親戚のさやかちゃんから、息子さんのそうちゃんのおさがりの服をめちゃくちゃたくさんいただいた。ロンパースからズボンからよだれかけから冬の帽子、靴下まで、もう一生服には困らないだろう。しかもさやかちゃんは超おしゃれさんなので、全部めさんこかわいい服ばかりです。嬉しくって小躍りしました。これは、やがてうちの姉の子どもにも受け継がれる予定です(まだ結婚もしてないけど)。男女関係なく、大事に着せます。ありがとう!さやかちゃん!!
そうして、続きに行きます。
赤子が産まれた瞬間から、看護師さんたちはもう私の事は放り出し、赤ちゃんの処置に大忙しの模様。私は分娩台で呆然としている。産まれた時間は明け方4時28分、3297グラムの男の子でした。産まれたばかりの赤ちゃんを見て、私が一番驚いたのは、耳が完全に耳の形をしていたことだった。そして、私が産後最も恐れていたのが、「会陰縫合」であった。裂けた会陰を、その名の通りチクチクと縫うのだ。先生が、縫い始めた。「もう騒ぐまい。陣痛とさっきまでの苦しみに比べたら、こんなもの蚊にさされたのと同じくらいだ。」と必死に言い聞かせる。ものの、やはり「せんせー、まだですかー。痛いですー。」と弱音をこぼす。その声を受けて、再び会陰に麻酔を打ってもらう。
「あんた、だいぶん裂けたねえ。中の中まで裂けたねえ。そんで、痔もかなり出たよ。これはしばらく痛いよ。」その台詞に私は身震いをした。「サケタ、、、オクマデサケタ。ヂモデタ。ワレノ排尿排便機能、壊滅シセリ。」誰にとは言わないが、私は密かに心の中で電報を打った。もう私の下半身は、私の預かり知らぬものとなった。
私はどうやら調子に乗って脱糞を二回程したようで、看護師さんが不機嫌そうな顔をして、何やらごしごしと洗っていた。もう完全にうんこを出すイメージで臨んでいたので、当然と言えば当然の結果です。
赤子の爪切り真っ最中。案外この爪で引っ掻かれると、すごく痛い。己の乳を守る為に切るべし。米粒に絵を描く達人を雇いたいもんです。私が赤ちゃんの時、母が私の爪切りをしていて、誤って身まで切ったそうな。
永遠とも思える会陰縫合の後、赤ちゃんと記念撮影をして、再び私は車いすに乗せられ個室部屋に戻った。完全に、自分の体は自分の物ではないように自由が利かなくなっていた。自分のイメージでは、疲労と恐怖で私の髪の毛は白髪になっている予定だったが、鏡に映った私の髪の毛は、平凡な茶髪の主婦のままであった。鉛のように重い体、足も動かない、もう股の部分はぐっちゃぐちゃ、手も動かない。車いすから下ろされてベッドに横たわった私は、密やかに泣いた。自分があまりにもお産がヘタクソだったことと、もう怖い目に合わなくていいんだという安堵と、体が動かなくなった衝撃と、色々な想いがちゃんぽんになって、しんみりと泣いた。
そして、あまりにも疲労していて、お腹が空いていた。でも、普通出産直後の妊婦は、アドレナリンが出まくっていて眠れないそうだ。私も、ものすごい疲れているのに、全く眠れなかった。そしたら朝食が運ばれて来た。目の前に置かれているのに、その朝食がとても遠くにあるように感じた。でも、食べたい。お腹が空いているんだ。
私は、サリバン先生と出会う前のヘレン・ケラーのように、めちゃくちゃな食事をした。手に当たってフォークが床に落ちても拾えないので、そのままにした。ジャムもマーガリンもべったべたに手についた。お盆の上はぐちゃぐちゃだった。次に尿意を感じた。排尿設備は死んでいるはずだが、なんてこった。今あの暗黒部分から何かをひねりだすなんて考えたくもない。点滴やら背中の麻酔のチューブがぶらぶらとぶらさがったまま、2メートル先のトイレに這うようにしてようやく座った。ところが、やっと座ったのに、何も出ないのである。おしっこを、どうやってするか忘れてしまったかのようだった。15分ほど座っていたが、結局尿意を感じたまま私は一滴もしぼりだせなかったのだ。頻尿キングの名を欲しいままにしてきた私には衝撃であった。
しつこいようですが、まだ続くんです。