
去年の12月、高校からの友人ひとみちゃんに男の子の赤ちゃんが生まれました。よーちゃんとひとみちゃんは呼んでいます。忙しくてなかなか会いにいけなかったのですが、ようやく会えました。
私は赤ちゃんの匂いが大好きです。特に頭皮から匂ってくる赤ちゃんの匂いは最高。小学校の時に、赤ちゃんの匂いのする女の子がいて、よくその子の匂いをかぎにいっていました。「まゆみちゃんの頭はミルクぼうやの匂いだね」とその子によく言っていましたが、多分その女の子はそんなことをされてうっとおしかっただろうと思います。
なので、ここぞとばかりによーちゃんの匂いを鼻に吸い込んできました。あ〜かわいい、いいにおい。泣いたってその声がまたいい。でもお母さんは大変だよ。ひとみちゃんに出産の時のエピソードをたくさん教えてもらいました。
ひとみちゃん曰く、「基本、でっかいウンコする時と同じ。だから間違いなく痔になるで。しかもイボのほうやで。志保ちゃんも痔持ちやから気をつけな。」と、、、。非常に簡潔で的確で私の胸には響きました。誰もこんな正直に答えてくれないからさ。ありがとう、かなりイメージできた。
ひとみちゃんはいつも何事も冷静に客観的に物事を見る人なので、我が子かわいさに頭がおかしくなる、ということもなく非常に淡々と冷静に子育てしている様子でした。それでも淡々と「私は親バカやで〜」と言っていました。
しばらくすると、またもや高校からの友人つーちゃんが合流。この3人で集まると間違いなく高校の頃のバカ話に花が咲きます。どこぞの誰やらが隣のクラスの誰やらと結婚しただの、あいつのトレーナーのロゴのデザインが謎だっただの、あの子の英語の発音は気になっただの、もう何度も話している話題だけど永遠に飽きないから不思議。

そして、二人から結婚お祝いのプレゼントをいただいてしまいました。なんと!!そんな、私はまだよーちゃんの誕生祝いも贈っていないのにすいません。(後日服をお贈りいたしました)
さすがに、女子は最高に主婦目線で超便利でほしかったものがずらり。あれもこれもほしかったものばかり。う〜ん、わかってるなあ!本当にどうもありがとう。早速引っ越しのダンボールに詰め込みました。
今度よーちゃんに会う時は、プレゼントした服が似合っているころだといいな〜。

私はイラストレーターの他に中学校の非常勤の美術教師もしています。その他にも地域の小さな集会所で、テスト前に中学生の勉強会の監督??見張り番?のようなこともしていました。
はっきりいって私が「勉強しろー!!」と怒鳴ろうがわめこうが、生徒達はいつも勉強そっちのけで遊びに夢中でした。見張り役としての効力は皆無に近かったような気がします。しかも私は数学の話になるとさっぱり教えられずに、面目ないへっぴり先生でした。それでも私はその勉強会に行くのが好きでした。学校ではない場所で生徒達と話す事はとても楽しい時間でした。
4月からこの地域を離れるので、もうこの勉強会にも行けなくなってしまいます。そのことは生徒には直接言っていませんでした。ところが最終日に、子ども達からの色紙と花束をいただきました。本当にびっくりしました。子ども達は知っていたのに、全然そんな事を表には出さなかったからです。
色紙には、ヘタクソながらも丁寧に書こうとしているかわいい字がびっしりと並んでいて、勉強会に来ていた遊んでばかりのメンバーの顔が一人一人浮かんで来ます。今まで何度か色紙をいただいたことはありますが、いくつになっても色紙をもらうことは特別に嬉しい事なんだなと思いました。
「先生は怒らないから好きでした」とか、なんか違うぞ?と思いながらも、2年間の勉強会の時間がぎゅーっと詰まっている一枚の紙。大事にします。ありがとう。
「せんせ〜〜い。今日勉強会来るよな〜!?」という、あの三重弁の響きを忘れません。

結婚したのでもうすぐ引っ越します。最近部屋が見つかりました。公園が目の前にあるのでアパートには「パークサイド」という名前がついています。
私が「絶対に一人っきりになれる部屋がないと引っ越さない。」とか「ネット!!ネットがないと死ぬ!」とか「一階の部屋は泥棒に入られるからイヤだ」とか「近くに激安スーパーがないと嫌じゃ!」とか「自分ちの窓から自分ちの車が見えないと不安だからどうにかしてくれ」とか最強に色々ワガママを言い散らかしておりましたが、旦那さんがいつのまにやら見つけて来てくれていました。ありがと〜〜〜〜う!!私の要望を取り込み過ぎて駅から異常に遠くなってしまい、旦那さんは毎朝相当な運動量を強要されてしまう事になりました。苦労かけるね、おまえさん。
旦那さんは営業の仕事をしているせいかなかなか交渉が上手で、ミニミニの担当の方に色々要望をねじりこんでいました。スゲー。「で、どれだけ下がるんですか?」とか「ウォシュレットつけてくださいね。」とか「エアコンもつけといてくださいね」やら。新聞の勧誘を断りきれずに取りまくっていたアホーな過去を持つ私は、交渉をゴリ押しする旦那さんの隣で拳をにぎりしめてなんだか冷や汗が出て来ました。頼んだぜよ。

私が腕をふるう予定の(あくまでも予定)キッチン。今まで母と共謀してだましだまし手料理を食べさせてきましたが、もはや己一人の腕でどうにかしなければならぬ。私は気に入った料理があると、それを毎日食べるというクセがあるのでヨロシクゥ!!朝は弱いんだぜ、ヨロシクぅ!!寝るのは早いぜ、ヨロシクうう!!!!!歯ぎしりもするけどよろしくうううう〜〜〜。
さあ、次は家電だ。

19日の誕生日は、一週間前にビッグイベントである結婚式があったせいで、自分も家族もなんとなく「もう別にいいよね?誕生日なんてさ。」みたいな雰囲気が漂っていて、私自身が言い出すまで家族の誰も「おめでとう」なんて言ってくれませんでした。っていうか忘れていました。旦那さんも忘れていました。チェッ。
そうしてダラダラといつものように洗濯物を干していると、玄関チャイムを鳴らす音が。
大きなダンボールと小包が届きました。10年来の友達、ヨーコちゃんとマシコさんからです。開けてびっくり、なんと二人とも「柳宗理(有名なデザイナーさんです)デザインキッチンツール」でした。ヨーコちゃんは直径18センチ中型ステンレス鍋と柄のついたザル、中型ステンレスボール。マシコさんはかの有名なミルクパンでした。申し合わせたわけでもなく二人とも柳宗理。
ヨーコちゃんにお礼の電話をかけると、「昔しほちゃんがうちの実家に来た時、うちのステンレスボールを見て『これって柳宗理?』って何回も聞いてたから、あげようって思ってさ〜。」と。ああ、そういえば言ってた言ってた。
マシコさんは「シポコさんがよく練馬の家でゆで卵を茹でてたからさ〜。この小鍋で茹でてほしくてさ〜。」と。ああ、そういえば茹でてた茹でてた!
それを聞いて、すごく二人との歴史を感じました。小さなエピソードの積み重ねがあるのだなと。あのときのあの時間をこの二人と過ごしていたから、今回二人は私にこのプレゼントを選んでくれたんだ。

手紙もそれぞれ書いてくれていた。二人とも二人らしい手紙で、それがまたとても嬉しくてニヤニヤしてしまう。ヨーコちゃんは昔私がクリスマスのプレゼント交換で贈ったレターセットに、本当に綺麗な字で規則正しく書いてある。絶対に似顔絵も描いてある。笑える小話も必ず入っている。安心できるヨーコちゃんのいつもの手紙です。
マシコさんはいつも無骨です。切りっぱなし、ちぎりっぱなし、洗いざらし的な雰囲気の物が彼女は好きなのです。なのでいつもわら半紙のような茶色いすすけた色の手紙なのです。いつも「30年前の手紙が押し入れから出て来た」的な雰囲気を漂わせています。字はもちろん鉛筆で(しかも先の丸いやつ)、一文字が異様にデカイので、内容の割にやたらと枚数があるのです。そしていつも独自の言語すぎてたまに内容が理解できなかったりしてそれがまたイイのです。
嬉しいプレゼントをもらうと、今度は私がもっとその人を喜ばせたいと思う。その人との記憶をたぐり寄せて、その人ならではのものを贈る事はたんに物を贈るだけではなくて、たくさんのその人との時間も思い出すということなんだと思った。
二人ともどうもありがとう。ステンレスはめったに壊れないから、絶対に一生使います。

昨日30歳になりました。
仏滅ですが入籍もしました。忘れないように誕生日に。日曜日だったので役場はお休みでしたが、時間外受付の警備の方に提出しました。警備の方がとんでもなくぼんやりしたおじいさんだったので、話が通じず、二回も役場に行くハメになりました。
私が30歳の誕生日を楽しみにしていた理由がもう一つあります。
私が20歳の時に、30歳になる自分に手紙を書いていたからです。20歳の時にその手紙を書いて、幾多の引っ越しの中10年間私は封を開けずに、無くす事なくずっと引き出しの中にその手紙を隠し持っていました。我ながらネクラな人間だと思いますが、私はこれを密かな楽しみにして年を重ねてきました。
そうしてついに昨日手紙を読む日がやってきたのです。
まず、出だしに自分の事を「わたし」ではなく「あたし」と書いていた事にカチンときました。JUDY AND MARY世代なのでしょうがないですね。「あたし」と書く事がイケてると思ってたんですね。
読んでいたらどんどん腹が立って来ました。どうやら大学で調子にのっていた時代だったようです。毎日楽しくてしょうがないとかいうことが書いてあって、自分事ながら憎たらしくなってきました。でも大学の授業も好きで真面目に受けているし、課題も忘れずに出しているんだとか、家族の事が大好きだとか(特に姉ちゃんが好きだとか)ネコのミントが死んだとか。当時の身長体重も書いてあって、今と全く変わらずに10年間小太りを維持していることが判明。
30歳の自分がすごい悲しみを背負って生きていたらどうしよう?っていうかむしろ生きているのか?という不安。未来は見えないけれど、20歳の自分は少なくとも周囲や家族にとても感謝をして生きているから、30歳の自分がこの手紙を読んで、このときの感謝の気持ちを忘れないでいてほしいだとかで締めくくられていました。へ〜いい事言うじゃないか20歳の私。
20歳の私が応援しているから頑張れ。と言っていました。
思えば落ち込む事があったら、引き出しのこの手紙を見つめて「30歳の自分に顔向けができるようにどうにかしよう」と思って生きて来たのだ。
つまりこれは前向きに生きて行く為に自分自身に与えたプレゼントなのだ。
だから当然、私は40歳の自分に今手紙を書いている。頑張って生きて行けるように。