
臨月は遠出をしてはいけない。それは重々承知しておりますが、私には大阪にも家があります。去年の7月以降大阪には行っていなかったので、親が行く時についていく。ついでに、大阪が本拠地の姉のクローゼットから色々服を借りるつもりで。
9ヶ月ぶりの大阪の家は、住んでいた姉がスペイン留学中で、週3日ほど父が仕事の都合で泊まるくらいなので、ホコリが舞い散っていた。掃除機をかける。姉がとっている日経新聞が山積みに。姉のはいていたピンクのスリッパが、姉が脱いだ形のままほりだされている。主の居ない家という感じで、少し寂しい感じがした。
歩いて10分のデパートの地下で、母と一緒に大好きな桜餅を買う。今まで見た桜餅の中で最大の物で、この比較の仕方で合ってるか知らないけど、一応ライターの大きさと比べてみると大変に大きい。ちなみに夫と桜餅を食べる時は、夫は桜の葉っぱが食べられないので私が葉っぱをいただく。この塩味がいいのに。

3月15日は両親の結婚記念日です。この日は33回目の結婚記念日らしかった。私はいつも「へー、ケンカしながらも続いてるもんやな。」と思うだけだけど、私の姉は節目節目にお祝いを贈っているからエラい。お揃いのストラップとか、ディナーをプレゼントしたりとか、そういう所がものすごく姉は姉らしい。私はそれを見て「へー。ねえちゃんはすげえなあ。」といつも思うだけ。
この日に至っては、結婚記念日に天ぷらやさんに一緒に行くという両親に、なんと私がノコノコついて行った。私がごちそうする訳でもなく、完全に便乗して、父にごちそうしてもらうのだ。着る服がないので、母からワンピースまで借りて、本当にノコノコと腹を突き出してついて行く。わーい天ぷらだ天ぷらだー!

この天ぷら屋さんは、ちょっと素敵な感じで、食器がすべてマイセンとロイヤルコペンハーゲンなのであります。陶器好きな両親は、多分こういう所が好きなのですな。二人は同じ職場で出会い、コーヒーカップの趣味が合うという部分でも惹かれ合ったらしいので。ようござんすね。二人の血みどろのケンカも私はたくさん見て来ましたが、今が良ければ全て良し。二人がいるから私も居て、今私のお腹には二人の孫もおるわけですよ。
感慨深さに浸りながら、次々と天ぷらをのみこんでいく。私と夫は33年仲良く連れ添っていけるかしら。昨日愛知にいる夫に電話したら「寂しくない。」と言われ、釈然としない想いを抱きながら、私も夫の居ないところでこうやって美味しい天ぷらをいただいておるわけです。
お父さんお母さん、33回目の結婚記念日おめでとうございます。天ぷらをごちそうさまでした。

実家に帰って来て、本格的にベビー用品を集め始める。あいにく、私の周囲の友人も親戚もみんな赤ちゃんの子育て真っ最中なので、誰かのお下がりを譲り受けるということはできそうにない。一から集めなくては。
私は買い物が上手くない。とにかく迷うのだ。何が一番いいのか考え過ぎて、気持ち悪くなって疲れ果てて、いつも買うのをやめてしまったりする。でも、もうまったなしの状況。そうこうしているうちに産まれてしまう。
市役所や保健センターでもらったあらゆる冊子にのっている赤ちゃん用品の買い物チェックリストを見て、めまいがする。買い物が苦手な私に、これだけのものを揃えろというのか。しかも、「レンタルでもOK」とか「大人用でも代用できます」とか、妙に臨機応変さが必要とされるやないか。「あとは様子を見て、必要なら買い足して。」とか、もう複雑。鼻水吸引機とかいるのかよう?「赤ちゃんによっては、哺乳瓶の乳首の固さは好き嫌いがあるかも」とか、どうしろっていうんだよ。
一人じゃ何も決められないので、母と一緒に「赤ちゃんデパート水谷」に買い物に行く。ただ母も、かなりもう記憶がカスカスなので、案外頼りにならない。「え〜っとな、、、あんたらのときはどんなんやったっけなあ。」というフレーズばかり繰り返している。あとはもう「いや〜!かわいい!コレ見てよ。ちっちゃ〜!」と、赤ちゃんの小さなサイズの服を見ては感嘆の声を上げるばかりだ。全然前に進まなくて、しまいには「しほちゃん、疲れたな。休憩しよう。ソフトクリーム食べよう。」と言って、買い物かごをほっぽりだして私と母はアイスクリーム屋さんに入った。
買い物を始めて5時間後、ぼろぼろになった私と母は、どうにか本日の買い物を終えた。途中で父も参加して、クレジットカードを振りかざしていただき、父の偉大さを見せつけてくれた。
ベビー服、下着、ベビーバス、湯温計、チャイルドシート、ベビー布団、授乳クッション、哺乳瓶、哺乳瓶ブラシ、チャイルドシート、抱っこヒモ、授乳服2枚、、。本来なら、私は一つの物を買うのに一週間ぐらい迷うが、これらを5時間で決めたのだ。もう最後には私は白目をむいていた。それでもまだ全部集まった訳ではない。
人生は決断の連続なのだ。それを思い知った。そしてその後、疲れ果て白目をむいた娘をお寿司に連れて行ってくれた両親の偉大さも、同時に思い知ったのだった。

妊娠週数も34週を過ぎ、いよいよ3月9日に三重に里帰りする。これもプチ引っ越しなので、車に荷物を満載して、ついでに引っ越しで出たゴミまで積んで夫の運転で帰って来た。子どもの首がすわるまでは三重に滞在するつもりなので、住民票も一時三重に移す。東京に引っ越すときにまた住民票を移すので、母と子のしおりなどは、一宮市、津市、江戸川区の3冊ももらうことになる。子どもの予防接種や4ヶ月検診とか、地域をまたぎすぎて混乱しそう。

長期間実家にお世話になるので、デラックスなクリスピークリームドーナツのおみやげを渡す。といっても、自分が食べたかっただけだけど。こういうのって、自分用にはなかなか買わないから楽しい。いつもあの大きな箱を持っている人をうらやましく見ていたので、私は誇らしげに大きな箱を注文した。甘い物が好きな母も大喜びしていた。こうして見ると、欲望の詰まったパンドラの箱のように見える。1つ食べるたびに罪を犯すような華やかさです。
案外一番甘いのが、見た目シンプルなチョコレートのかかっただけのリングドーナツです。最近甘味リミットの早い父は、一番シンプルなオリジナルグレーズドしか食べられなかった。夫も、一番シンプルなやつを迷わず手に取った。私と母は全部の味を食べてみたいので、1つしか無いやつは半分ずつ切って分け合うという意地汚さ。
次の日、まだ10日ばかり一宮に滞在する予定の夫を津駅まで見送る。仕事と引っ越しの準備で、夫は相当大変なはず。車も東京では邪魔なので三重に置いて行く。夫も私も今までとは全然違う生活が待っているのだなあ。しばらく会えない間に、赤ちゃんが産まれるのだ。離れていたら息子だという実感が持てるかなあ。夫にそっくりな子だと、実感が湧くだろうけどなあ。そっくりだといいなあ。

一宮ももう来る事はないだろうから、最後になんか行っておきたい場所や食べたい物はあるかと夫に聞かれ、駅前の、その名も「カレー・ナンハウス」というまっすぐな名前のネパールカレーの店をリクエスト。
ドリンク、サラダ、スープもついて700円でこのボリューム、しかもナンはおかわり自由。ナンがもっちもちでうますぎる。そして、素朴ですぐにテンパるネパール人の若い二人で切り盛り。この日は次から次へとお客さんが来て、接客担当のネパール青年は完全にキャパシティーを超えたとお客全員が判断。高校生から、ファミリーからみんな空気を読んで、ネパール青年を焦らせないように配慮する。日本人って良い人たちだよ、ほんと。
夫は夫で、腹のキャパシティーを超えたようで、最後は苦行のようにナンを詰め込む。これでもう思い残す事はないよ。さよなら、一宮。私が最後に選んだのは、ネパール人のカレーだった、、、。

次の日はひな祭りでした。おひな様はないけど、ちらし寿司は作る。クリスマスも、ツリーはないけどケンタッキーとケーキは食べる。節分も、豆はまかないけど、恵方巻きは食べる。要は、私にとっては食べ物が重要。熱い唐揚げを、冷たい寿司の横に置くなと夫に言われるが、強行。いいじゃんよ、ワンプレートっておしゃれなんでしょ?カフェとかワンプレート流行ってるじゃんよ。
今年はおばあちゃんはおひな様を出したのかしら?4月は父の誕生日があるから、またケーキが食べられるし、5月はちまきに柏餅だな。
9ヶ月も後半に入り、お腹の赤ちゃんが急激に大きくなって来た。赤ちゃんが成長する瞬間がわかるようになってきた。お腹がメリメリと広がって行くのだ。すごい力でお腹を突き破ってくるんじゃないかと思って、たまに冷や汗がでる。私はエイリアン3のリプリーになったような気がする。

夫の転勤先が決定しました。東京です。寝耳に水とはこのこと。私は1年前に夫と結婚して、三重から愛知の一宮に引っ越してきたばかりですが、もう一宮とおさらばです。つい最近荷解きをしたと思ったら、今またダンボールに詰め込んでいます。まあ余計な物が増えなくていいや。
しかし、4月に出産という人生の一大イベントを控え、キャパシティの低い私の脳みそは今大変に混乱しています。とりあえず、赤子は私の故郷三重で出産しますが、子育てに慣れるまで三重にいるつもりです。なので夫とはしばらく三重と東京で離ればなれです。夫はしばらく耳栓無しで眠れるので案外ほっとしているかもしれません。

一宮の駅も図書館も、つい最近リニューアルオープンしたばかりだったのにな〜。短い間だったけど、お世話になりました。私にとっては縁もゆかりもない土地だったから、きっともう二度とここに戻って来る事はないのだろうと思うと、景色を目に焼き付けておこうと思いながらしみじみと散歩する。激安スーパーのカネスエ、つかはらレディースクリニック、こども図書館、市役所、中保健センター、名鉄百貨店、さようなら。
東京はというと、なにせ3年前まで5年間住んでたから友達だっていっぱいいるもんね。へへん。でも3年前にどうして故郷三重に戻って来たかっていうと、東京砂漠に疲れ果てたからでした。当時はアルプスの少女ハイジかっていうくらい、もう三重の田舎の山が恋しくて恋しくておかしくなってたなあ。窓を開けても隣の屋根しか見えないから「山が!山がないいいい!!」って心の中で叫んでた。占い師からは、もう少し三重に帰るのが遅かったら、あなたは色々おかしくなってたでしょうね、とまで言われたりした。いや、十分おかしかったよ。
私は三重でおばあちゃんの漬け物を食べて、母といっぱいしゃべって、地域の中学校の非常勤講師をして元気を取り戻した。窓から見える梅の花とか、田植えの時期に田んぼにいっぱいはられた水とかが私を元気にしてくれた。結婚もして、子どもまでお腹にできた。とても大事な3年間だった。
今ならまた東京に住める。側で支えてくれる人もできたし、守らなくてはいけないものもできたし、東京での生活を楽しみにしている。もう眉毛の手入れもしてないし、産毛もボーボーで服もずっと買ってないけど、田舎くっさい私を東京はまた受け入れてくれますように。
とりあえず、あと数日で三重に帰る。春の三重が大好き。おばあちゃんの漬け物も食べられる〜。