
2月11日に結婚いたしました。
旦那さんはこのブログにもちょこちょこ登場していたオグ〜というサラリーマンです。私の名前は志保子なので、オグシオではなくオグシホとなるわけですね。ただしイラストレーターとしての名前は旧姓のままいきます。
とはいえ一緒に住むのは4月からで、まだ名古屋と三重の遠距離です。私は式場から両親とちゃっかり帰って来たのでまったく結婚したという実感がわきません。おばあちゃんも「あれ?しほちゃんはまだおるんか〜?」とちょっと混乱したようでした。人には色々な事情があるのだよ。
式場は熱田神宮だったのですが、私は大きな文金高島田のカツラをかぶっていたので、終始頭がグラグラしていて、母からいわせると不二家の店頭にある首がユラユラ揺れるペコちゃん人形みたいだったということです。見る度笑いがこみ上げてきたそうな。
大きなカツラと重い着物を着ていたので、式の後半だんだん疲れで眠くなって来て、ぼんやりとしたまま式が終わっていました。そして自分があんなにトイレを我慢できるとは思いませんでした。

でも親しい人や親戚や友人が一同に集まってくれる機会というのは、結婚式とお葬式くらいしかないのだなあと思うと「ああ、大変だったけどなんだかとにかくよかった」と思いました。来ていただいた皆様、本当にどうもありがとうございます。
ほっとしたのも束の間、家探しと家電探しに来週から走り回らなくてはいけません。早く暖かくなりますように。

今年も無事に節分を終える事ができました。といっても巻き寿司にかぶりついて豆を投げるだけだけど。
毎年本当にまめまめしく、おばあちゃんがイワシの頭と柊を用意してくれている。そして毎年いつの間にか、近所のネコによってイワシの頭だけ盗まれている。鬼どころか、野良猫さえも追い払えないこの現実。
その日はいつも私が、近所にある欲望丸出しの店名スーパー「ぜにや」へ恵方巻きを買いに行く。どれだけスーパーや寿司屋の陰謀を感じようとも、堂々とでっかい巻き寿司を食べられるなら私は喜んで恵方巻き文化に便乗しようと思う。姉も一人でしっかり毎年恵方巻きを食べているらしいことは、空になった巻き寿司の箱を父が目撃して分かっている。

おっと失礼。歯形がつくまえに写真を撮るべきでした。ぜにやの恵方巻きは美味しいのです。
夕ご飯の前に、おばあちゃんと二人で各部屋を回って豆まき。おばあちゃんが「福は内!」私は「富は内!」と叫びます。かけ声はおばあちゃんオリジナル?富は内ってあまり聞いた事ない。かなり欲深なかけ声です。
肝心の豆は、なんだか美味しいと思ったら津市で唯一のデパート松菱でわざわざおばあちゃんが買って来たらしい。彼女がいつも一番お金をかけるのは風習や伝統行事について執り行うときです。価値観って本当にそれぞれだ。そうしておばあちゃんは83粒の豆を必死で食べていました。そりゃあそれだけ食べなきゃいけないなら美味しい方がいいに決まってる。

節分とは全然関係ないけど、最近母が父のマジック教室に通い始めて楽しそうだ。マジックが楽しいのではなくて、ステージに立つ事が嬉しいらしい。ステージに立つ日を夢見て、中途半端に練習している。衣装や音楽の事ばかりを気にして、肝心のマジックの腕は彼女が不器用であると想像させるのに十分。私はいつもそれを見て大笑いするけど、何事も挑戦するというのはいいことなのだ。新しいことに挑戦している人の事を笑うのは、それだけできっと私の負けなのだ。

先週3ヶ月ぶりくらいに美容院に行って来ました。いつものお店でいつも通りカットとカラーをお願いしました。
すると「眉毛も染めましょうか?」と美容師のお姉さんが。私は目のすぐ近くにカラー剤が塗られると思うとなんだかこわいのでいつも断っていましたが、その日は「塗っといてください」とお願いしました。眉毛にもカラー剤が塗られ、しばしかつての村山総理のような風貌で座っていました。するとやはりピリピリとした痛みが襲って来て、もう明日から私の顔はパンパンに腫れ上がるんだ、冒険なんてしなきゃよかったと後悔していましたが、あっさりと何事もなく私の皮膚は痛みに耐えて眉毛もチーンと茶色に染め上がりました。
「じゃあ、眉も整えておきますね〜」と言って、おされなお姉さんはチョキチョキと私の垂れ下がった不揃いな眉毛をカット。きっといつもこのお姉さんは私がふさふさした眉毛でちんまりと髪を切ってもらっている時に「こいつ〜眉毛どうにかしろよ〜」と思っていたに違いない、というほど迷いなく「ダメ」な部分をカットしてくれました。そのお姉さんがカットしてくれた部分は、以前オグが「何?ここの部分だけ超眉毛長いんだけど。変、気になる。」と指摘してくれていた所でした。
自分の顔って、慣れてきてもう変な部分が分からなくなるんだ、、、。コワい!!とその瞬間思いました。
高校生のとき、現国の女の先生の眉毛が突拍子もない場所にマジックで描いたみたいにビュっと引いてあって、私はいつもその先生と話す時、眉毛から目が離せず彼女がこの眉毛デザインに至った経緯について考えていたことを思い出しました。自分も今まさにその状態なのではないかと思って、私は美容師のお姉さんにちゃんと眉毛の書き方を教わって来ました。
「眉毛は黒目のちょうど上に当たる一番盛り上がっている部分を濃いめに、眉毛の始まりの部分は薄くしてください。この部分を濃くしてしまうと、すごく勇ましい感じに仕上がってしまいます。」と、、、分かりやすい!!
私今まで眉毛の始まり部分をまさに一番濃くしてたのよ!だからいつもなんだか勇ましい顔つきになってたんだわ。謎がすべて解けた!とお姉さんにたくさんありがとうを言って帰って来ました。
ま、誰もまだ私のそんな眉毛物語に気付いてくれないんだけどさ。そしてきっとまたいつの間にかふさふさ勇ましい眉毛に戻っちゃうのね。

最近読んだ本でとても面白かったのが、このジェノサイドという本。父が「おもしろいから読め!」としきりに騒いでいたので読みました。この本は本当に面白かったので、この本を読む為の時間がすごく欲しくて、毎日なんとなくワクワクした気分でした。確かうちに初めてネコがきたときも、朝起きるのが楽しみだったなあ。
ジェノサイドというのは「大量殺戮」という意味らしく、ものすごく物騒なタイトルですが、とっても緻密に取材されたエンターテイメント性の高い本でした。それで、すごくたくさんの世界が抱える問題が盛り込まれていて、勉強になりました。読み終えた後に、世界を見る目を少し変えてくれます。
私が特におもしろいと思ったのは、「漢字」というのはアルファベット等と比べると不合理な文字のように思われるかもしれないけど、視覚情報として脳の中に入ると表音文字よりも少ないステップで意味内容に結びつくので、勉強すればする程本が早く読めるようになるという話と、戦争開始を決定する最高権力者ほど、敵からの心理的物理的距離が離れた位置に置かれている、という話。他にも人種差別の話とか、科学の話とか、韓国人だけがもつ「ジョン」という感情の話についてとか。
一連の物語の中に、いくつも「世界の仕組みがちょっと理解できるようになる」話が入っていて、それでいてハリウッド映画のような娯楽性も同時に持っているすごい本でした。この本を書いた人は、世界がすこしでもいい方向を向いてくれるように、色々なメッセージを込めつつ、多くの人にそれを伝える為には娯楽性も重要だってことをちゃんと考えてくれたんだなあと思って、読んでいる時に嬉しくなりました。

年に3回くらいだけれど、母はおやつを作る。近頃はもっぱらチーズケーキだ。
昔から思っていたけど、母は「お菓子用の道具」というものに全然頼らない。いつもその辺にあったものを適当に使うので、制作過程がすごくかっこ悪い。写真のチーズケーキも、ケーキの型がないので周りをそばちょこが囲んでいる。ドーナツとかも、ペットボトルのフタとかでかさかさ作る。そしてすごく焦げたりする。だから結局、出来上がったあとも割とかっこわるい。
じゃあ味はきっとすごくいいのだろうと言いたい所だけど、ごくたまに悲しい味になったりする。私が東京に住んでいた時に、誕生日にこのチーズケーキが送られて来た事があって、ルームシェアしていた友達とワクワクして食べた。そしたら焼き魚の味がしたのだった。友達も私もとても驚いた、焼き魚の味のするチーズケーキというのは、すごく残念なのだ!しかもなぜか2本もそのときは送られて来て、友達ももう誰も食べてくれないし、私はその二本のチーズケーキを何日もかけて食べることになった。
その事を母に告げると「あ〜!そういえば直前に魚焼いてた!!」と嬉しそうに謎解きをしていた。
しかしかつて1度、母にしては奇跡のようにかっこいいお菓子を作った事があった。確か私が小学校高学年くらいだったはず。その日突然母は「ママは今からクレープシュゼットを作るからね。」といって、今まで1度も使ったことのない銅鍋でオレンジソースを作り、クレープをささっと焼いて、私の前に差し出した。そのクレープはとても美味しくておしゃれだったのだ。私は子どもながらに母はどうしてしまったのだろうと困惑した記憶がある。
私はその日の感動を今でも忘れない。本当にそれ一回きりだったのだから。