
息子を男だと感じる瞬間(なんかこう書くとやらしく聞こえるが)。それはやはり車や乗り物にものすごく執着している事だろうか。この車の本とおもちゃは、すべて同じ社宅の方からお下がりをいただいたものですが、本当に助かっています。
気がつけば、朝起きてから寝るまで、家にいる間はずーーーーーっと、これを手に持っている。手にもって、ページを乱暴にずーっとずーっとめくっている。ミニカーはいくつかあって、それもずーっと走らせている。車の本は、私に読めとしつこく迫ってくる。読むと言っても、車の図鑑だから、車とその名称が並んでいるだけなので、私はひたすら「フォークリフト」「コンクリートミキサーしゃ」「じょせつしゃ」「にかいだてろせんバス」とか言うだけである。しかも全部ひらがなとカタカナだから読みにくい。私は、はっきりいって車には全く興味がないので、もう、かなり苦痛である。これが「世界のスイーツ図鑑」とかだったら喜んで読むのに。「アンデルセン童話」とかだったらね、感情込めてとかね、まだできるけど。読む私はすこぶるつまらんのです。
私も小さい頃は図鑑が好きで、もっぱら動物の図鑑専門でした。犬の図鑑、ネコの図鑑、世界の動物、あとはなぜか恐竜が好きで、恐竜の図鑑を読んでは夢に出て来てうなされたりしていました。でもその「好きだ」という気持ちを、誰かと共有したくて、よく台所に立っている母とかに「ママ、見て。こんなモップみたいな毛の犬がおるんやて。」とか「このネズミには毛がなくて、目は土の中に住んどるからなくなってしもたんやて。」とか延々話しかけていた覚えがあります。だから息子も、一生懸命私と「車がおもろいぞ」という気持ちを共有したくて本を一緒に読めといってくるのだろうな。わかるよ、おかあちゃんは、車好きじゃないけど、がんばって読むよ。

それとこれ。「アンパンマンのお風呂で遊ぶアルファベットおもちゃ」これには私の下心が見え見えです。「あわよくば、アルファベット覚えてくれねえかな」っていう、つまらん下心。先にひらがな、カタカナだろが!と思いつつ、ひらがなカタカナのおもちゃがなくてしょうがなく、アルファベットになりました。
お風呂で私が髪の毛とかを洗っている時に、どうにか一人で遊んでくれんかなあと思って必死で探しました。お風呂の壁にくっつくので、一人で貼っては盛り上がってくれています。事実、これを買ってから「おふろ!」と私が言うと、嬉々としてお風呂場に走っていくようになりました。
前は、なかなかお風呂に長い間浸かってくれなかったのですが、今はこのおもちゃで遊びながら私の膝の上でずーっと浸かってくれるようになりました。私のへたくそーな英語の発音で「エーイ、ビィ〜。」とか一応声に出して教えてるつもりなんですが、ただの弊害にしかなってないかも。
そうやっておもちゃビジネスにゆる〜くふか〜く浸かっていっている今日この頃ですが、子どもが本当に無心でおもちゃと遊んでいる姿は、時に感動すら覚えます。夢中で遊べるってうらやましいなあと思います。

9月の中旬。ついに姉が米を収穫した。初めての稲刈りだった。私も手伝いたいのは山々だったが、あいにく東京と三重では遠すぎた。
でもその日は朝から家族総出で大変だったらしい。まず、機械を動かすガソリンか何かが全く用意できておらず、母がガソリンを買いに走った。メタボの父も走り回ったらしい。そして親戚のおじちゃんや、機械を購入したヤンマーさんも手伝いに来てくれて、母はその手伝いの方たちに振る舞うお昼ご飯や、おやつを買いに再び走った。
姉は機械の上に乗っかって、ブイイインと前後にうごめいていたが、それ以外の事は無頓着で、母は息を切らしていたらしい。84歳のおばあちゃんは、自分にも何かできやしないかとうろうろしていたらしい。母曰く「パパがあんなに動いとんの初めて見たわ。」というくらい、ソファに座ってめったに動かない父でさえ、娘の初の稲刈りに精を出して動き回ったらしい。すべて母から聞いた話なので「らしい」しか言えないのが残念でならない。行きたかったような、その場にいなくてよかったような気持ちで、姉の稲刈りを遠くから祝福した。
姉と電話で「どうやった?」と聞いても、「へへへ。とれた。」とか「う〜ん。わからん。」しか言わないので、饒舌に、且つ余計な話も盛り込みまくる母からしか詳細は聞き出せないのであった。そして、その母からの話では「もう!ねえちゃんは細かい事全く気がつかんであかんわあ!」と嘆きながらも、なんだか嬉しそうでありました。

そして、ついに私のもとへその米が送られて来たのでした。一番上のまだ炊いていない状態の米をよく見てください。砂のように細かいんです。めちゃくちゃ細かいんです。私は「ずいぶん変わった品種をまいたんやな。」と思いましたが、どうやら別に細かくなる予定はさらさらなかったらしいのです。姉曰く「なんだか知らんが細かい米ができた」だけのようでした。
私はその姉の育てたという米を「絶対に期待しないで食おう。」という気持ちで炊飯スイッチをオンにしたのです。でも「ピロリロリ〜ん」という炊きあがりの間抜けな音が響き渡り、おそるおそる炊飯ジャーのふたを開けると、そこにはつやつやと光り輝くかわいい米たちが、ほかほかの湯気を立てていいにおいを充満させておりました。
おお、なんてかわいいんでしょう!身内の育てた新米っちゃあこんなに愛おしいもんでしょうか。振り返れば、3月姉自身はバリへ新婚旅行へ行っている間に、母に高額な農機具の契約をさせ、(お金はもちろん姉が出していますが)周囲からだいぶ遅れての5月の田植え、水が田んぼに引けない事で、84歳のばあちゃんは心配で夜も眠れず、雨の中石を動かしに行ったり、育って来たら育って来たで「いもち病」という稲の病気やないかという話に家族全員頭を垂れ、親戚のおじちゃんに「もう刈り取らな、稲が水に浸かってだめになるぞ!」と脅されたり、それでも家族は「なんや、うちの田んぼの稲が一番元気やないかなあ!」と親ばかならぬ稲ばかぶりを発揮したりして、ここまできたのです。
かわいくないはずがない米なのです。子どもに、田植えを経験させたり野菜を育てさせたりするのは、絶対にいいはずだよ。私なんて自分が育てたわけじゃないのに、こんなにもこの米を大事に食べようと思うもの。自分が育てた野菜や米なら、子どもは本当に大事に美味しく食べるだろうと思う。よって、もう少し大きくなったら絶対に息子にも手伝わせたいと思う。
その気持ちを知ってか知らずか、その日の息子は、そのつやつやのご飯を見て一生懸命指差し「食いたい。」という意思表示を見せ、白い米だけでお腹いっぱい食べたのでした。でも、本当にそれくらい美味しかったのです。米はすごい。パンなら、砂糖や塩やイーストやらバターやらたくさん他に何かをいれないと美味しくならないけど、米はそれを炊くだけで美味しいのだから。
ねえちゃん、パパママ、ばあちゃん、親戚のおっちゃん。おつかれさまでした。そしておいしい米をありがとう。来年はどうなるかわからないけど、少なくとも私はとても期待しています。

毎年この時期、夫が社員旅行の日には、姉が大阪から東京の我が家へ泊まりに来てくれます。この日も夜行バスに乗って、早朝たどり着いた姉が我が家のインターホンモニターに大写しにされました。
息子朝から大喜び。早速、姉を見たときにだけ繰り出されるステップを軽快に踏んでいました。
この日は、前々から江東区の豊洲に遊びにいく事になっていました。私のイラストの仕事の関係です。私一人で息子を抱えての散策はキツいので、一回目は夫と、そして2回目は姉と一緒に散策することになりました。豊洲まではけっこう遠くて、最低でも1時間はかかります。最近自己主張の激しい息子は、たびたび暴れるも、やっと豊洲に到着。
豊洲のイラストマップを描こうとしているのに、なんと私は方向音痴。一回目は夫がスマホを駆使してどうにか散策できましたが、私も姉もガラケーなので、今回はもっぱら地図を頼りにうろうろ。姉は数々の国を放浪してきただけに、こういうときは本当に頼りになります。
でも私たち姉妹の最大の関心はやはり食。まずはヴィレッジバンガード監修のハンバーガー屋さんに入りました。上の写真ね。しかしここでも息子は大暴れ。隣のマダムが連れていたかわいいワンちゃんに向かって裸足で突進していき、ハンバーガーを味わって食べる余裕はなし。ケチャップをぶっぱなし、フライドポテトを口から大量吐き出し、、、。慌てて店を後にしました。

次は、ハワイアンカフェ「ナニナニ」でマラサダを食べました。ここでも息子は店内を走り回り、なんと厨房の方まで入っていったので、口に砂糖をつけたまま、またもや慌てて店内を後にしました。
どう見ても食べ物屋さんばかりに行っているようですが、かなり計画的にいろいろ回っているのです。珍しい遊具が満載の豊洲公園やら、東京ガスの科学館やら、住宅展示場やら、もちろんららぽーとにも行ってます。豊洲は道が外国のように広いので、向こうに見えている場所に行こうとしてもかなり歩きます。なんとこの日、姉の万歩計は2万歩を大きく超えていました。昨晩夜行バスでしか寝ていないのに、姉はピンピンしています。自分が疲れていても、隣に強靭な体力の持ち主がいてくれると心強いものです。

この日、夕飯も豊洲で食べる事になっていて、ららぽーと内の飲食店を物色していました。すると、私が前々からずっと食べたいと思っていたパンケーキのお店を発見!だいぶ前からパンケーキが流行っていますが、私は息子がいるのでせっかく東京にいるのに食べに行ったことがありませんでした。いつもテレビのパンケーキ特集を見ては、しょうがなく自分ちの安いホットケーキミックスで巨大なホットケーキを作ってはやけ食いしている日々でした。
ハンバーガーとマラサダの後にパンケーキかよ!と思いながら、もう今日しかパンケーキを食べる機会なんぞないと思って、並んででも食べる事にしました。暴れる息子を取り押さえながら並ぶ事20分ほど。夢のように美しいパンケーキです!!ひやっほ〜い。

ちなみに、先ほどの華やかなパンケーキは姉のです。私はどちらかというと無骨なビジュアルのケーキが好きなんです。なので、私の選んだのはこちら。ん?自分が作ってる巨大ホットケーキと似てねーか?見た目は無骨ですが、こちら、中はふわんふわんでありました。うまーい!
しかし、やはりハンバーガーとマラサダ後はなかなかにしんどく。もっと万全の腹の状態で食べたかったのに、最後の方は苦しくて苦しくて。それでも、よかった。満足です。
帰路につく頃は日も暮れ、1時間の道のりをまた暴れる息子を取り押さえながら電車に揺られました。息子の鉄拳を何度もくらい、着く頃には姉も私も傷だらけ。駅から家までを、いつもはバスを使うところですが、姉が一言「歩きたい」とのたまったので、たらたら歩く事にしました。
その日は3人で川の字になって寝ました。姉はいつものように布団もかけずに、微動だにせず、姿勢正しく寝息をたてていました。そして朝8時には、東京に住む友人に会うために旅立っていきました。相変わらず忙しい姉なのですが、忙しい中でも、私が「泊まりに来てくれー!」とお願いしたので今回わざわざ時間を作って泊まりにきてくれたのでした。
そして、甥っ子に傷だらけにされて、また帰っていきました。来年はどこに行こうなあ。

東京には、公園が実は多いんですね。江戸川区にもいっぱいある。歩いてすぐの場所に二カ所もある。ありがたい。過ごしやすい季節になったので、蚊の恐怖はあるものの、公園デビューしてみました。虫除けシールを貼って出かけたのに、3カ所くらい刺されてしもた。もう虫除けシール買わんぞ。まぶたを刺されて、敗れたボクサーみたいになってもうた。あわれ、息子よ。
息子は案外動物に興味があることがわかった。ネコと、鳩と、犬に積極的だった。うっすら「ワンワン」とつぶやいているのを確かに聞いたぞ、母はこの耳で。でも最も興味があるのはどうやら自動販売機らしく、自動販売機ブースから全く動かない。いつまでもボタンを押し続け、缶の出口の扉を開けたり閉めたりを飽きることなく続けておりました。端から見たらジュース欲しがってる子供に与えない母親みたいに見えるからやめてん。しかも危うく自販機にジュース買いにきた他の人のボタンを押しそうになっていた。君には選ぶ権利はないんだよ。
他にも、川にダイブしようとしたり、石を食ったり、人んちに侵入したり、人の自転車に乗ったりおばあちゃんに石を渡し続けたり、片時も目が離せないのは確かなんですが、室内にいるよりずっと楽しい。以来毎日通っています。蚊には毎日刺されてるけど。

ほんで性懲りもなくこういう本を読んでいる。ほんとはこんな子育て本なんか読まずにどーんと構えてゆったりと子育てできる母親に憧れるんやけどね。家電やパソコンの取説は読めんのに、やたらこういう本を読むのが好き。そんで、すぐに忘れる。
この本は松永暢史さんの「男の子を伸ばす母親はここが違う!」という本です。
私は男兄弟しかおらんからね。知らんのんよ。男の子のこと。だから子育て広場に言って、他のお母さんと何話すかっていったら「男の子のチンチンの皮はいつむくのか?」という話ばっかりしています。最近はどうやら小児科で「6ヶ月検診」とかのときに突如むかれるらしい。まじー!?うちの息子はまだやぞー!
そんな有様なので、男の子について知らなあかんのです。この本によると、男の子はやはり「オチンチン力」というのが大事らしく、いかに小さいときに遊びまくってきたかが重要らしいです。だから、母親は男の子がアホなことをしていても、ほっとけ。っちゅうことらしいです。習い事ばっかりさせたらオチンチン力はだめになると。
なるほどー!それなら私にもできそう。ほっとけばいいのね。
昔は子供が多かったから、母親はいちいち子供一人一人にかまってやれなかったから、よかったんだって。いい具合に子供たちは自由で、遊びまくれたから。今は何でも大人の管理下だもんね。悩ましいことです。だって心配なのよね。
この本の言っていることは、とても分かりやすいので、すぐに忘れる私でも肝に銘じておけそうです。だから、今日もめちゃくちゃをしている息子の後ろ姿をじーっと見てるだけに、、、、できるだけ、、、ね。したいです。

9月1日に、無事東京へ帰って来ました。一ヶ月三重に帰っていたので、夫1人の家はさぞかし荒れているだろうと思ったら、そうでもなく、お風呂の床はピカピカでした。夫も頑張ってくれていたようでした。長い間すんません。
私と息子のこうすけが東京に帰るというので、母も姉も、おばあちゃんも涙なみだ。いつも夕方になると、散歩がてら歩いて5分のおばあちゃんの家に通っていたので、おばあちゃんはことさらさみしそうでした。おばあちゃんは、自分が乗っている「老人カー」(おばあちゃんは「バイク」と呼んでいる)にこうすけを乗せて走るのが大好きで、私達が東京に帰る日には、出発する寸前までこうすけをバイクに乗せてその辺をうろうろ。

八月の頭には三重の観光地、志摩や鳥羽にも行きました。この日は夫も東京から来て、私の両親、夫、私、こうすけの5人で鳥羽のホテルに泊まりました。ホテルは、団塊世代の両親と小さい子どもを連れた夫婦という、団塊ファミリーが大勢おりました。バリバリの団塊ズの私の父も、腰痛があるわりにはこうすけをやたらと肩車してくれて、なかなかのじいじぶりを発揮してくれていました。
こうすけがやはり一番なついてくれたのはばあばで、「ママ」しか言えなかったこうすけですが、「ばあば」は言えるようになりました。母を見ていると、やはり子どもの扱いが上手だなあと思います。褒めて褒めて、ほめちぎってくれたので、こうすけは三重でたくさんのことができるようになりました。母の次に、こうすけとたくさん遊んでくれたのは、私の姉です。
姉はやり場の無いエネルギーを発散するために、しょっちゅうダンスをしているので、こうすけは「踊りのおばさん」と位置づけたらしく、姉を見るだけで足踏みをしてダンスするようになりました。でも、ときどきその姉の無尽蔵のエネルギーのしつこさにいらっとするらしく、こうすけはしょっちゅう姉をつねるようになり、姉は傷だらけになってしまいました。姉はどれだけこうすけにつねられようがひっかかれようが、熱すぎるハートで果敢にこうすけにアタックしてくれるので、血の繋がりはすげえもんだと思いますね。
マイマイおじちゃんにもたくさん可愛がってもらったし、お友達にもたくさん会いました。いっぱい楽しい事をして、色んな人に会ったけど、多分もう忘れてんだろうな。よし!次は冬だぞー!もちつきするぞー!