3歳の息子は今まで鼻くそを食べる事はしなかった。ちゃんと、ティッシュにくっつけていた。でも一週間くらいまえから急に鼻くそを食べるようになった。あれ?と思って「なんで急に鼻くそを食べる事にしたのか?」ということを問うてみた。
そしたらこう言った。「幼稚園のお友達はみんな食べていて、みんなおいしいから食べてみなよって言うの。だから僕も食べる事にしたの。」と。へえ、なるほどね、園児の口コミで広まってる訳やな。普段彼らが一体どういう話を楽しんで、どういったコミュニケーションをとっているのか、園の様子をつぶさに見ている訳ではないので窺い知る事はできない。でも、こんな会話を楽しんでいるのかと思って、もうおかしさがこみあげてきた。「おいしいよ!こうちゃんも食べてみなよ!」みたいなことを言われたのかなー。と思って、その話だけで半日おもしろかった。
私は常々、なぜ小さな子ども達は鼻くそを食べるんかなあと疑問に思っていたのだ。自分が幼稚園児のときだって、かわいくてなんでもできるまいちゃんも食べていたし、大人しくて優しいのりえちゃんでさえ食べていた。泣き虫のともくんももちろん食べていた。でも、私は、私だけは絶対に鼻くそを食べなかった。だって、鼻のクソだぜ?みんなどうかしてると思っていた。当時から意識して私はそのことが不思議だったので、絶対に食べていないと断言できる。そして、理由がわからないまま大人になり、いつのまにかみんな鼻くそを食べなくなっていた。
ある日、また鼻くそを食べる事について思いを馳せる話を耳にしてしまった。小学校の先生をしている私の友人が「児童がみんな鼻くそを食べているから驚く、ちなみに小1だと100パーセント食べている」という衝撃の割合を聞いてしまったのだ。もしかして鼻くそは案外ものすごい栄養価なのかもしれない?だからみんな食べているのか?
そしたら、ついに自分の息子まで食うようになった。ああ、やった、ついに鼻くそを食べている本人に直接話を聞ける。当事者に意見を聞く事ができるまたとない機会を得た。そしたら、なんということはない口コミで広がっている小グルメだと、私は納得した。ツツジの花の蜜が美味しいよっていう口コミと一緒だね。「どれどれそんなおいしいもんがタダで手に入るならちょっといただいてみようかな」ぐらいの感じでみんな食い始めるのかもしれない。自分の体から出るスナック菓子感覚だ。そりゃあ、手軽でいい。
でもだんだんみんな、なんとなく気づいていってやめるんだね。大きくなってもそれをやっていると、色々具合が良くないってことをね。今まで習慣にしてきたことを止めるのは結構頑張らないといけないから、みんなそのときはちょっと辛かったかもしれないね。
私も鼻くそ食べる息子にうるさく言ってはいけない。見て見ぬ振りをしてあげなくてはいけないのだろう。私にとってもなかなかに試練だ。だって、私は食べる喜びを知らずに育ったのだから。でも息子は食べることにしたのだね。それを受け入れてあげようじゃないか。
今年は、いや去年の暮れはノロウィルスが騒がれていた。特に牡蠣から出るのだそうな。宮城の牡蠣が出荷停止になったりしたみたいです。だのに、我々一家、私の両親、祖母、姉夫婦、私と夫、こうすけとなっちゃんの総勢9名は、牡蠣料理の民宿に新年早々泊まりにいった。
1年前から予約してたんやもの、今更キャンセルできるかい。私は1年間楽しみにしてたんだ。女性は、早くから楽しいイベントを知っていると、ずっとそれを楽しみに生きていけるらしい。ホンマでっかTVでやってた。だから楽しいイベントを前々から教えてあげると、ずっとウキウキしているそうだ。私はおかげさまで、この牡蠣料理を1年前から楽しみに生きる事ができたのだ。キャンセルなんて絶対に嫌だ。ノロでのたうちまわってもいいから私は美味しい牡蠣が食べたいのだ。
慎重派の夫が、やはり「牡蠣料理の旅館って聞いたんですけど大丈夫ですかね?」とかなんとか心配の声をあげていた。やはりな。夫以外は全員楽天的な関西人だからな。「大丈夫やろ〜。もしあかんだら一家全滅やな!あははははは!」で、もちろんキャンセルにはならなかった。
この旅館は、まだ私の姉が赤ちゃんだったころに一度泊まったことがあるらしい。つうことはかなり古いね。トイレが和式で共同と、ネットに書いてあったのが一番の心配だったけど、ちゃんと洋式のウォシュレットだった。あーよかった。うちのメタボのパパなんて和式でしゃがんだら二度と立ち上がれないもん。ノロじゃなくてトイレで死ぬよ、下手したら。古いけど、郷愁を誘ういい感じのレトロ旅館でした。
お待ちかねの夕飯の時間。「生ガキ、食べますか?一応焼き牡蠣に変更もできますけど。」と、仲居さんが言った。皆の間に緊張が走った、、、。87歳のおばあちゃんは、「わたし、焼き牡蠣にしとくわ。」と。おお、そうやな。その年齢でノロったらマジでやばい。生ガキ初体験の夫も躊躇していたように見えたが、せっかくここに来たのに生ガキ食べんでどうすんの!とみんながまくしたてて、結局、ばあちゃん以外みんな生牡蠣食べる事になった。
ぷりぷりの美しい生ガキ3個と、牡蠣のオイル漬けとか、牡蠣の鍋とか牡蠣ご飯とか全部牡蠣でした。こうすけは、海老フライとハンバーグのお子様ランチを用意してもらって、ご満悦でした。なっちゃんはまだ母乳族です。
今年も、楽しかった。毎年年末年始の家族総出のこの旅行が、1年で一番楽しみです。毎年みんな元気で参加できていることが、何よりもありがたくて素晴らしく幸せです。旅行の帰りにみんなで初詣に行きます。今年は8月に産まれたなっちゃんも初参加です。今年もみんなで初詣に行けた!もうそれだけで願う事はないのですが。(いや、色々あるけど)あと何回これが続けられるかな?母といつも目を細めて話します。誰かが欠けたり(縁起でもないが)誰かがまた増えたりして色々変化はあるかもしれないけど、ずっと仲の良い家族で旅行にいけたらいいなと、そういえばそうやって毎年初詣で願うんだった。
もちろん、誰もノロわれませんでした!ほっ!
慌ただしくしていたら、ひと月以上もブログを更新していなかった。そして、年まで変わっていた。眠り姫のようだった第二子なっちゃんも、徐々に自我が芽生えはじめ、日中もほとんど覚醒しており、覚醒時には「私に構って、私を抱いて、乳もちょうだいね」と大騒ぎしているので、自由な時間はなくなってまいりました、、、。今は、寝ている時間に一体どうやってすべきことをするか考えて、泣き出す声に怯える毎日です。皆様今年もどうぞよろしくお願い致します。
年末から年明け9日まで三重の実家に、いつものごとく長期滞在、息子と娘とともに。そう、幼稚園が2学期の修了式前日、息子のこうすけが足を骨折しました。上の写真はその左足の写真。大根じゃないよ。幼稚園バスから、元気なく降りて来た息子。先生が「バスに乗る直前に遊んでいて高所から落ちました。足が痛いというので、お家でみてあげてください。」と。「え?」幼稚園では何もみていないのですか、、、?
息子は「歩けない」と言うのですが、おやつももりもり食べ、冗談も言っていたのでなんとなくいつもの「甘えたい病」と私は判断。「痛いなら病院行こう」と誘っても「いやだ、痛くない」の一点張り。じゃあ、歩いてみせろと叫ぶ私。でも歩けないらしい。「嘘をつくな!」と激怒。息子は泣き出した。泣いてそのまま、寝てしまった。もう日も暮れて、なっちゃんもいるし、どの病院へいけばいいのか途方にくれ、夫にメール。夫は「すぐ帰る」と。
こうすけの足を触ってみると、何度確認しても左足の方が熱をもっている。マジのやつか、、、?そうしていたら夫帰宅。こうすけの足をみるなり「あかんな」と。すぐさま病院へ。2時間後くらいに夫からメールで「骨折しとるぞ」と。わわわわわ、私はなんという事を息子に言ってしまったのか。なんというひどい母か。その場で号泣。悪かった悪かった。母ちゃんが悪かったと帰って来た息子に平謝り。夫は「幼稚園と話をしてくる」と、、、。えー!何ケンカせんでくれ。と慌てたけど、夫はかなり穏便に「再発防止を話し合うのと、防犯カメラを見せてもらう」のだそうで、今回のことで夫の対応の早さに私は非常に助けられました。非常に頼りになりました。私は何もできなかった。ただ、息子に暴言を吐いただけで、最悪でした。
なんで骨折したんかというと、幼稚園には手作りのログハウスがあり、3階建てくらいのかなり高いやつで、その中でヒーローごっこを複数の友達としていて、階段を降りている途中で他のお友達に押されて落ちたらしい。その時に骨折したのだとか。夫が、再発防止を願い出て、幼稚園では色々話し合ってくれたようで、次に幼稚園に行った時には、ログハウス周辺にマットなどがしかれていました。
歩けないなんて、せっかくの冬休みかわいそうに。と思っていたら、10日くらいで「もうこの包帯まくのいやだ」と言ってスタスタ歩いていました。はや!たった2週間で完治、冬休み明け、元気に登園しました。いや〜色んなことがこれからも起きるバイ!こわい!非常時にこそ、その人間の真価が問われるというが、私はもう本当に自信ありません。どうせはりぼて人間ですよ。子ども達を守ってやれる母なのでしょうか。非常に自分が心配です。
最近テレビで「市川海老蔵にござりまする」というドキュメントをやっていたのですが、海老蔵さんが、あまりにも強く優しい人間すぎて涙が止まりませんでした。今まで「なんとなくチャラチャラしてそうな歌舞伎の人」くらいに思っていたのですが、本当に大きな人でした。奥様の麻央さん、子ども達、そして歌舞伎を守り抜くという決意がものすごいオーラとなって海老蔵さんを包んでいました。
ハリボテ人間の私は、打ちのめされました。最近頑張った事といったら、なっちゃんを抱っこしながら安い八百屋の行列に並んだことくらいかしら。ハリボテはハリボテらしく、文句をブチブチ言いながら、また1年が始まりました。今年はどんな美味しいもの食べられるんかしら。
今年は台風や雨が多くて姉自身も忙しく、稲刈りは遅れに遅れ、9月の3連休に家族総出で稲刈りをしました。が、今年はまた超厄介な事に、なんと米を乾燥させて玄米の形にまでする籾摺りという作業をしてくれるはずのおっちゃんに断られたのです(笑)!!そのおっちゃん曰く、姉のように田んぼ二つ分の米を籾摺りするのが嫌(少なすぎるかららしい)、というのと稲刈りの時期がいつも遅すぎるから嫌、ということらしいのですが。毎年そのおっちゃんは姉の米を籾摺りするのを嫌がっていて、今年はついに断られたので家族内に衝撃が走りました。
そんなことで、、、なんと手で直接稲を刈って、地道に干す。という原始的な方法でしか稲を刈れなくなってしまいました。私も詳しくは知らんのですが。しかも最初のうちは姉がたった一人で手で稲を刈って、束ねて干してをしていました。たった二つ分の田んぼなんだからそんなに大変じゃないのではと思っていたのですが、その様子は「果て〜なき〜」(by,MISIA)と歌いたくなる程果てなき作業で、、、もう見ていて涙が出るくらいしんどそうでした。ちなみに私は会陰切開の傷の後遺症かつ、乳飲み子を抱えてということでこの作業は免除されていました。
大阪と三重を行ったり来たりでしか農作業できない歯痒さ、かつ、せっかく三重に来たのに天候が悪すぎて遅々として作業が進まない歯痒さ、おまけに手刈りという地道すぎる歯痒さの三重苦を背負ってのヘレンケラー奈保子姉。「もう、やめてまえ」と何度言おうと思ったか。農作業については「私が勝手に始めたことなんやから、みんな手伝わんでいいからな」と田んぼを始めたばかりの頃は意気揚々と鼻息も荒かった姉ですが、次第に「ママ、この日はヤンマーの人が来るから手続きしといてな」「あれに水やっといてな」「もう、なんでマイマイ(姉の旦那様)はこの日手伝ってくれやんの!」「パパめテレビばっかり観て、手伝わん気か、あいつ!」などなど、もはや家族総出。御年87のおばあちゃんもせっせと梅ジュースを運んだり、紐を結わえたり。そして今年の稲刈りは本当に、大変そうだった。
大雨が降り続く中、姉の旦那様のマイマイ氏(高校数学教師)と姉と母(還暦を迎えました)の3人は、長〜いゴム長靴と、作業着を着て、延々手で稲を刈り、雨なので屋根のある場所に稲を干し泥だらけで泥に足を取られ転倒しまくりながら(全員若くないのに、、、涙)作業をし続けていました。多分色んな事情を知らない人が、たまたま横を通りかかってこの3人組を見たとしたら、自衛隊の特別訓練ぐらいのものに見えたかもしれません。平成のアホ3人組です。基本的に汗の出る労働が苦手な私は、いつも生唾を飲み込みながら3人を見送っていました。私にできることといったら、帰って来たドロドロ腹ぺこ3人組のご飯を作る事だけでした。
なんでこんな大変なのに続けるの?と周りみんなが聞くのですが、その度に、姉は結構感動するような応えを返してくるらしいんですよ。ちなみに、私は聞いた事ないのでその感動する応えを聞いた事無いんですけどね。母は「姉ちゃんは、姉ちゃんなりによう考えてしとるんや」といつも言うのですが、「で、何でなん?」と聞くと、いつも大抵その感動の内容を母は忘れていて、うまく私に伝えてくれないんです!母!物忘れがすぎる!心配!
その苦労の結晶。ナホの米2016です。新米は、なんでもうまい。(おっと失礼!)やっぱり時々小石が混じっている。3歳の息子がその小石を思い切り噛んでしまったらしく「なんか固い!」と怒り散らかしていて、「ナホちゃんのばかやろうだな!」と叫んでいました。そんな事言うのやめてあげて、どんだけ苦労したか。大事に食べような。
娘が産まれて100日以上たちました。子どもは二人目ながら、初めてお食い初めをしました。長男よごめんなさい。君のときは、母は本当に心の余裕が全くありませんでした。毎日毎日が精一杯でした。お食い初めなんて、考えもしなかった。将来食い物に困ったら、母のせいです。ごめんね。
お食い初めをした、なんて偉そうに言いましたが、料理のヘタクソな私が、そろえられるはずもなく(がんばれよ!)さっさとネットで「お食い初めセット」的なものを検索してさくっと手に入れようとしたら、案外どれも1万円くらいするんよね、、、。「実際には食わないのに1万円、、、?」みたいなのが頭をよぎり。ほれなら、家族もみんな美味しいもの食べられて外食でお食い初めみたいなのできないかな〜?と検索したら、近くにあったよ。お食い初めをやってる料亭が。これなら、私は作らなくて済むし、みんな美味しいものが食べられるー!みんな食べれて1万とちょっと。私の料理のスキルは全くあがらないけどね。
個室を予約して、当日を迎えました。なっちゃんだけ奇麗なおべべを着せましたが、私も息子も夫も普段着。私にいたってはゴムパンのノーメーク。ネットでは「是非親戚一同集まって、盛大に祝いましょう!」なんて書いてあったけど、そんな恵まれた環境のお家はいったいどれほどあるんか。核家族でひっそりとしました。
お食い初め指導みたいな店員の方が一人ついてくれたのですが、なんかその人がちょっとこわい!お局女教師みたいな雰囲気を醸しており、淡々とお食い初めについて説明してくれるんですが、息子がジュースをこぼしたりしても、眉一つ動かさず、淡々とふいて、取り替える。みたいな。「まず、桜湯を飲んでいただいてですね、ごはん、汁物、ごはん、歯固め〜、それでまた御飯汁物ごはん!」もうなんて言ったか覚えてないけど「ごはん、しるもの、ごはん!」の響きだけ覚えてるね、、、。こわかった。しかも、当日は混んでたらしく、妙に急かされた。「あら、デザートはまだ持って来てはだめですか?」みたいな催促があり、非常に神経が衰弱しました。私たちは必死に料理を口に押し込んで、逃げるように帰りました、、、。大家族でわいわいとしてあげたかった。お局の業務的な指導じゃなくて。そんな苦いお食い初めでした。
もうひと月以上も前の話ですが、息子もついに運動会なるビッグイベントに参加するまでになりました。幼稚園の近くの小学校のグラウンドを借りての運動会。グラウンドにはためく運動会を象徴する各国の旗、白いライン、スタートを知らせるピストルの音。あ〜何この感じ。胸がしめつけられる〜。懐かしくて甘酸っぱくて苦い思い出も詰まった運動会。もう運動会なんて一生経験するつもりなんてなかったけど、子どもが産まれたら当たり前のように巡ってくるんだ。すごい。これから毎年あるんだ。すごい、、、。
ただ、さすが最年少クラス。息子のクラスは満三歳児のちょうちょ組で、みんな豆粒のように小さい。そして並んで待つ事ができない。度々列を脱走しては、担任の先生が走って追いかけてる。先生、ありがとう!うちの息子は4月に幼稚園に入ったので、3歳歴が長い。よって割とちゃんと待ったりできる。でも10月入園の子なんかは、もう、泣き叫んでます。がんばれー!わかるよわかるよ、なんでこんなことしなきゃいけないのかわかんないよね。うんうん。人生ってよくわからんことを一生懸命しなきゃいけないんだよ。大変だよね。したくないよね。
ママ友なんかがよく「子どもが初めて運動会やお遊戯会でちゃんと踊ったりしてるのをみたら、感動して涙が出て来るよ」と言ってましたが、なるほど確かに。遠くで確かに息子は踊っている。太陽のまぶしさでほとんど目をつぶったままのしかめっつらではあるが、どうにか踊っている。教えられたとおりに彼もできるのだ。私は感動というよりは、おかしさで顔がにやにやした。娘がまだ生後2ヶ月だったから、私は遠くで見てるだけで、夫が息子と踊ったりして全部一緒に参加してくれたのだが、それをじっと見ていて、おかしかった。ほんと、なんでこんなことしなきゃいけないんだろうなーと思いながら子どもはやってるんだろうな。と思うと色々全部おかしかった。
私も自分が幼稚園の時の運動会なんて、バンブーダンスとかいう超恐ろしい競技をやらされて、苦しみでしかなかったもんな。ああ、息子はこれから団体行動なんかをみっちり学校なんかで教え込まれるんだ。ウワー大変。かわいそうだけど、なんかしらないけどそういう風にできてるんだよ。息子、がんばれよ!
最近の幼稚園は、色んなことを鑑みて午前中で運動会が終わるところが大半。うちも12時すぎに解散となり、おやつなどのおみやげをもらって帰ったけど、本当にみんなクタクタだった。屋外で数時間さらされるというのは、なかなかに体力を奪う。息子も、夫も私も、げっそりした。ああ、とりあえず日々、一つ一つイベントが無事に済んで行くことが嬉しい。息子が寝て、二ヶ月のなっちゃんがおっぱいを延々飲んだあとにやっと寝て、私も布団に横になったときに、今日も無事に終わったと思う。みんな子どもはあっという間に大きくなるというが、それは嘘だ。毎日毎日は同じ事の繰り返しで長い。でも、多分その事こそが子どもにとっては重要なのだと思う。