今、まさに今息子を幼稚園に送ってきました。ついに今日幼稚園入園です。息子は園の入り口で大泣きしましたが、私は笑いが止まりませんでした。ひゃっほーです。ほんの数時間ですが私は自由を手に入れたのです。
もうスーパーで怒号をわめきちらしながら逃げ回る息子を追いかけなくてもいいのです。見たい商品を吟味しながら買う事ができるのです。ちょっとクリーニングに寄ったり、美容院に行く事もできるのです。こうやって、ブログだって書けちゃうのです。カビ掃除だってできる。息子が入園する二日前には、したい事を箇条書きにして、笑いが止まらず、睡眠不足に。
24時間営業の便利屋は、ここらでちょっとおしまいです。しかし、8月には、今私の胎内に生息しているもう一人のモンスターが出て来て、便利屋再開となります。だから自由な時間は3ヶ月もないくらい。だから、しなきゃいけないことがいっぱい。
息子の幼稚園は、超のびのび系の幼稚園で、古くて、おしっこの匂いが染み付いた園ですが、園長先生の人柄と大らかな感じが良いと思って選びました。入園に際して、制服や鞄に大量の名前記入と、この園独自の「一人一個のマーク」が与えられ、そのマークもすべての持ち物に記入しなければならず、なんと息子に与えられたのは「ヘリコプター」のマーク。ふと他の人のマークを見ると、みんな「旗」とか「お花」とか「ボール」とか一筆書きできそうな超簡単なマークです。おいおい?私のヘリコプターのこの複雑さはどういうことなの?私、園の人に「イラストレーターやってます」なんて一言も言ってないのに。
そんなことで、夜なべしたりしてヘリコプターマークをフェルトで作ってズボンに貼ったり、小さいシール作って貼ったり、お弁当袋とコップ入れ作りは私の母にちゃっかり依頼して、本日無事に息子を送り届けて来ました。
11時20分にはまたお迎えに行かなきゃいけないので、本当に一瞬だけどね。お弁当が始まったら、また大変。以上、喜びの報告でした。息子の成長というよりはむしろ私のちょっとした自由を祝って。
今年大流行したインフルエンザの流行に私と息子が乗ってしまいました。まず私がかかり、その後癒着の激しい母子感染を起こしました。インフルエンザワクチンを打っているからなのか、もともとかからない性分なのか、息子のくしゃみの飛沫を浴びても夫はかかりませんでした。
ワクチンを打ったからといってインフルにかからないとは限らない、ということだったので、私はワクチンをパスしました。息子もパスさせました。幼稚園に入ってからでいいーじゃんと、まあただ単にケチなだけだよね。だってワクチン高いんですもん。私自身は妊娠5ヶ月だったけど、インフルエンザになったってお腹の赤ちゃんには特に影響はないと思っていましたし。
中学生くらいから、ほぼ毎年のように、20代になってもよくインフルエンザになっていましたが、ここ何年かはかかってなかったし油断していました。
毎週木曜は息子の体操教室の日で、その日はなんだか私が行きたくないなーという感じだったのですが、気持ちを奮い立たせ向かいました。喉に違和感を感じつつもマスクしてるしと思ってどうにかやりとげ帰ってきました。その次の日からどうも風邪だと思ったのですが、ごく軽いものだと思って息子の公園遊びに付き合う。寒空の下、ひたすら滑り台で遊ぶ息子を眺める。すると息子は私の目の前でこけて、唇から流血。周囲に居た人がびっくりして集まってくる。親切な人がティッシュをくれる。かなり派手に血が出たもんだから、みんなびびってた。親がどんだけ見守ろうと、こけるときはこけるのだ。唇がはれて、アフリカの奥地の原住民のような分厚い唇になったしまった息子。
風邪かな?と思ってから二日後に、突然猛烈に具合が悪くなってくる。悪寒と鼻水が止まらなくなって、「まさか花粉症?」とか思い始める。熱をはかると37度9分。これくらいの熱だったらインフルじゃねえ、と勝手に自己判断して、私は一日ゴロゴロしただけで、夕飯も普通に作った。日曜日の事です。
火曜日にはスーパーにも行った。私は自分がインフルだとは知らずにそのままずっと普通に過ごしてしまったのだった。区民の皆様には本当に申し訳ないことをしました。息子にも、そうやって移してしまいました。そして、水曜日には息子が高熱を出した。
最近めっきり使わなくなっていたベビーカーを引っ張りだし、息子を乗せて小児科へ。息子が高熱を出してもまだ私は、息子も私もインフルだとは思っていなかった。何の自信かしらないけど。
病院が大嫌いな息子は、小児科の部屋に入った瞬間から帰ると言い出して、ずっとぐずっていた。こんな病院嫌いな息子に、例のあのインフルエンザを調べるキットの、長い棒を鼻に入れる事をどうしても私はしてほしくなかったので(あれ、めっちゃこわいですやん?)頑に「息子はインフルではない!」と先生に言って、調べるのを避けようとするちょっと頭のおかしな母親に私は豹変していた。
したらちょうどいい具合に、恐怖で泣きじゃくる息子の鼻から巨大な鼻くそ君が登場して、そしたら先生が「ああ、ちょうどよかった、これだけ鼻水出してくれたら、奥まで棒を入れなくても入り口だけなぞれば調べられますよ!」と、興奮する母子をなだめて、ちょちょいと鼻水を棒でぬぐって調べてくれた。あーよかった。ますます病院嫌いになられたら、今後が大変すぎてこわかったんだよね。
「はい、インフルエンザA型ですね。お母様も、3日まえくらいに風邪と言ってましたが、おそらくそれはインフルエンザですね。」と、さらっと言われました。しょえーーーー!すすすすいましえん!多分、私自身があの検査キットを鼻に入れられるのがこわかったんです。私はあれが本当にこわいんです。大人げなく色々スルーしてすいませんでした。
息子はタミフルの粉薬を出してもらいましたが、ゼリーに包もうが、ジュースに混ぜようが、アイスに混ぜようが、頑として受け付けなかったので、もうほっときました。したら一日で熱が下がって、吐きもせず下痢もせず、鼻水も咳もそんなに出さないまま3日程で治りました。もちろん、インフルは本来1週間外出禁止ですから、外には出しませんでしたが。
もっと苦しむのがインフルエンザだと思っていたので、これぐらいで済んで良かったです。色々甘く考えていた自分が反省しました。でも、いやー、花粉症じゃなくて良かったとか思っています。多分これはまたなるね。
私はこんなに大きいサイズのスクール上履きを見た事がありませんでした。これは、私の姉の旦那様であるマイマイおじちゃんの履いて来た上履きです。年末に、三重の実家に泊まりに来た時に、なんと、この上履きを履いて来たのです。替えの靴も無く、これできたのです。家族一同大笑いして、大変盛り上がりました。私は隠れて写メまでこうして撮りました。
これを見ただけでも、マイマイおじちゃんがいかにユニークな人物であるかお分かりいただけると思います。私の姉も変わった人間だと思いますが、マイマイおじちゃんもかなりおもしろい人物です。その二人が結婚したのですから、面白い事この上ないです。
マイマイは高校の数学教師で、一日に一食、夕飯しか食べないのです。そして、サンマは骨ごと、なんと頭まですべて食べるのです。つまり、サンマを食べたあと、お皿には何も残らないのだとか。マグカップと、山崎春のパン祭りでもらえる白いお皿を集めるのが好きで、姉と結婚して大阪の家に一緒に住む事になった時に、大量の白いお皿とマグカップと一緒に引っ越してきました。山登りが好きで、高校では山岳部の顧問をしています。そして年末など家族が集まって賑やかになる時には、姉の大好きなサーティーワンアイスクリームを大量に買って来てくれます。もちろん姉の嫌いなシャーベットを除いて。車は、なぜかミッション車にのっているので、姉は運転できずに怒っています。ミスタードーナツも好きなのですが、100円均一セールの時しか姉には買って来てはいけないと止められているそうです。仕事が好きで、休日にも学校に行ったりするし、姉は姉で農業をしに三重に行くので、二人一緒の休日というのはあまりないようです。でも二人はとても仲が良いと私は思います。姉の旦那様がマイマイで、私は本当に良かったと思います。
私の2歳9ヶ月の息子は、このマイマイおじちゃんが大好きで、寝る前になると「こうちゃんは(自分の事)東京、じいじとばあばは三重、なほちゃんとマイマイは大阪。」というのを繰り返してつぶやくのですが、最後に「こうちゃんマイマイ大好き」という言葉で締めくくって眠るのです。
マイマイもこうすけをとても可愛がってくれます。普段は忙しいし、私たちは東京、マイマイおじちゃんは大阪に住んでいてめったに会えないので、年末などの特別な時に現れて遊んでくれる特別なおじちゃんだと思っています。これからも色々な事をマイマイおじちゃんに教わってほしいです。特に数学の事など、重点的に教えてもらってください。お願いします。
話に夢中になりすぎて、二人が来たという痕跡を写真に撮るのを忘れました。とりあえず、二人が持って来てくれたおやつです。他にいちごもありました。美味しかったです。
大学時代からずーっと仲良く、卒業後5年間も練馬で共同生活をした、もはや家族のような二人、かおりちゃんとさちこちゃんが我が家に遊びに来てくれました。20代の頃は、毎日顔を合わせて飯を食っていた私たちでしたが、それぞれ結婚したり子育てしたり、仕事が猛烈に忙しかったりで、めっきり会う機会が減りました。大人になるってそういうことね、、、。
最後に会ったのは、かおりちゃんの結婚式だね。
今かおりちゃんは妊娠9ヶ月で産休に入ったばかり、元々スレンダーな彼女は真っ白なトレーナーを着て、細身の黒いパンツを履いていたので、雪だるまに細い木の枝がささったような感じでした。金色の結婚指輪と金色のピアスがお揃いで、いつ見ても美しい女性です。さちこちゃんは現役ばりばりの小学校の美術専任教師です。黒のロングスカートに面白い柄のついたセーターを着て、素敵な図書館司書さんのようないでたちです。二人とも、あまりにも素敵な大人の女性になっていたので、部屋着でノーメークの私は嬉しくて恥ずかしくなりました。私が車で駅まで迎えに言ったら「子どもが大きな車を運転して来たからびっくりしてたら、せっちゃんだったよ」と言われました。私の息子も、最初は緊張していたのか、にやにやしながら無口でした。
ゆっくり話をするのは2年半ぶりくらいなので、私は夢中で二人に質問し続けました。聞きたい事や話したい事が山ほどありました。でもその半分もいつも聞けないまま、さよならの時間になってしまうのよね。だからまた会いたいと思うんだけども。
二人とは、いつ会っても遠慮もいらないし、着飾る必要もないし、見栄を張る事もないし、なんだったら鼻毛が10本くらい出ていたって、おならをしてしまったって、むしろ話が盛り上がっていいじゃないかという気持ちで会えるので、本当に楽しいのです。涙が出る程笑い合える友達というのは、大人になりきってから作るのは難しいから、本当に貴重な友人です。
二人は、私のブログとか読まないし、LINEだのSNSだのつぶやいたりだのしないし、たまの約束事のメールだっていつも必要最低限、そういうところも二人らしくて私は好きです。流行の服を着るわけでもないのに、おしゃれな所も好きです。
でも、変わらない事ばかりじゃもちろんなくて、一緒に暮らしていた当時とは、興味も関心事も悩み事も変わったし、親の老後を考えたり、産まれてくる子どもの事を考えたり、結婚のことや、家族について考える事がみんな増えたなあと思いました。
昔は、もっと自分の事で精一杯だったもんな。今日着る服どうしようとか、バイトのあの子が気になるとか。あはは、楽しかったね。あの頃も。
かおりちゃんに子どもが産まれたら、さちこちゃんとまた会いに行くよ。今日は遠いところありがとう。楽しい時間をありがとう。
12月27日は毎年恒例餅つきの日でした。今回のメンバーは、84歳おばあちゃんがもちろんボスで、62歳叔母、60歳母、35歳姉、おそらく42歳義兄、33歳私、2歳8ヶ月息子、そして67歳父は、コタツで寝てるだけ。私の夫は28日まで仕事で東京なので、今回は不在。かなりメンバー高齢化してきました。代替わりしなければと思いながら、私はいつも周りではやしたてたり、もちを食ったりするだけであまり戦力にはならず、姉に頼るばかり、、、。母や姉の賑やかな声が響きます。
父はもう最初から当てにされていないので、コタツでテレビを観ており、義兄マイマイは「手伝います!」といつも言ってくれているのですが、女勢のあまりの勢いにおされ、なかなか深くは入り込めず、私の息子をトミカでお守りをしてくれています。それが一番ありがたいんです、私としては。いつもありがとうございます。
つきたての餅を食べながら「あー、私が一年で一番好きな行事が今年も終わってしまったなー」としんみりします。私はこの行事が一年で一番好き。みんながおばあちゃんちに集まって、湯気がたって、賑やかで、つきたてのお餅が食べられる。準備も後片付けも大変だけど、もしなくなってしまったら心の底からさみしい。だから絶対に私と姉で引き継いでいかなくちゃと思っています。
お餅を食べたあとは、みんな満腹感と疲労で大きなコタツで一緒に昼寝。それも好きです。思いがけず寝込みすぎて夕方に起きてしまったあのちょっとした罪悪感なんかも、みんながいるから平気。
今年珍しかった我が家のごちそうとしては、近所の人からいただいた、生の鹿肉を使った「シカシチュー」でしょうか。母は鹿肉を手に入れた物の、どうしようどうしようとモヤモヤしておったようですが、ネットでシチューの作り方を入手し、作ってくれました。これが、、、絶品!絶品でした。私は悪阻が始まっていたので、「シカのシチュー」と聞いただけで、結構どよーんとしていたのですが、食べてみたら本当に、奥深ーいうまみがあって、悪阻でなかったらもっと食べたかったくらいです。
昔シカのお刺身は食べた事があって、それが本当に美味しかったので、本当は生で食べたかったのですが、妊婦に生肉はちょっとという思いもあり、シチューで良かったです。しかし、鹿肉は生でもいけるし煮込んでもいけるとは、やるね。もっと手軽にスーパーとかで買えるようになればいいのにと思います。
そして元日の朝、今年は元日から家族全員で鳥羽へ旅行だったので、おせちはごく簡単なもの。これにお雑煮がついています。しゃけとほうれん草は、お雑煮に入れる物です。でも今回のおせちは特別で、3品ほど、あのぐうたらなうちの父が作ったのでした。確か、ごまめと酢レンコンと、高野豆腐かなんか、、、。父がおせちを作ったのは初めてです。
3月に68歳で定年退職する父、ただでさえソファから離れずテレビばかり観ている父が定年なんかしたら、もう母は怒りで気絶するんじゃないかと私は心底心配していたので、前向きな父の姿勢に少し安心しました。
といっても、このおせちも母から尻を叩かれながら、うっすらモラハラを受けながら、台所で巨大な背中を丸めて作っていました。定年しても仲良くやってほしいと心から願っています。
みんなでおせちの朝食を食べ、お昼ぐらいから、父、母、姉、姉の旦那さんマイマイ、私の夫、私、息子、そしておばあちゃんの総勢8名で2台の車に乗り鳥羽へ。この日のために母は1年前からホテルを予約です。正月は、女は旅行をしたいんです。だって正月に家事したくないもーん。楽しく賑やかなお正月でした。
そして、帰って来たら母はまた来年の旅館を探し始めていました。この楽しい正月のためにまた1年がんばるんだ!