9月1日に、無事東京へ帰って来ました。一ヶ月三重に帰っていたので、夫1人の家はさぞかし荒れているだろうと思ったら、そうでもなく、お風呂の床はピカピカでした。夫も頑張ってくれていたようでした。長い間すんません。
私と息子のこうすけが東京に帰るというので、母も姉も、おばあちゃんも涙なみだ。いつも夕方になると、散歩がてら歩いて5分のおばあちゃんの家に通っていたので、おばあちゃんはことさらさみしそうでした。おばあちゃんは、自分が乗っている「老人カー」(おばあちゃんは「バイク」と呼んでいる)にこうすけを乗せて走るのが大好きで、私達が東京に帰る日には、出発する寸前までこうすけをバイクに乗せてその辺をうろうろ。
八月の頭には三重の観光地、志摩や鳥羽にも行きました。この日は夫も東京から来て、私の両親、夫、私、こうすけの5人で鳥羽のホテルに泊まりました。ホテルは、団塊世代の両親と小さい子どもを連れた夫婦という、団塊ファミリーが大勢おりました。バリバリの団塊ズの私の父も、腰痛があるわりにはこうすけをやたらと肩車してくれて、なかなかのじいじぶりを発揮してくれていました。
こうすけがやはり一番なついてくれたのはばあばで、「ママ」しか言えなかったこうすけですが、「ばあば」は言えるようになりました。母を見ていると、やはり子どもの扱いが上手だなあと思います。褒めて褒めて、ほめちぎってくれたので、こうすけは三重でたくさんのことができるようになりました。母の次に、こうすけとたくさん遊んでくれたのは、私の姉です。
姉はやり場の無いエネルギーを発散するために、しょっちゅうダンスをしているので、こうすけは「踊りのおばさん」と位置づけたらしく、姉を見るだけで足踏みをしてダンスするようになりました。でも、ときどきその姉の無尽蔵のエネルギーのしつこさにいらっとするらしく、こうすけはしょっちゅう姉をつねるようになり、姉は傷だらけになってしまいました。姉はどれだけこうすけにつねられようがひっかかれようが、熱すぎるハートで果敢にこうすけにアタックしてくれるので、血の繋がりはすげえもんだと思いますね。
マイマイおじちゃんにもたくさん可愛がってもらったし、お友達にもたくさん会いました。いっぱい楽しい事をして、色んな人に会ったけど、多分もう忘れてんだろうな。よし!次は冬だぞー!もちつきするぞー!