ShihoSeji Blog

イラストレーター瀬島志保子のブログ
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伊勢、鳥羽、両親、おばあちゃん。

夫と共に、三重の私の実家へ里帰り。実家でのんびりするつもりが、お祭り好きな私の両親は「みんなで旅行へ行こう!」と三重県内の二大観光地、伊勢鳥羽巡りをしました。近所に住むおばあちゃんも連れて、総勢5名で父の運転する車に乗り込みました。

まずは伊勢神宮の赤福本店へ。「オグちゃん(私の夫の名前)に是非赤福氷を食べてほしい!」と鼻息を荒くして赤福へ乗り込む。かつて食品偽造?かなんかで大騒ぎになったことがウソのように、赤福は今日も大繁盛していました。三重の誇りなんですから、しっかりしてもらわんとね。

一年に一度は食べているかも、赤福氷。このブログでも前に登場したことが。産まれて初めて食べた時は「こんな美味いかき氷があったのか!」と感動したものです。しかしかわいこぶるわけではないが、私は一人で全部食べられない。甘味リミットが割と早いのだ。なので、おばあちゃんと母と私で二つ、父と夫は1つずつ食べました。夫も美味しいといって食べていたが、この後お腹がナイーブな彼はますます無口に。あら、冷え過ぎた?

伊勢神宮のおかげ横町は三重が誇る観光地。最近のスピリチュアルブームで、この日も賑わい過ぎて大変な騒ぎ。広場では和太鼓の演奏がちょうど始まったばかりだったので、しばしみんなで立ち見。

私は立ち見が嫌いだ。周りの人と牽制し合って気を使って、見せ物に集中できる訳が無いと思ってしまうのだ。だから小さい頃から一緒に行った人がよほど熱心でなければ、ディズニーランドのエレクトリカルパレードとかも見てこなかった。ただの面倒くさがりだけど。

この日も、暑くて混雑していたので私の背中のあせものかゆみが爆発。止まっているとかゆいので、家族が一生懸命立ち見をしている中、ひとりでふらふらエアコンの効いているお店へ出たり入ったり。真剣な表情で太鼓の演奏を観ている家族の顔を涼しい場所から観察していました。

この後、伊勢うどんをみんなで食べました。離乳食のように柔らかい汁無しうどんです。それが伊勢うどんの特徴なんです。香川の歯ごたえ命の讃岐うどんからしたら、まさに「屁のような」うどんなんですが、私のように根性の無い女はこれくらい柔らかいのがいいんです。「あ〜噛むの頑張らなくてもいいんだ〜。」とほっとしながら食べます。写真無くてすいません。多分初めて食べた人の何人かは「おい!茹で過ぎてるぞ!」と厨房に文句を言いに行った事でしょう。

暑さでますますスルメのようになってしまったおばあちゃんは少し疲れた様子。そろそろ宿に行こう。

 

  • 2012年8月29日
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子どもは全然あまくない。

この夏に、一ヶ月半だけ児童クラブのバイトをした。まだあと一週間あるけど。まだ一週間もある、という気持ち。児童クラブというのは、放課後子どもを預かる施設で、私も小さい時に入っていて楽しい思い出しかないくらい楽しかった。ので、すごく親しみがあったのでした。夏休みは朝から子どもが来るので人員が足りなくなるらしく、バイトの募集があり、応募して、働くことになったわけです。

私は正直、子どもが好きなのかどうか分からない。なのでこのバイトも「ふふふ、私どうなんだろ?いけるのかしら?」というギャンブルじみた気持ちで応募した。でもなんとなく「子どもが好き」と言う事は正しい事で良い事なのだという世間の風潮があるではないか。だから私ももちろん面接には「子どもが好き」ということを全面に押し出したわけであります。

児童クラブの先生に「子どもはかわいいですよね、、、?」みたいなことをうっすら聞くと、「うるさいよ〜〜〜!!」と顔を渋くしておっしゃった。

あれは心の底から思っていたのだ。うるさい、本当にうるさいのだ、子どもは。子どもってすごい、ではなく、大人ってなんて大人なんだろうと私は大人を改めて尊敬した。しかも集団になるとジャンボジェット機が頭上を飛んで行くようだ。私は怒るタイミングも、怒鳴るタイミングもよく分からなくて、言う事をきかない子どもに毎日頭がのぼせるほどキーとなった。でもベテランの先生はそれはそれは上手に子どもをまとめあげ、座らせる。

もう集団をまとめあげることは到底私には無理なので、個人個人に狙いを定めて接した。個人で話すと、子どもはやはり楽しかった。オセロもいっぱいした。本もたくさん読んだ。昼寝の時は、一年生はみんなタオルケットの端を噛んでいるのがよかった。

子どもは必ずハナクソを食べるので、単刀直入になぜハナクソを食べるのか聞いてみた。「わかんない」と言われた。答えなどないのだった。私は子どもの頃、絶対にハナクソを食べなかった。それは自信をもって言える。なぜなら当時から「なぜまいちゃん(友達)はハナクソを食うのか?」ということを疑問に思っていたからだ。私は子どもに「小さいハナクソは食べてもいいけど、大きすぎるのはティッシュにくっつけようよ」と提案しておいた。そしたらその子はちゃんと小さいのは食べて、大きいのはティッシュにつけていた。そこには充実感を感じた。

全員の名前を覚えたけれど、もうすぐ夏休みが終わってしまう。私は子どもが好きじゃないかもしれないけど、それは私が子どもの事をうらやましく思っているからなのだと分かった。お母さんのお迎えが来て、すねたように嬉しそうに帰っていく子どもの時代が懐かしくてうらやましいからだった。

 

  • 2012年8月23日
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お義父さん、お疲れさまでしたの会。

箱根旅行の次の日は、夫の実家に里帰り。最大の目的は、9月で定年退職するお父さんの退職お祝いをするためでした。神奈川県大和市のとあるピザ屋さん。有名なお店らしく店内は子ども連れのお客さんで大賑わい。

この日は、お義父さん、お義母さん、お義兄さん夫妻とケンちゃん(4歳、お兄さんの息子さん)、お義姉さんとサキちゃん(9歳、お姉さんの娘さん)私達夫婦の総勢9名でのパーティ。私は結婚式以来、こんなに一度に夫の家族の方々とお会いするのは初めてのことでした。「緊張しないぞ!!」と自分に言い聞かせておった私でしたが、どうやら緊張は免れず、箱根のことを「函館」と言い間違ったりして周囲にも多いに悟られたことでしょう。

ピザ屋さんかと思いきや、スペアリブやらパエリヤやらが出て来て賑やかな食卓となりました。うちのジャイアン家族と違って、夫の家族は基本的に小食らしく、なかなかお皿が減っていかないことすら新鮮でした。ピザももちろん美味しくて、本当ならもっと食べられるはずなのに、緊張と旅館で食べた朝食がつっかえてなかなか喉を通らず。

全員のお腹がはち切れそうな頃、ピザ回しのお姉さんが、ディズニーランドのシンデレラ城のようなハイテンションで登場。ピザ生地を高く上げながら、どれだけ上手く広げられるかというショーを見せてくれました。ところが、きっと彼女はまだ新米さんだったのでしょうね、生地の飛沫が飛んでくるわ飛んでくるわ。空中でバラバラになりながら、私の額にも生地がペトリ。

新米教育に、ある意味熱心なお店といえますね。場数を踏めっちゅう事ですね。お陰で盛り上がりました。

ピザ屋さんを出て、今度こそ夫の実家に9名で向かいました。みんなでお茶を飲んでいると、お義姉さんが金メダルとプレゼントを持って登場しました。そのメダルをサキちゃんがお義父さんの首にかけながら「おじいちゃん今までお疲れさまでした、どうもありがとうございました。」と言って、プレゼントを渡しました。みんな大拍手!とても温かな光景でした。

私より先に結婚した友人のヨーコちゃんが、「結婚して何が嬉しいってな、家族が増えるっていうことが私は単純にすごい嬉しかったんや。」と言っていましたが、この日その意味がすごく分かったような気がしました。

家族って増えるんや!!!という新鮮な驚き。すごく不思議だけど、すごく嬉しい事だと思いました。

胸がいっぱいになりながら、名残惜しさもありながら私と夫は帰路に着きました。またもや渋滞情報をリサーチしまくった夫の功績で、大した渋滞にも巻き込まれず、でもよだれの池で私は泳ぎながら、深夜に辿り着きました。

たった一泊二日だったのに、ぎゅうぎゅうのぱんぱちこんに充実した二日間でした。また行きます!!!

 

  • 2012年8月16日
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箱根さ行っただす。

日本の高速が、テーマパークが、あらゆる施設が大混雑するお盆に、神奈川の夫の実家目指して私達夫婦は朝5時に起きて愛知を出発した。誰だって渋滞は嫌いだろうが、私の夫は本当に渋滞が嫌いなので、スマホを片手に入念に前日から「この時間に出ればそんなに混まないはず」とチェックしていた。

夫のおかげで、渋滞には巻き込まれなかった。どっちが上りだか下りだか知らんけど、とにかく反対側の道路は激しく渋滞しており、その光景を見るだけで頭がクラクラした。そして、渋滞に巻き込まれなかっただけに、早く着いた。私の運転が信用できないらしく、すべて夫が運転してくれたので、私はよだれを垂らしてぼんやりしている間に着いた。ありがたや。

実家を訪ねるのは明日で、この日は箱根に一泊する予定になっていました。チェックインまでにはだいぶ時間があったので、思いつきで御殿場プレミアムアウトレットに行こうということになった。アウトレットに近づくにつれて、「敷地内駐車場満車、第二、第三駐車場に止めてください」と書いてある看板をもった警備のおじさんがあらゆる場所に立っており、どんだけ混んでるんだよという恐怖が走った。第2駐車場らしき場所に止めて無料のシャトルバスに乗ってようやくアウトレットに着いた。そんなに言う程混んでないし、駐車場も空きがあるように見えたけど、なんか警備の人も動員しちゃったしああいうことになったんだろう。

いざアウトレットに来てみると、驚く程私達夫婦には物欲がないことが分かった。目的もなく敷地内を一周して、さっさと帰ってきた。でも本当は箱根ガラスの森美術館に行くつもりだったのに、その時間はさっぱりなくなってしまった。

この日泊まった一の湯。名前が和風だから和風かと思ったら案外洋風だった。お盆直前に探して、どこもいっぱいの中ようやく見つけた旅館でしたが、こっつりとしていて従業員の方もとても丁寧で温かな対応をしてくれました。この旅館も満員でした。箱根は旅館激戦区だから、小さな旅館でもサービスが行き届いているんだなあと感じました。

夕ご飯は写真に撮り忘れましたが、美味しい豆腐とかせいろで蒸した野菜とか、女性が好きそうなおしゃれなラインナップでした。

朝ご飯はこんなでした。干物が美味しかった。夫が途中でトイレに帰ってしまい、しばし一人の朝食。さみし、、、。

11時半に夫の家族と待ち合わせをしているので、八時半ころにはもう旅館を出発しました。私はまたもやよだれを垂らして眠りこけ、いつの間にか海老名のサービスエリアに、、、。すまないねえ。

  • 2012年8月14日
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くちびるブツブツ事件2。

私の心境を表した写真です。

以前このブログで「命の◯江兄弟社」という文章を書いたのですが、あの病が再びこの夏発症したのです。「知るかよ」という方のために再び一から解説します。あの病とは、「くちびるぶつぶつ病」です。朝突然、くちびるが猛烈なかゆみに襲われ、真っ赤に腫れてぶつぶつがいっぱいできて、水泡ができて、そこがやぶれてリンパ液が流れ出て痛くてかゆくて最悪の病気なのです。口の両端が切れて、血が滲んで、大笑いしたくてもできなくて、うまく話す事もままならなくなりました。口元を見られるのがいやで、マスクをするようになりました。

私は5年前くらいにこの正体不明の病に襲われ、皮膚科をはしごするも原因が見つからず、ワセリンを塗り続けていました。毎日毎日憂鬱でした。それが2年くらい続いて、ある日◯江兄弟社のリップクリームをぬったところ、突然治ったというのが前回の話。それからも、口紅を塗ったりするとまた発症したりしていましたが、それも◯江兄弟社のリップでどうにか持ちこたえていました。

それ以来私は、持ち歩くポーチに1つ、寝室に1つ、キッチンに1つというふうに、だんだんそのリップがなくては不安で不安で、毎日数十回塗るような生活を続けていました。

ところが、この夏。それはイギリス旅行中に始まりました。最初は軽いかゆみだったので、そんなに心配していませんでしたが、日を追うごとに悪化して、帰りの飛行機に乗る頃にはかなり腫れ上がっていました。そこでも私はそのリップクリームさえ塗ればおさまるんだと思って、一生懸命塗っていました。慣れない外国旅行で、ストレスが溜まったのかな?と思っていました。

しかし日本に戻ってからも悪化する一方だったので、ネットで原因を探した所、どうやら「保湿依存症」ではないかとのことでした。クチビルが乾く間もなく、リップクリームを塗り続ける人や、保湿していなければ落ち着かないという人がなる病だそうな。確信がほしい私は、街で一番評判のいい皮膚科を受診しました。

どんぴしゃりでした。素敵な老紳士のお医者様は「まちがいありませんよ、保湿のしすぎです。対策は、何もしない事です。絶対に何も塗らないでください。それが一番の薬ですよ。自分の持っている再生能力を信じてください。」と。私は涙が出そうになりました。そうしてお医者様は、「脱、保湿剤」という論文のコピーを私にくださいました。

何もリップクリームが悪いのではありません。「やりすぎ」がいかんのです。私はそういえば、ハンドクリームなどもこまめに塗っていたのに、どんどんカサカサになっていったような気がしました。最近は別の本を読んで、基礎化粧品類を一切やめたところでした。顔になにも塗らなくても、特に何も問題ない事が分かりました。

私は今まで何を一生懸命守ろうとしていたのだろうと、ぽかんとした気持ちになって、そのあと晴れやかな気持ちになりました。

沖縄風にいうと「すべてのことはなんくるない」ということになるのでしょう。気にし過ぎちゃいかんのです。自分の体は何かを補わなくてもがんばってくれるのです。こう見えてクヨクヨ体質で神経質な自分の性格にも問題があったのです。

私と同じ病気で悩んでおる方がいたら、「自分の体を信じろ!何もするな!」と言ってあげてください。

保湿をやめてから2週間で、私のくちびるは元通りになって、大きな口で笑っても、大きなおにぎりにかぶりついてももう平気になりました。

  • 2012年8月7日
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