの道を3時間ばかりかけて車を走らせ、着いた早々この発狂しそうなもどかしい仕事を夫に任せる鬼のような嫁なほこ。自分はというと、軽トラで農協に行ったり、田植機のメンテナンスなど、大ざっぱな仕事ばかり。細かい神経をすり減らす仕事は、マイマイにおまかせです。
シカ除けのヒモだってね、確かこの面倒な作業は去年もやったよね?だったら去年の稲刈りの時期にヒモをはずすときにペットボトルに巻きながらやれば、この時間は削減できるんやないか?と誰もが頭をよぎったのですが、「そのときは必死すぎてそんなこと後でええとおもうのや」そうな。あのときの無計画によりこの地獄の作業がある。常に行き当たりばったりなのに毎年よく米は無事に実ってくれるなあと米に感謝です。
いつもソファに座って時代劇を観ているスーパーメタボ定年じいさんのうちの父も、家族内村八分にあいかけたので慌ててペットボトルヒモ巻きに参加。あまりにも地道な作業に「おい〜非生産的な家族やのう。家内制非生産手工業やのう。」と重たい体をゆすってぶちぶち文句を言いながらです。そうやって、家族総出で庭で作業している中、みんなにちょっとずつちょっかいかけながらこうすけが楽しそうに遊んでいて、おばあちゃんが時折お茶をいれてくれたりして、「あ、昔ってこんな感じできっと誰がみるともなく子育てがすんでいったんやろうな。」と思いました。人手が多いって本当にありがたいことやなと思いました。子どもの存在を意識しすぎるでなく、ゆるやかにみんなが見ている。私にとってはとてもそれが楽しく嬉しいことに思えました。ヒモ巻きの作業だって、私には妙に楽しく思えた。
みんなが神経をすり減らす中、姉が「え〜っとどうするんやったっけ〜?」となんと田植えを前日に控えて、今年初めてどうやら田植機を動かすらしいです。いつもこんなんです。ギリギリになってやる女です。母はいつもそのことにやきもきしておるようです。小さい頃からそうらしいです。知っています。考えたり準備は嫌いで、とにかく「DO!」です。そんな感じで高校卒業後英語もしゃべれぬままアメリカへ留学したりしています。私とは正反対の姉です。
でも、どうにかなっていっています。それはひとえに、周囲の人々の支えですよね?お姉様。みんなが心配する中「大丈夫大丈夫〜!私一人でするから〜!」と言って、いつもみんなでしています。私はね、楽しいからいいですよ。いつもは東京で離れて暮らしていて、たまに帰ってこうしてみんなでするの楽しいからね。そうして、今年もどうにか無事に田植えがすみましたよ。
皆さんはキッザニアをご存知でしょうか。子どもがミニチュアの職場体験ができる施設といえばいいのかな?まあなかなかに人気の施設で、連日子ども達で賑わっているんですが、それとほぼ同じような施設にKanduというのが幕張にあるんですね。私も今回初めて知ったんですがね。お隣のご家族に誘っていただいて、うちの息子と私となっちゃんとお隣のご家族で初めて行ってきました。なっちゃんはベビーカーで寝てただけだけど。
行ってみて、その手続きの忙しさにもうあっぷあっぷでした。子どもがやりたいといった施設、例えばアイスクリームやさんとかね、それの予約をしに行って、何時にどこそこへ集合、他にもやりたいお仕事があったらそれも予約しておかないといけない。お仕事の内容は警察官、科学者、キャビンアテンダント、たこ焼きやさん、ピザ屋さん、モノレール運転士、他にも色々です。ぼんやりしてたらあっというまに予約はすぐにいっぱいになってしまって、事前にやりたいことをしっかりと考えて、計画的に動かないと当日は何にもできなかったということにもなりかねません。こういうの私はものすごく苦手です。ディズニーランドとかでもそうなんですが、ファストパスとかあるやないですか?ああいうの、全く無知ですべて友達任せで今まできました。「へー、みんな良く知ってるなあ。すごいなあ。」という感じで、誰か友達が「ディズニー行こうや!」と言い出してくれて「え、じゃあいく〜。」みたいに、いつも棚からぼたもち的についていくだけ。自分で何かを計画したことがない。当然知識も要領の良さも私は何もアップデートされないままいつのまにか35歳になってしまっていました。
今回も、もう他のお母さん達が予約とりに頑張って走っている姿をみて目眩が。私はなっちゃんの授乳を理由に、もう完全に一緒に行ったママ友に投げっぱなしにしてしまいました。息子も、私は頼りにならないと悟ったのか、ママ友家族としっかり手をつないでもらって、希望を色々かなえてもらっていました。ああ〜良かった。ありがとうございます!とりあえず写真とかは撮ってあげて、親の役割を果たした気になっていました。
自分は、山と田んぼしかない田舎に育ったからきっとそういうのが下手なんだと、なんとなく思っていたけど、同じ田舎で育った姉は、昔からちゃんといろいろ計画を立てて、自分の行きたいお店や場所を調べて、東京に旅行したときなんかは「原宿のあのお店に行きたい」ってちゃんと言ってたなあと思って。高校だって、三重に住んでいたのに大阪の高校なんかも調べて受験したり、アメリカの大学を調べて留学したり。ねえちゃんはすげーなあと尊敬していた。どんどん外の世界に出て行く姉に驚きながら、私はいつも自宅から最寄りの学校に通っていた。
だからどうなんだよ、とね。そのことを悲観した事など一度も無く、自分は居心地がいいことが最優先事項なんだなあと改めて思った。不安や恐怖がなく、お腹が空いたら食べ物があって、眠かったら寝心地の良いよく知ってる布団で寝て、読みたい本が手元にいつもあって、そこそこ清潔にしてあって、好きな番組が録画してある。最高やないか!
今回Kanduというアミューズメントパークに誘われ、まず集合時間が早いというだけで一週間前ぐらいからちょっと緊張。集団行動を乱してはいけないと思うと緊張。お腹が空いても言い出せないかもと思って血糖値が下がる。でも子どもが楽しそうだから、それ全部意味あったんだね。大事なことなんだよなと自分を納得させる。
子どもが輝く姿を見て本気で嬉しそうにしている親御さん達がまぶしい。ビデオキャメラを回している親御さんなんか本当にまぶしい。Kanduなんかで倒れそうになっている自分が情けなくむしろおかしい。でも無事に「楽しんでいた親子」を最後まで演じきった自分を褒めてやりたい。ああ、眠い、お腹が空いた。一刻も早く帰って、ソファに倒れ込んで、お腹いっぱいご飯を食べたい。息子は「すごく楽しかった!ママまた行こうね。」と嬉しそうに言ってた。あんたが、エネルギーのある子で母さん良かった。これからもたくましく生きていってちょうだい。そしてこれからも棚ぼた的に誘われるのを私はじっと待つのだ。
8月に産まれた娘のなっちゃんが初節句を迎えました。1月中旬くらいまでぼけーっとしていた私は、夫のお母さんから「なっちゃん初節句だね」と言われて「え!あ、そうか。おひな様か。」とやっとそのあたりから「おひな様探さな!」と意識し始めました。息子の時も、4月生まれだったもんで、おけつもオマタもビリビリのままずっと床にふせっていてそれどころではなく、結局1年後に兜を買いました。
人形と言えば「にんぎょ〜のきゅうげつ〜」というCMはものすごい効果ですよね。耳に残りまくり。CMソングってすごいわ。もう久月しか知らんし、ということでネットで検索したら、東京の浅草橋に本店があるやんか!あれは愛知のもんやと思ってたから本店が東京にあると知ってびっくり。なんでも浅草橋周辺は人形問屋だらけで、みんなそのあたりに買いにいくもんらしいですね。ネットで買う事もできたけど「顔が命の人形」ということらしいので、やっぱり実際に見て決めたほうが後悔しないでしょう。
ということで、1月末に浅草橋へ。街は人形を買い求める家族連れで賑わっておりました。いや〜、なんかよく考えると随分とファンタジーな慣習だなあとしみじみしました。だって、女の子が産まれたら、でっかいのになると部屋丸ごと占領しちゃうような人形達をどーんと用意してしまうんですよ。日本人てロマンチストだね。高いのってすんごい高いよ?1年に一度出すお人形に100万とかかけちゃう人もいるのだもんな。それぐらい子どもを大事にしてきた民族なんだな。なのに今や子どもの貧困が社会問題ですよ。先祖が泣くわ。子どもを大事にせんと我々日本人に未来はないのやぞ。
などと、人形を買い求める家族連れを見て思ったりしました。いつの時代でも、ちゃんとみんな人形買うんだなーと。っていうか人形だけで成り立ってるお店が今もちゃんとあるんだもんな。そんな私たちもこうやって人形を見に来ました。選ぶポイントは二つ!まず超小さい事、そして夜中に見ても恐ろしくない事です。転勤族なもんで、賃貸暮らしはミニマムにいかないとということでコンパクトであることは必須条件です。あと、恐ろしくないというのも、、、大事ですよね?おひな様ってよくホラー漫画になってますよね?ゼッタイみんな一度は「こえーな」って思った事あるよね?うちのばあちゃんちのおひな様なんか、ねずみにかじられて首がもげたりしててホラー以外の何ものでもないけど、毎年ばあちゃんは「かわいいやろぅ?」と言って目を細めて出してますよ。「幽霊を信じない」私の夫もこのポイントは非常に重要だったらしく、選ぶ際に何度も「これだったら夜中に見てもこわくないんじゃない?」と言ってました。おぬし、幽霊信じてないんじゃろう?
その譲れないポイントを見事にクリアして選んだのがこれです。ほーら、全然こわくない!!そして、めっちゃ小さいんですこれ。こんなに小さいのに11万円!のけぞるわ。ファンタジーにお金をかけてしもうたぜよ。いやいや、大事ですよ。大事な事です。双方の両親からちゃんと初節句のお祝いをいただいております。親は本当にありがたい存在です。こうして当たり前のように人形をそろえてあげられるのも両親のおかげです。自分も孫ができたらちゃんとしてあげたい。親がしてくれたように。んなこといったって、自分の子ども達30年後とかどうなっちゃってんの?とか全く予測不可能ですけどね。孫なんて夢のまた夢。でも、このひな人形の伝統は、こうして廃れてないんですよ?すごいことですよ。まあ多分人形業界も戦々恐々でしょうけどね、この少子化のなか。問屋街の客引きの勢いといったらすごかったですもの。ここは歌舞伎町?みたいな。
届いたおひな様を飾ったら、息子が「オレの人形も出してくれよ!」と騒ぎまくったので、しぶしぶ5月人形も出す事に、、、。ミニマムサイズを選んだのに同時に二つも人形出したら意味ないやん。そんなことで、しばらく手狭な我が家にファンタジックな人形達が幅をきかせていました。
3歳の息子は今まで鼻くそを食べる事はしなかった。ちゃんと、ティッシュにくっつけていた。でも一週間くらいまえから急に鼻くそを食べるようになった。あれ?と思って「なんで急に鼻くそを食べる事にしたのか?」ということを問うてみた。
そしたらこう言った。「幼稚園のお友達はみんな食べていて、みんなおいしいから食べてみなよって言うの。だから僕も食べる事にしたの。」と。へえ、なるほどね、園児の口コミで広まってる訳やな。普段彼らが一体どういう話を楽しんで、どういったコミュニケーションをとっているのか、園の様子をつぶさに見ている訳ではないので窺い知る事はできない。でも、こんな会話を楽しんでいるのかと思って、もうおかしさがこみあげてきた。「おいしいよ!こうちゃんも食べてみなよ!」みたいなことを言われたのかなー。と思って、その話だけで半日おもしろかった。
私は常々、なぜ小さな子ども達は鼻くそを食べるんかなあと疑問に思っていたのだ。自分が幼稚園児のときだって、かわいくてなんでもできるまいちゃんも食べていたし、大人しくて優しいのりえちゃんでさえ食べていた。泣き虫のともくんももちろん食べていた。でも、私は、私だけは絶対に鼻くそを食べなかった。だって、鼻のクソだぜ?みんなどうかしてると思っていた。当時から意識して私はそのことが不思議だったので、絶対に食べていないと断言できる。そして、理由がわからないまま大人になり、いつのまにかみんな鼻くそを食べなくなっていた。
ある日、また鼻くそを食べる事について思いを馳せる話を耳にしてしまった。小学校の先生をしている私の友人が「児童がみんな鼻くそを食べているから驚く、ちなみに小1だと100パーセント食べている」という衝撃の割合を聞いてしまったのだ。もしかして鼻くそは案外ものすごい栄養価なのかもしれない?だからみんな食べているのか?
そしたら、ついに自分の息子まで食うようになった。ああ、やった、ついに鼻くそを食べている本人に直接話を聞ける。当事者に意見を聞く事ができるまたとない機会を得た。そしたら、なんということはない口コミで広がっている小グルメだと、私は納得した。ツツジの花の蜜が美味しいよっていう口コミと一緒だね。「どれどれそんなおいしいもんがタダで手に入るならちょっといただいてみようかな」ぐらいの感じでみんな食い始めるのかもしれない。自分の体から出るスナック菓子感覚だ。そりゃあ、手軽でいい。
でもだんだんみんな、なんとなく気づいていってやめるんだね。大きくなってもそれをやっていると、色々具合が良くないってことをね。今まで習慣にしてきたことを止めるのは結構頑張らないといけないから、みんなそのときはちょっと辛かったかもしれないね。
私も鼻くそ食べる息子にうるさく言ってはいけない。見て見ぬ振りをしてあげなくてはいけないのだろう。私にとってもなかなかに試練だ。だって、私は食べる喜びを知らずに育ったのだから。でも息子は食べることにしたのだね。それを受け入れてあげようじゃないか。