
私には埼玉に一人、三重に一人、大阪に一人、合計3人のおばあちゃんがいましたが、3月13日の13時58分に、大阪に住んでいたおばあちゃんが亡くなりました。85歳でした。膵臓がんで、ガンが見つかってから、2年くらいだったと思います。
長寿ギネス記録を更新するであろうと周囲の誰もが確信していたくらい、猛烈に元気で、おしゃべりで、おしゃれなおばあちゃんでした。いつも髪を紫に染めて、赤やピンクの花柄のレオナールの服を着て、ヴェルサーチのメガネをかけて、毎年海外旅行に行っていました。料理が上手で、掃除は大嫌いでした。
おばあちゃんが入院してからは、家族は少しずつ覚悟を決めていきました。おばあちゃんが居なくなる事に慣れようとそれぞれが努めました。大好きなアイスクリームを食べさせました。おばあちゃんの顔も描いたし、たくさんおばあちゃんに触りました。たくさんのおばあちゃんのお友達もお見舞いにきてくれました。遺影には、最高にかわいらしい写真を用意しました。
本人も自分は幸せだったと思っているでしょう、家族の私達もそう思っています。
おばあちゃん、私とお姉ちゃんをたくさんかわいがってくれてどうもありがとう。

晴れた日に、運動と用事を兼ねて徒歩30分くらいの郵便局へ。それは同時に、私が通っていた小学校への通学路を歩くということでもあります。
この通学路は、行きはすべて下り坂、帰りはすべて上り坂になっており、中学校へ行く時分には自転車を要するのですが、行きは車輪が転がるままに10分。帰りは死ぬ程つらい登りの50分というアンバランスな構成となっておりました。夏場は木陰で何度か小休止して水分補給しないと、死ぬ。水筒を忘れたら、その日は砂漠で迷ったアラブの商人のような気持ちで帰宅しておりました。
大人になった私は今回、徒歩時代の小学校通学路を歩いたのですが、ひとつ決定的に違う事がありました。それは、他人の目を気にするという事です。小学生というのは、きれいに整備されている道路を歩くのは嫌いです。道なき道を行くことを選びます。「今日は全部用水路の中を歩いて帰る」「今日は丘という丘に絶対登って帰る」「見つけたつくしを全部取って帰る」「葉っぱに鼻くそをつけて帰る」というオリジナル条例を自分の中で出すのです。
ただ大人になると、それをしながら帰るという事は「不審者がいる」という村人からの通報、というリスクが伴います。思い出を振り返るイノセントな散歩をしていました、では済まされないのが大人です。
だから結局私は初めて、整備された通学路を歩いた気がしました。緑でいっぱいの土手を歩きたい欲望を抑えて、大人の自制心をフル回転させた散歩でありました。

5年間くらい持っていたケータイを、替えました。
オンボロケータイを携え、最新機種を指差した私に向かって、店員さんは、「この機種はプロ使用ですので、中には使いこなせないお客様もいらっしゃいます。」といって、どうにかこの最新機種にするのを阻止しようとしていた。そもそもプロ使用ってなんだい?何かのプロになれるなら、私これ使いたいです。
店員さんの言いたい事を通訳すると多分「そんな紀元前のケータイ使ってたやつがこれ使える訳ないでしょ?」みたいな感じだったと思う。でも、指差しといた私自身が不安なんだから他人はもっと「知らねーぞ」って思うだろう。
しかも、料金プランの設定のときに「お客様の場合、ほとんどお使いでなかったので、一番安いプランでいいかと思います。」と。還暦過ぎてたら、「うん、そうだよ」っていえたかもしれないけど、一応まだ20代だったので目をそらしそうになりました。どうして私は道頓堀のケイタイ屋さんを選んでしまったのだろう。周囲にサングラスをしたイケイケねーちゃんと、腰パンズルズル男しかいないような場所で。
そうやって、恥をさらして手に入れたこの手に収まるハイテク。今の所、使い方を全部姉に聞いています。

うちの父はマジシャンなので、鳩を飼っています。最近下痢で一羽他界しましたが、白いのが4羽います。我が家は、大自然サバイバル系の環境なので蛇が多く、今まで何羽か食われてしまいましたが、その度に、どこからか父が入手していつの間にか増えています。
よって、この「代わりのいる存在」として捉えられている鳩達は、なんだか見るたびに切ない気持ちに私をさせます。当然私達になつかず、私もイマイチ愛情が湧かず、たまにどこかに連れて行かれては父が喝采を浴びる為に羽ばたかされております。私は彼らに餌をやりに行くたびに「私が天空の城ラピュタのパズーのようなら、彼らは幸せだったのに」と、どうにもならない事を考えたりします。
そして最近やっと、蛇に食われたという教訓を生かして、鳩小屋を新調しました。しかし、これまた大工さんによる愛情たっぷりの鳩の木工細工が私達の愛情とはそぐわず、よりいっそうのわびしさを感じさせるのでした。

本日はひなまつり。このおひなさまは、なんと60年前のものです。歩いて数分のおばあちゃんの家のおひなさま。
3人の娘が全員家を出ようが、孫が東京にいようが、最初の娘が産まれてから60年間律儀に倉庫から出し入れしてきたおばあちゃん。今年は、出すのを手伝えました。
これ、大きそうに見えますが、実際めちゃんこミニマムです。おばあちゃんが正座をしてもてっぺんに届くくらい。よくわからない例えだったので、もう一度、全体の高さがだいたい80センチ、幅は60センチくらいです。かつ、60年前のものなので、相当風化の脅威にさらせれており、鼻はすべてねずみに食い散らかされ、頭ははげ散らかし、ふとした衝撃で首がもげ、弓矢さんなどの持ち物は、ほぼ闘えないレベルのものです。出す時はピンセットを用いなければ、くしゃみをしたら粉々というくらいの繊細さ。
おばあちゃんは、「顔が好きなん。」といっていますが、鼻がもげて髪がボサノバの彼らは結構ホラーです。でも、これからは私が大事にしていく心構えであります。
私の母からは、「娘が嫁入りができんくなるから、4日になったら早う仕舞ってや!!!」と強い口調で言われているおばあちゃんでした。私のせいでごめんなさい。おひなさまは悪くありません。