晴れた日に、運動と用事を兼ねて徒歩30分くらいの郵便局へ。それは同時に、私が通っていた小学校への通学路を歩くということでもあります。
この通学路は、行きはすべて下り坂、帰りはすべて上り坂になっており、中学校へ行く時分には自転車を要するのですが、行きは車輪が転がるままに10分。帰りは死ぬ程つらい登りの50分というアンバランスな構成となっておりました。夏場は木陰で何度か小休止して水分補給しないと、死ぬ。水筒を忘れたら、その日は砂漠で迷ったアラブの商人のような気持ちで帰宅しておりました。
大人になった私は今回、徒歩時代の小学校通学路を歩いたのですが、ひとつ決定的に違う事がありました。それは、他人の目を気にするという事です。小学生というのは、きれいに整備されている道路を歩くのは嫌いです。道なき道を行くことを選びます。「今日は全部用水路の中を歩いて帰る」「今日は丘という丘に絶対登って帰る」「見つけたつくしを全部取って帰る」「葉っぱに鼻くそをつけて帰る」というオリジナル条例を自分の中で出すのです。
ただ大人になると、それをしながら帰るという事は「不審者がいる」という村人からの通報、というリスクが伴います。思い出を振り返るイノセントな散歩をしていました、では済まされないのが大人です。
だから結局私は初めて、整備された通学路を歩いた気がしました。緑でいっぱいの土手を歩きたい欲望を抑えて、大人の自制心をフル回転させた散歩でありました。