うんこネタが多くてすいません。第1子が産まれた時も便秘に猛烈に苦しみましたが、再びそのときがやってきました。私は幸い母乳が猛烈によく出るため、余計に便秘になりやすいようです。体内は常に水分不足状態。結果うんこはダイヤモンド級の固さに(ちなみに価値はただのうんこです)。もともとは快便体質だったのに、もはやどうやってうんこをスムーズに出していたのかさえ思い出せない。排便に1時間かかることも多々あります。その度に痛みでひざを掴むので、ひざにはいつのまにか青あざが、、、。
ただ今回は妊娠中から産院で「マグミット」なる便秘薬を出してもらっていたので、それを飲みつつ二日に1回のペースで出せています。皆さん、このマグミットなる便秘薬のことをご存知でしょうか?私と、ママ友ひとみちゃんが太鼓判を押すこの便秘薬。もうマグミット信者です。この便秘薬は、授乳中も妊娠中も飲めるし、なんというか便秘薬にありがちな「慣れて効かなくなる」ということもないのだそうです。体内の水分を集めてウンコに注ぎ込む力(多分もっとちゃんとした言い方があるはず)があるらしく、クセになったり効かなくなったりすることがないし、ウンコの見本というか、特待生みたいな完璧に美しいウンコが出るのも特徴です。何度も写メ撮りそうになるくらい美しいウンコが出ます。
だから私もひとみちゃんも「なぜもっと一般的にならないのか?こんなに素晴らしい薬なのに」という話で盛り上がりました。現にひとみちゃんは、産院に行って「出せるだけの、ありったけのマグミットください」といってもらってきたそうです。私もそれを聞いて、もうすぐ東京にも帰らなあかんし「ありったけのマグミットください」といって産院でもらってきました。もうこれを護符のようにして私は東京に帰るんばい。便秘でお悩みの皆様、是非一度マグミットをお試しください。あなたもきっと美しいウンコに出会える事でしょう。
びよよ〜ん。産まれたばかりのブチャイクショット2。名前はなっちゃんになりました。さあ、出産さえしてしまえばあとは5日間産院で上げ膳据え膳ひたすらゴロゴロしててもいい日々だぞ。長男の時よりは産後の傷やら痔やら母乳のための乳の張りについての知識もあるから、多少は気持ちに余裕があるはず〜。気持ちに余裕さえあれば産院ってパラダイスなはず〜。
快適な一人部屋まで車椅子で運ばれた私。おいおい、車椅子の椅子がドーナツタイプじゃねえですよ。もう私の痔のケアは今から始まってるのに、普通の椅子なんて座れねえべさ。そうよ、最初の産後の経験をフルに生かして、今回は早め早めに手を打って行かないと。鞄にはボラ◯ノールも入ってるし、ウンコが固くならない便秘薬もすでに飲んである。確か産んだばかりは膀胱がびっくりしすぎておしっこも出なくなるのよね。大丈夫よ、私知ってるから。知ってるけど、、、さ。経産婦って結構ほっとかれるんだな、、、。初産の時はまさに手取り足取り助産師さんが教えてくれるけど、経産婦って、自分からSOSを出さないと誰からもあまり声をかけてもらえない。そんな事で、かなり個室でぽつーんな日々。前の産院は、ママ達全員が一カ所に集まって、おっぱいを惜しげも無くさらして母乳指導があったのだが、Yクリニックはプライベートがかなり確保されていて、母乳指導もマンツーマン。経産婦には指導もないので、人との触れ合いがかなり少ない。
えーっと母乳ね、母乳母乳。母乳については長男を2歳までやってたからね!乳腺炎も、乳首の切れ、痛み、全て経験済みで、自信ありますよ〜。と自信満々だったのですが、なっちゃんの最初のひと噛みでばちーんと、切れた。ぎゃああああ!!!もう切れよった!あの2年間はなんやったんや。私の乳首は超合金くらい強くなってたはずやろ!甘かった。ここから私は結構しょぼーんな日々。自信ありありだった母乳でいきなりつまづき、たまに来てくれる助産師さんたちにぼそぼそと気弱な所を見せていると、だんだん助産師さんたちも「703号室のママ要注意」と思ってくれたのか、何かにつけて心配してくれるようになりました。たまたまオリンピックに感動して泣いてる時に何度か助産師さんが入室してきたことをも大きい、、、(笑)。どうやら産後うつと思われたらしく「ママの産後うつ防止アンケート」を持って長々と質問しに来てくれたりも。
そして、「痔が出た!」と何かにつけて色んな人に触れ回っておったところ「私が押し込んであげましょう」と名乗りをあげてくれた助産師さんが!眼鏡でショートカットの看護師さん、ありがとうございました。確か前の産院でも、眼鏡でショートカットの人が痔を押し込んでくれたっけかな〜。もう眼鏡でショートカットの人って大好き。
その看護師さんは、塗るタイプの痛み止めまで肛門にぬってくれて、ぎゅぎゅぎゅーっとね。いでー!痛み止めきかねー!「押し込んだ!入ったよ!!!はい、はさんで!肛門しめてー。」と言われて慌ててまさに、門を閉める私。おかげで、今回は本当に痔の治りが早かったです。もうすでに出産で凄まじくみっともない姿をさらしているので、もはや隠すものなど何も無い。
他にもYクリニックには色んなサービスがあって(痔を押し込むのはサービスでも何でもないけど)、アロマオイルの全身マッサージやら、お祝い膳といって心のこもったコース料理を大人2名と子どもの分を無料で招待してくれるというサービスもありました。
これがそのときのコース料理のデザート。うっかり食い始めてからのショットで申し訳ない。3歳の息子にもちゃんとプレート料理を作ってくれて、おまけに託児サービスまであり、ご飯を食べ終わってうろうろし始めた息子をずっと遊んでくれる優しいお姉さんがいました。さすが産院。料理も質、量ともに大満足の、とても心のこもったサービスだと思いました。
息子のプレート料理。息子はお姉さんと遊んだことが一番嬉しかったようで、「今度はいつお姉さんに会えるのか?」ということを度々聞いて来ました。残念ながら3人目を仕込む余裕など全くない。
上げ膳据え膳ゴロね生活は極楽でしたが、だんだん私もホームシックになっていき電話で家族の声を聞いたりすると無性にさみしかった入院生活でした。Yクリニックは、出産を終えたママの苦痛も出来るだけ取り除いてあげようという気持ちがとても伝わって来ました。私がウンコが固くなるのが嫌だと言えば便秘薬をくれ、痔が出たと言えば痔の薬と押し込みをしてくれ、おっぱいが切れたと言えば軟膏をくれておっぱい指導に駆けつけてくれ、夜中にちゃんと寝たいと言えば赤ちゃんを預かってくれて、何事も素早く対応してくれたのがとても心強く嬉しい事でした。おかげさまで今回は前回の出産より驚く程回復が早く、赤ちゃんをかわいいと思える余裕がありました。(前回はただひたすら赤子がこわかったけど)
退院する日はびっくりするほどあっさり見送られましたが(笑)困った事があったらいつでも電話してと言ってくださり、実際おっぱいのことで2度ほど電話しましたが、とてもちゃんと話を聞いてくれて対応してくれました。Yクリニックにして良かったです。
産院でのある日の朝食。上げ膳据え膳のありがたみをひしひしと感じます。病院ってほんと食事だけが楽しみです。毎回完食してました。
8月9日に入院し、その日は風船を子宮に飛ばし何事も無く、ただオリンピックを観てめしを食っただけで、次の日になった。朝7時から腹にモニターをつけ、いよいよ陣痛を誘発する点滴を打つらしい。通された部屋の名前が「陣痛室」それを見ただけで背中に汗が滴り落ちて行った。もっと楽しくなるような名前をつけてくれ。赤ちゃんがノックをするお部屋とかさ。もう逃れられないのね。私は無痛分娩も帝王切開もしてもらえないのね、、、。
陣痛室で新聞を読みながら待機していると、どこからどうみても蛭子能収さんですよね?という見た目の助産師さんが入って来た。どうやら私は今日一日蛭子さんと苦楽を共にするらしい。結構楽しそうである。蛭子さんは、ひたすらあやまりながら私の手に点滴注射をした。そんなに謝らんでください、お仕事なんだから、とでも言おうとしたが多分彼女にとってはもはや口癖のようなもので、謝りながらの方が作業が円滑に進みそうだったのでそのままにしておいた。
そのまま陣痛室で延々時を過ごし、その間息子と父が面会に来たり、昼ご飯を食べたり、点滴台を引きずりながらトイレに行ったりした。そして、昼を過ぎた頃ついに嫌な感じの波が来てしまった。「痛みが来ました」と言うと、蛭子さんはまたもや謝りながらもかなりの力で私の子宮口にぐわしと手を入れた。いでででで!嫌な予感。前の産院でもそうだったが、少しふくよかな助産師さんの方が、力一杯手加減無しで色々手を入れてくるのだ。蛭子よ、あなたもですか。ああ、こわい。ついに来たよ。もう台湾のビンロウ売りでもアマゾンのヤノマミ族でも誰でも良いから私と代わってくれ。
その後は、あれよあれよという間でした。ある意味スピード出産だったように思います。分娩時間は4時間程。私がもしも助産師さんだったら、私みたいな妊婦を見たら笑いを堪えられないと思うけど、そこはプロ(当たり前か)。全く言う事を聞かずに全力で叫んでいる私に辛抱強く付き合ってくれて本当にすごいなと思いました。蛭子さんは必死に「ママ、私の顔見て!目つぶったらあかんよ!フーしてフー!」と懸命に言ってくれているのに私はひたすら目をつぶっていた。そこまででかくない分娩台であるにも関わらず、私は広い体育館を走り回ってんじゃないかというくらい分娩台で暴れまくったので、蛭子さんは「ママ、もっとこっちに来て、落ちるよ!落ちたらあかんって!もっと真ん中来てーな!」と懸命に言ってくれているのに私はますます端っこの手すりにしがみついていた。落ちない自信はあったのだが。その間「もうアカン、帝王切開!いやや。もういや。産めん。できん!無理!」を連呼。えー加減にせんかいって言われて殴られててもおかしくない。あまりに私が取り乱しているために、蛭子は何かを決心したようだった。「もう待てないね。もう出してあげなきゃ。この子耐えられないよ。」あれ?この台詞前の産院でも聞いたぞ。「もうあかんに、この子産めんに」と言って、長男のときは吸引分娩になったんだった。もういいよ、何でもいいから引っ張りだしてくれ。この苦しみから解放されるならありとあらゆる医療の手を借ります、私。
でもどうやら吸引するわけではないらしい。子宮口がそんなに開いてないけど、もう出す方向でもってこう、みたいな感じだった。詳しくは知らんけど。するとかの有名な便意が。赤ちゃんが出てくる時は便意がするらしい。来たーと思ったので「もうウンコ出してもええ?」と聞いてみた。そしたら蛭子さんは「ええよええよ、もうウンコでも何でも出したらええよ。」とおー、さすが太っ腹!ほんじゃ、遠慮なく。みたいな感じで、今回やっと「でっかーいウンコをする感じ」というのをしっかり感じました。長男の時にはなかった感覚。ああ、これが経膣分娩なのね。いつの間にか菩薩女医もしっかり診ててくれて、赤ちゃんが引っ張りだされて来ました。今思い出すと、かなりアクロバティックな格好で出したように思います。「もうこの格好でいこう!」と蛭子さんが叫んでるのが聞こえて、まだ開いていなかった子宮口を、蛭子さんが一生懸命引き延ばしてくれているのもなんとなく分かりました。なんという体力仕事でしょう。そして最後に菩薩女医が私の手を握って、頑張ったねえと菩薩の笑顔で私をねぎらってくれたので、本当に後光がさして見えました。
さあ、あとはもう謝りまくろう。蛭子さんにも、もう一人の助産師さんにも。言う事を聞かなくてごめんなさい。取り乱してごめんなさい。ウンコを出してごめんなさい。そして、最後まで私を殴らず、温かくサポートしてくださりありがとうございます。
でも前回のお産でもそうだったけど、産んだあとにも助産師さん達は色々することがたくさんあるから、ほんと忙しそうなんですよね。産卵を終えたシャケのたわごとを聞いてる暇はないのだろう。その後も、もちろん会陰切開の縫合などあり、蛭子さんは何度も通りすがりに力一杯私の腹を押して残っている血を押し出して行った。ちょっとコンビニ行くついでみたいな感じで。これが地味にこわかった。「あー蛭子サンまた来た。また私の腹押しに来た」みたいな。だってこれもかなり痛いんでっせ。謝りながらも手加減しない蛭子さん。プロである。
あーしかし嬉しい。もうあの恐怖と痛みから解放されたのね。長男の時は崩壊した自分の体を思うとその後も地獄に堕ちたような気持ちだったけど、今回はすでに経験済みなので、赤ちゃんにも思いを馳せる余裕があった。ひたすら、赤ちゃんに会えて嬉しかった。Vol4へ続く。
減塩を心がけたヘルシーなメニューの産院の食事。美味しい、確かに美味しいが、ばあちゃんのぬか漬けで育ったわしには、漬け物が無い事がさみしかった。
誘発分娩で産む事が決定したにも関わらず、以前動揺し続ける私に、超安産だった母は「あんなあ、もう腹くくるねん。ぐっと気持ちを締めて立ち向かわなしゃあないやん。二人目やし大丈夫やに。」と。確かに、、、私の周囲でも、私程出産を怖がっている者に会った事が無い。よーこちゃんは「これなら3人くらい産めると思ったで〜。」と言ったし、ひとみちゃんは「案外ああいう時程私は冷静になるんさなあ。」と言うし、かおりちゃんは「予想より100倍痛かったけど、叫ぶということは無かったかな。」と言った。玉さんに至っては「4回くらいいきんだら出た」とのこと。なんでや。みんななんでや。なんでみんなそんなに強いんや。私がおかしいんか?とびくびくしてほとんど眠れぬまま入院当日を迎えた。
我が家はみんな忙しいので、一人で車に乗って朝9時に産院へ。赤ちゃんの心音を確かめるために、機械を私のお腹につけている助産師さんが「誘発分娩納得してるんかな?まだ予定日より一日しか経ってないし、まだまだ待つ事も出来るんだよ?」と。えええええ!今更そんな迷うような事言わんでくれー!と心の中で叫ぶ私。「いえ、なんかお盆で人手が少なくなるらしいので。それに引き返して、また待つというのもしんどいかなと。ただ、また誘発かーという思いはあります。誘発で産んだ最初の子がすごく痛くて怖かったので。子宮口に風船入れて、薬を飲んで、点滴もして、そしたら死ぬ程痛くて。」と言ったら、助産師さんがびっくりした表情で「ええ!一日で3つもやったん?そんな事今なかなかしないよ?!赤ちゃんにもお母さんにもものすごいストレスかかるし、子宮が破裂するリスクだってあるんだよ?」と言われ、やっっぱりかー!だからあんなに辛かったんかー!と妙に納得。「うちは一日一つしかしないよ。お母さんと赤ちゃんの状態を診て、子宮に風船入れたら、その日はそれでおしまい。ゆっくりすすめるから。」との言葉に、安心して私はだーーーーーっと涙が。
その後、風船を入れる処置を菩薩女医にしていただいた。風船飛ばしは長男の時に経験済みだったので、余裕をかましていたがやはり痛かった。「無我の境地無我の境地」と頭の中でつぶやきながら耐えた。風船を飛ばして数時間後も特に私の体に何の変化も無く、私は快適すぎる独り部屋に移され昼ご飯を食べ、そこで日本男子体操の金メダルダイジェストを観賞しながら、感動のあまり泣きじゃくっていた。内村さんすごい!ブラックサンダーばっかり食べてるのに!
そのとき。昼ご飯に刺激された私は便意をもよおし、、、快適すぎるトイレで踏ん張った。そのとき。ぽっしょーん!という音とともに、うんこさんと風船とがぽろーんと子宮から出て来た。ちーん。風船飛ばし数時間で終了。あんな痛い思いをして飛ばしたのに、まさかもう一度?と思いながら恐る恐るナースコールをしたら、もう今日は入れないとのこと。あーよかった。
風船も何も入っていないただの人となった私は、そのままただ快適な入院生活を過ごした。オリンピックダイジェストにむせび泣き、快適に朝を迎えてしまった。いいの?こんなに楽してて?Vol3に続く。
出産直後に助産師さんが撮ってくれた娘の写真、、、。ちーん。助産師さんが「うっ!」と言っていた。ぶさかわ犬で有名なシャーペイかと思ったよ。将来が危ぶまれる。今はもうちょっとガッツ石松さん寄りで、かわいくなってきました。
ええ、やっと出産して退院しました。「二人目は楽だよー」ってみんな言うけど嘘やで。ウソウソ。前回のお産と変わらず、叫びまくりのウンコ出まくり、痔も出まくりの会陰裂けまくりで、痛さのあまり全く助産師さんの言う事を聞かずに「この子言う事聞いてくれへ〜ん、、。」みたいなぼやきも聞こえてきましたが、言われる事を素直に実行できるほど冷静になれませんでした。それでまた「もう帝王切開にしてくれってばー!頼むー!無理!無理!死ぬー!」を連呼していました。
8月8日が出産予定日だったのですが、うんともすんとも子宮口の開かぬ私に、産婦人科の女医さんが菩薩のような顔をして「もうね、前回も遅れてるし、多分そういう体質なんだね。多分待っててもまた時間かかりそうだよ。そうこうしてるうちにお盆休みに入っちゃって、うちも人員が減っちゃうからもう明日か、ちょっと先かで誘発にして産みましょうか。」と。え、また誘発っすか?前回誘発で死ぬかとおもったんです。もうできるだけ誘発は避けたいんです。というのが私の正直な心の声でしたが、小心者の私はそれを言い出せずに、「え、あ、はい、、、。でも痛いんでしょうか、、、?えっとじゃあ明日9日に入院の方がYクリニックさんとしてはありがたいってことですよね、、。えっと、じゃあ明日入院で。」となんとも気弱で乗り気でなく、はっきりしない返事をして、入院日が決まってしまいました。
前回お産をした、実家から最寄りのT産婦人科は、先生が高齢のためお産をやめてしまったので、今回はきめ細やかなサービスが自慢の女医さんのYクリニックで産む事にしていました。このクリニックはそこそこ規模も大きく、バースプランなるものを書かせてくれるので、さぞかし色んな出産方法を選ばしてくれるんじゃろうと私は期待しておったのです。私が希望するのは「無痛分娩」。前回が目ん玉ひんむくほど辛かったので、あの苦しみから逃れられるなら何でもするぜよと思っていました。でもいつになっても女医さんから無痛分娩についての案内はなく、「おや?」と思っていたら、妊娠36週になって里帰りして、「安産教室」を受講したときに助産師さんが「うちやってないでねえ、無痛は」とぽろっと、、、。「へ?」あほでした。迂闊でした。普通に選べるもんやと思い込んでた。選べるのは「和室で産むか、洋室で産むか、立ち会いか」とかくらいのもんで、、、、。わしに「無痛」を選ぶ余地はなかったのです。
この日から恐怖に苛まれる日々を送り、調べの甘すぎた自分を呪いながら、二人目は楽二人目は楽と言い聞かせ、自然に子宮口が開くのをドキドキして待っていました。でも出産予定日の二日前でも、鳥羽水族館に行って、アシカショーなんか観てる自分がいて、「もう産まれん」と心のどこかで分かっていたんです。
そうして、ついに菩薩女医の言うがままに私は誘発分娩という、危険な扉をまたもや叩かなくてはいけなくなってしまいました。Vol2へ続きます。