産院でのある日の朝食。上げ膳据え膳のありがたみをひしひしと感じます。病院ってほんと食事だけが楽しみです。毎回完食してました。
8月9日に入院し、その日は風船を子宮に飛ばし何事も無く、ただオリンピックを観てめしを食っただけで、次の日になった。朝7時から腹にモニターをつけ、いよいよ陣痛を誘発する点滴を打つらしい。通された部屋の名前が「陣痛室」それを見ただけで背中に汗が滴り落ちて行った。もっと楽しくなるような名前をつけてくれ。赤ちゃんがノックをするお部屋とかさ。もう逃れられないのね。私は無痛分娩も帝王切開もしてもらえないのね、、、。
陣痛室で新聞を読みながら待機していると、どこからどうみても蛭子能収さんですよね?という見た目の助産師さんが入って来た。どうやら私は今日一日蛭子さんと苦楽を共にするらしい。結構楽しそうである。蛭子さんは、ひたすらあやまりながら私の手に点滴注射をした。そんなに謝らんでください、お仕事なんだから、とでも言おうとしたが多分彼女にとってはもはや口癖のようなもので、謝りながらの方が作業が円滑に進みそうだったのでそのままにしておいた。
そのまま陣痛室で延々時を過ごし、その間息子と父が面会に来たり、昼ご飯を食べたり、点滴台を引きずりながらトイレに行ったりした。そして、昼を過ぎた頃ついに嫌な感じの波が来てしまった。「痛みが来ました」と言うと、蛭子さんはまたもや謝りながらもかなりの力で私の子宮口にぐわしと手を入れた。いでででで!嫌な予感。前の産院でもそうだったが、少しふくよかな助産師さんの方が、力一杯手加減無しで色々手を入れてくるのだ。蛭子よ、あなたもですか。ああ、こわい。ついに来たよ。もう台湾のビンロウ売りでもアマゾンのヤノマミ族でも誰でも良いから私と代わってくれ。
その後は、あれよあれよという間でした。ある意味スピード出産だったように思います。分娩時間は4時間程。私がもしも助産師さんだったら、私みたいな妊婦を見たら笑いを堪えられないと思うけど、そこはプロ(当たり前か)。全く言う事を聞かずに全力で叫んでいる私に辛抱強く付き合ってくれて本当にすごいなと思いました。蛭子さんは必死に「ママ、私の顔見て!目つぶったらあかんよ!フーしてフー!」と懸命に言ってくれているのに私はひたすら目をつぶっていた。そこまででかくない分娩台であるにも関わらず、私は広い体育館を走り回ってんじゃないかというくらい分娩台で暴れまくったので、蛭子さんは「ママ、もっとこっちに来て、落ちるよ!落ちたらあかんって!もっと真ん中来てーな!」と懸命に言ってくれているのに私はますます端っこの手すりにしがみついていた。落ちない自信はあったのだが。その間「もうアカン、帝王切開!いやや。もういや。産めん。できん!無理!」を連呼。えー加減にせんかいって言われて殴られててもおかしくない。あまりに私が取り乱しているために、蛭子は何かを決心したようだった。「もう待てないね。もう出してあげなきゃ。この子耐えられないよ。」あれ?この台詞前の産院でも聞いたぞ。「もうあかんに、この子産めんに」と言って、長男のときは吸引分娩になったんだった。もういいよ、何でもいいから引っ張りだしてくれ。この苦しみから解放されるならありとあらゆる医療の手を借ります、私。
でもどうやら吸引するわけではないらしい。子宮口がそんなに開いてないけど、もう出す方向でもってこう、みたいな感じだった。詳しくは知らんけど。するとかの有名な便意が。赤ちゃんが出てくる時は便意がするらしい。来たーと思ったので「もうウンコ出してもええ?」と聞いてみた。そしたら蛭子さんは「ええよええよ、もうウンコでも何でも出したらええよ。」とおー、さすが太っ腹!ほんじゃ、遠慮なく。みたいな感じで、今回やっと「でっかーいウンコをする感じ」というのをしっかり感じました。長男の時にはなかった感覚。ああ、これが経膣分娩なのね。いつの間にか菩薩女医もしっかり診ててくれて、赤ちゃんが引っ張りだされて来ました。今思い出すと、かなりアクロバティックな格好で出したように思います。「もうこの格好でいこう!」と蛭子さんが叫んでるのが聞こえて、まだ開いていなかった子宮口を、蛭子さんが一生懸命引き延ばしてくれているのもなんとなく分かりました。なんという体力仕事でしょう。そして最後に菩薩女医が私の手を握って、頑張ったねえと菩薩の笑顔で私をねぎらってくれたので、本当に後光がさして見えました。
さあ、あとはもう謝りまくろう。蛭子さんにも、もう一人の助産師さんにも。言う事を聞かなくてごめんなさい。取り乱してごめんなさい。ウンコを出してごめんなさい。そして、最後まで私を殴らず、温かくサポートしてくださりありがとうございます。
でも前回のお産でもそうだったけど、産んだあとにも助産師さん達は色々することがたくさんあるから、ほんと忙しそうなんですよね。産卵を終えたシャケのたわごとを聞いてる暇はないのだろう。その後も、もちろん会陰切開の縫合などあり、蛭子さんは何度も通りすがりに力一杯私の腹を押して残っている血を押し出して行った。ちょっとコンビニ行くついでみたいな感じで。これが地味にこわかった。「あー蛭子サンまた来た。また私の腹押しに来た」みたいな。だってこれもかなり痛いんでっせ。謝りながらも手加減しない蛭子さん。プロである。
あーしかし嬉しい。もうあの恐怖と痛みから解放されたのね。長男の時は崩壊した自分の体を思うとその後も地獄に堕ちたような気持ちだったけど、今回はすでに経験済みなので、赤ちゃんにも思いを馳せる余裕があった。ひたすら、赤ちゃんに会えて嬉しかった。Vol4へ続く。