
皆さんはキッザニアをご存知でしょうか。子どもがミニチュアの職場体験ができる施設といえばいいのかな?まあなかなかに人気の施設で、連日子ども達で賑わっているんですが、それとほぼ同じような施設にKanduというのが幕張にあるんですね。私も今回初めて知ったんですがね。お隣のご家族に誘っていただいて、うちの息子と私となっちゃんとお隣のご家族で初めて行ってきました。なっちゃんはベビーカーで寝てただけだけど。

行ってみて、その手続きの忙しさにもうあっぷあっぷでした。子どもがやりたいといった施設、例えばアイスクリームやさんとかね、それの予約をしに行って、何時にどこそこへ集合、他にもやりたいお仕事があったらそれも予約しておかないといけない。お仕事の内容は警察官、科学者、キャビンアテンダント、たこ焼きやさん、ピザ屋さん、モノレール運転士、他にも色々です。ぼんやりしてたらあっというまに予約はすぐにいっぱいになってしまって、事前にやりたいことをしっかりと考えて、計画的に動かないと当日は何にもできなかったということにもなりかねません。こういうの私はものすごく苦手です。ディズニーランドとかでもそうなんですが、ファストパスとかあるやないですか?ああいうの、全く無知ですべて友達任せで今まできました。「へー、みんな良く知ってるなあ。すごいなあ。」という感じで、誰か友達が「ディズニー行こうや!」と言い出してくれて「え、じゃあいく〜。」みたいに、いつも棚からぼたもち的についていくだけ。自分で何かを計画したことがない。当然知識も要領の良さも私は何もアップデートされないままいつのまにか35歳になってしまっていました。
今回も、もう他のお母さん達が予約とりに頑張って走っている姿をみて目眩が。私はなっちゃんの授乳を理由に、もう完全に一緒に行ったママ友に投げっぱなしにしてしまいました。息子も、私は頼りにならないと悟ったのか、ママ友家族としっかり手をつないでもらって、希望を色々かなえてもらっていました。ああ〜良かった。ありがとうございます!とりあえず写真とかは撮ってあげて、親の役割を果たした気になっていました。
自分は、山と田んぼしかない田舎に育ったからきっとそういうのが下手なんだと、なんとなく思っていたけど、同じ田舎で育った姉は、昔からちゃんといろいろ計画を立てて、自分の行きたいお店や場所を調べて、東京に旅行したときなんかは「原宿のあのお店に行きたい」ってちゃんと言ってたなあと思って。高校だって、三重に住んでいたのに大阪の高校なんかも調べて受験したり、アメリカの大学を調べて留学したり。ねえちゃんはすげーなあと尊敬していた。どんどん外の世界に出て行く姉に驚きながら、私はいつも自宅から最寄りの学校に通っていた。
だからどうなんだよ、とね。そのことを悲観した事など一度も無く、自分は居心地がいいことが最優先事項なんだなあと改めて思った。不安や恐怖がなく、お腹が空いたら食べ物があって、眠かったら寝心地の良いよく知ってる布団で寝て、読みたい本が手元にいつもあって、そこそこ清潔にしてあって、好きな番組が録画してある。最高やないか!
今回Kanduというアミューズメントパークに誘われ、まず集合時間が早いというだけで一週間前ぐらいからちょっと緊張。集団行動を乱してはいけないと思うと緊張。お腹が空いても言い出せないかもと思って血糖値が下がる。でも子どもが楽しそうだから、それ全部意味あったんだね。大事なことなんだよなと自分を納得させる。
子どもが輝く姿を見て本気で嬉しそうにしている親御さん達がまぶしい。ビデオキャメラを回している親御さんなんか本当にまぶしい。Kanduなんかで倒れそうになっている自分が情けなくむしろおかしい。でも無事に「楽しんでいた親子」を最後まで演じきった自分を褒めてやりたい。ああ、眠い、お腹が空いた。一刻も早く帰って、ソファに倒れ込んで、お腹いっぱいご飯を食べたい。息子は「すごく楽しかった!ママまた行こうね。」と嬉しそうに言ってた。あんたが、エネルギーのある子で母さん良かった。これからもたくましく生きていってちょうだい。そしてこれからも棚ぼた的に誘われるのを私はじっと待つのだ。

8月に産まれた娘のなっちゃんが初節句を迎えました。1月中旬くらいまでぼけーっとしていた私は、夫のお母さんから「なっちゃん初節句だね」と言われて「え!あ、そうか。おひな様か。」とやっとそのあたりから「おひな様探さな!」と意識し始めました。息子の時も、4月生まれだったもんで、おけつもオマタもビリビリのままずっと床にふせっていてそれどころではなく、結局1年後に兜を買いました。
人形と言えば「にんぎょ〜のきゅうげつ〜」というCMはものすごい効果ですよね。耳に残りまくり。CMソングってすごいわ。もう久月しか知らんし、ということでネットで検索したら、東京の浅草橋に本店があるやんか!あれは愛知のもんやと思ってたから本店が東京にあると知ってびっくり。なんでも浅草橋周辺は人形問屋だらけで、みんなそのあたりに買いにいくもんらしいですね。ネットで買う事もできたけど「顔が命の人形」ということらしいので、やっぱり実際に見て決めたほうが後悔しないでしょう。
ということで、1月末に浅草橋へ。街は人形を買い求める家族連れで賑わっておりました。いや〜、なんかよく考えると随分とファンタジーな慣習だなあとしみじみしました。だって、女の子が産まれたら、でっかいのになると部屋丸ごと占領しちゃうような人形達をどーんと用意してしまうんですよ。日本人てロマンチストだね。高いのってすんごい高いよ?1年に一度出すお人形に100万とかかけちゃう人もいるのだもんな。それぐらい子どもを大事にしてきた民族なんだな。なのに今や子どもの貧困が社会問題ですよ。先祖が泣くわ。子どもを大事にせんと我々日本人に未来はないのやぞ。
などと、人形を買い求める家族連れを見て思ったりしました。いつの時代でも、ちゃんとみんな人形買うんだなーと。っていうか人形だけで成り立ってるお店が今もちゃんとあるんだもんな。そんな私たちもこうやって人形を見に来ました。選ぶポイントは二つ!まず超小さい事、そして夜中に見ても恐ろしくない事です。転勤族なもんで、賃貸暮らしはミニマムにいかないとということでコンパクトであることは必須条件です。あと、恐ろしくないというのも、、、大事ですよね?おひな様ってよくホラー漫画になってますよね?ゼッタイみんな一度は「こえーな」って思った事あるよね?うちのばあちゃんちのおひな様なんか、ねずみにかじられて首がもげたりしててホラー以外の何ものでもないけど、毎年ばあちゃんは「かわいいやろぅ?」と言って目を細めて出してますよ。「幽霊を信じない」私の夫もこのポイントは非常に重要だったらしく、選ぶ際に何度も「これだったら夜中に見てもこわくないんじゃない?」と言ってました。おぬし、幽霊信じてないんじゃろう?

その譲れないポイントを見事にクリアして選んだのがこれです。ほーら、全然こわくない!!そして、めっちゃ小さいんですこれ。こんなに小さいのに11万円!のけぞるわ。ファンタジーにお金をかけてしもうたぜよ。いやいや、大事ですよ。大事な事です。双方の両親からちゃんと初節句のお祝いをいただいております。親は本当にありがたい存在です。こうして当たり前のように人形をそろえてあげられるのも両親のおかげです。自分も孫ができたらちゃんとしてあげたい。親がしてくれたように。んなこといったって、自分の子ども達30年後とかどうなっちゃってんの?とか全く予測不可能ですけどね。孫なんて夢のまた夢。でも、このひな人形の伝統は、こうして廃れてないんですよ?すごいことですよ。まあ多分人形業界も戦々恐々でしょうけどね、この少子化のなか。問屋街の客引きの勢いといったらすごかったですもの。ここは歌舞伎町?みたいな。
届いたおひな様を飾ったら、息子が「オレの人形も出してくれよ!」と騒ぎまくったので、しぶしぶ5月人形も出す事に、、、。ミニマムサイズを選んだのに同時に二つも人形出したら意味ないやん。そんなことで、しばらく手狭な我が家にファンタジックな人形達が幅をきかせていました。

3歳の息子は今まで鼻くそを食べる事はしなかった。ちゃんと、ティッシュにくっつけていた。でも一週間くらいまえから急に鼻くそを食べるようになった。あれ?と思って「なんで急に鼻くそを食べる事にしたのか?」ということを問うてみた。
そしたらこう言った。「幼稚園のお友達はみんな食べていて、みんなおいしいから食べてみなよって言うの。だから僕も食べる事にしたの。」と。へえ、なるほどね、園児の口コミで広まってる訳やな。普段彼らが一体どういう話を楽しんで、どういったコミュニケーションをとっているのか、園の様子をつぶさに見ている訳ではないので窺い知る事はできない。でも、こんな会話を楽しんでいるのかと思って、もうおかしさがこみあげてきた。「おいしいよ!こうちゃんも食べてみなよ!」みたいなことを言われたのかなー。と思って、その話だけで半日おもしろかった。
私は常々、なぜ小さな子ども達は鼻くそを食べるんかなあと疑問に思っていたのだ。自分が幼稚園児のときだって、かわいくてなんでもできるまいちゃんも食べていたし、大人しくて優しいのりえちゃんでさえ食べていた。泣き虫のともくんももちろん食べていた。でも、私は、私だけは絶対に鼻くそを食べなかった。だって、鼻のクソだぜ?みんなどうかしてると思っていた。当時から意識して私はそのことが不思議だったので、絶対に食べていないと断言できる。そして、理由がわからないまま大人になり、いつのまにかみんな鼻くそを食べなくなっていた。
ある日、また鼻くそを食べる事について思いを馳せる話を耳にしてしまった。小学校の先生をしている私の友人が「児童がみんな鼻くそを食べているから驚く、ちなみに小1だと100パーセント食べている」という衝撃の割合を聞いてしまったのだ。もしかして鼻くそは案外ものすごい栄養価なのかもしれない?だからみんな食べているのか?
そしたら、ついに自分の息子まで食うようになった。ああ、やった、ついに鼻くそを食べている本人に直接話を聞ける。当事者に意見を聞く事ができるまたとない機会を得た。そしたら、なんということはない口コミで広がっている小グルメだと、私は納得した。ツツジの花の蜜が美味しいよっていう口コミと一緒だね。「どれどれそんなおいしいもんがタダで手に入るならちょっといただいてみようかな」ぐらいの感じでみんな食い始めるのかもしれない。自分の体から出るスナック菓子感覚だ。そりゃあ、手軽でいい。
でもだんだんみんな、なんとなく気づいていってやめるんだね。大きくなってもそれをやっていると、色々具合が良くないってことをね。今まで習慣にしてきたことを止めるのは結構頑張らないといけないから、みんなそのときはちょっと辛かったかもしれないね。
私も鼻くそ食べる息子にうるさく言ってはいけない。見て見ぬ振りをしてあげなくてはいけないのだろう。私にとってもなかなかに試練だ。だって、私は食べる喜びを知らずに育ったのだから。でも息子は食べることにしたのだね。それを受け入れてあげようじゃないか。

今年は、いや去年の暮れはノロウィルスが騒がれていた。特に牡蠣から出るのだそうな。宮城の牡蠣が出荷停止になったりしたみたいです。だのに、我々一家、私の両親、祖母、姉夫婦、私と夫、こうすけとなっちゃんの総勢9名は、牡蠣料理の民宿に新年早々泊まりにいった。
1年前から予約してたんやもの、今更キャンセルできるかい。私は1年間楽しみにしてたんだ。女性は、早くから楽しいイベントを知っていると、ずっとそれを楽しみに生きていけるらしい。ホンマでっかTVでやってた。だから楽しいイベントを前々から教えてあげると、ずっとウキウキしているそうだ。私はおかげさまで、この牡蠣料理を1年前から楽しみに生きる事ができたのだ。キャンセルなんて絶対に嫌だ。ノロでのたうちまわってもいいから私は美味しい牡蠣が食べたいのだ。
慎重派の夫が、やはり「牡蠣料理の旅館って聞いたんですけど大丈夫ですかね?」とかなんとか心配の声をあげていた。やはりな。夫以外は全員楽天的な関西人だからな。「大丈夫やろ〜。もしあかんだら一家全滅やな!あははははは!」で、もちろんキャンセルにはならなかった。
この旅館は、まだ私の姉が赤ちゃんだったころに一度泊まったことがあるらしい。つうことはかなり古いね。トイレが和式で共同と、ネットに書いてあったのが一番の心配だったけど、ちゃんと洋式のウォシュレットだった。あーよかった。うちのメタボのパパなんて和式でしゃがんだら二度と立ち上がれないもん。ノロじゃなくてトイレで死ぬよ、下手したら。古いけど、郷愁を誘ういい感じのレトロ旅館でした。
お待ちかねの夕飯の時間。「生ガキ、食べますか?一応焼き牡蠣に変更もできますけど。」と、仲居さんが言った。皆の間に緊張が走った、、、。87歳のおばあちゃんは、「わたし、焼き牡蠣にしとくわ。」と。おお、そうやな。その年齢でノロったらマジでやばい。生ガキ初体験の夫も躊躇していたように見えたが、せっかくここに来たのに生ガキ食べんでどうすんの!とみんながまくしたてて、結局、ばあちゃん以外みんな生牡蠣食べる事になった。
ぷりぷりの美しい生ガキ3個と、牡蠣のオイル漬けとか、牡蠣の鍋とか牡蠣ご飯とか全部牡蠣でした。こうすけは、海老フライとハンバーグのお子様ランチを用意してもらって、ご満悦でした。なっちゃんはまだ母乳族です。
今年も、楽しかった。毎年年末年始の家族総出のこの旅行が、1年で一番楽しみです。毎年みんな元気で参加できていることが、何よりもありがたくて素晴らしく幸せです。旅行の帰りにみんなで初詣に行きます。今年は8月に産まれたなっちゃんも初参加です。今年もみんなで初詣に行けた!もうそれだけで願う事はないのですが。(いや、色々あるけど)あと何回これが続けられるかな?母といつも目を細めて話します。誰かが欠けたり(縁起でもないが)誰かがまた増えたりして色々変化はあるかもしれないけど、ずっと仲の良い家族で旅行にいけたらいいなと、そういえばそうやって毎年初詣で願うんだった。
もちろん、誰もノロわれませんでした!ほっ!

慌ただしくしていたら、ひと月以上もブログを更新していなかった。そして、年まで変わっていた。眠り姫のようだった第二子なっちゃんも、徐々に自我が芽生えはじめ、日中もほとんど覚醒しており、覚醒時には「私に構って、私を抱いて、乳もちょうだいね」と大騒ぎしているので、自由な時間はなくなってまいりました、、、。今は、寝ている時間に一体どうやってすべきことをするか考えて、泣き出す声に怯える毎日です。皆様今年もどうぞよろしくお願い致します。
年末から年明け9日まで三重の実家に、いつものごとく長期滞在、息子と娘とともに。そう、幼稚園が2学期の修了式前日、息子のこうすけが足を骨折しました。上の写真はその左足の写真。大根じゃないよ。幼稚園バスから、元気なく降りて来た息子。先生が「バスに乗る直前に遊んでいて高所から落ちました。足が痛いというので、お家でみてあげてください。」と。「え?」幼稚園では何もみていないのですか、、、?
息子は「歩けない」と言うのですが、おやつももりもり食べ、冗談も言っていたのでなんとなくいつもの「甘えたい病」と私は判断。「痛いなら病院行こう」と誘っても「いやだ、痛くない」の一点張り。じゃあ、歩いてみせろと叫ぶ私。でも歩けないらしい。「嘘をつくな!」と激怒。息子は泣き出した。泣いてそのまま、寝てしまった。もう日も暮れて、なっちゃんもいるし、どの病院へいけばいいのか途方にくれ、夫にメール。夫は「すぐ帰る」と。
こうすけの足を触ってみると、何度確認しても左足の方が熱をもっている。マジのやつか、、、?そうしていたら夫帰宅。こうすけの足をみるなり「あかんな」と。すぐさま病院へ。2時間後くらいに夫からメールで「骨折しとるぞ」と。わわわわわ、私はなんという事を息子に言ってしまったのか。なんというひどい母か。その場で号泣。悪かった悪かった。母ちゃんが悪かったと帰って来た息子に平謝り。夫は「幼稚園と話をしてくる」と、、、。えー!何ケンカせんでくれ。と慌てたけど、夫はかなり穏便に「再発防止を話し合うのと、防犯カメラを見せてもらう」のだそうで、今回のことで夫の対応の早さに私は非常に助けられました。非常に頼りになりました。私は何もできなかった。ただ、息子に暴言を吐いただけで、最悪でした。
なんで骨折したんかというと、幼稚園には手作りのログハウスがあり、3階建てくらいのかなり高いやつで、その中でヒーローごっこを複数の友達としていて、階段を降りている途中で他のお友達に押されて落ちたらしい。その時に骨折したのだとか。夫が、再発防止を願い出て、幼稚園では色々話し合ってくれたようで、次に幼稚園に行った時には、ログハウス周辺にマットなどがしかれていました。
歩けないなんて、せっかくの冬休みかわいそうに。と思っていたら、10日くらいで「もうこの包帯まくのいやだ」と言ってスタスタ歩いていました。はや!たった2週間で完治、冬休み明け、元気に登園しました。いや〜色んなことがこれからも起きるバイ!こわい!非常時にこそ、その人間の真価が問われるというが、私はもう本当に自信ありません。どうせはりぼて人間ですよ。子ども達を守ってやれる母なのでしょうか。非常に自分が心配です。
最近テレビで「市川海老蔵にござりまする」というドキュメントをやっていたのですが、海老蔵さんが、あまりにも強く優しい人間すぎて涙が止まりませんでした。今まで「なんとなくチャラチャラしてそうな歌舞伎の人」くらいに思っていたのですが、本当に大きな人でした。奥様の麻央さん、子ども達、そして歌舞伎を守り抜くという決意がものすごいオーラとなって海老蔵さんを包んでいました。
ハリボテ人間の私は、打ちのめされました。最近頑張った事といったら、なっちゃんを抱っこしながら安い八百屋の行列に並んだことくらいかしら。ハリボテはハリボテらしく、文句をブチブチ言いながら、また1年が始まりました。今年はどんな美味しいもの食べられるんかしら。