ShihoSeji Blog

イラストレーター瀬島志保子のブログ
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静物画を描こうよ。

3年生の選択美術の授業です。

2学期は何をしようかしら〜?と考えておりました。選択授業は人数が少ないので自由度が大きいのです。悩んだ挙げ句、自分の好きな「静物デッサン」に決めました。生徒に告げると「どんな生き物を描くの〜?ニワトリとか?」と全員が言います。ああ、生物と勘違いしてるのね。

さて〜。デッサンしようにも肝心の静物がない。自宅をひっくりかえしてなにか描けそうなものを探しました。幸い、マジシャンの父の部屋からは意味不明の道具が山ほど発見されました。指の模型、気持ち悪いコアラのぬいぐるみ、トランプが100ケース、リングにボール。すべて人を驚かせたいがために古今東西より父がかき集めたガラクタです。そこから私は銀色のお皿と、なぜかイミテーションのパンを発見して無断で持ち去りました。あとはおばちゃんちからカボチャをひとつ。イミテーションのバラとリンゴとレモンを少々。母のインテリアからもっていったけど、気付いていないのでだまっていよう。

そうして出来上がった2学期のお題。寄せ集め感が漂うビンボー静物だけど、初めての静物デッサンにはまずはこんなもので許してください。

最初はぎゃーぎゃーうるさい中学生達。わざと変な格好で描こうとして笑いを取ろうとするものアリ、バラの花の位置がおかしいと騒ぐもの、パンが食べたいと騒ぐもの、カボチャが本物だと信じないものアリ。でもだんだん本気になってきて、いつのまにか静かに描く音が。まさに静物デッサン。

のぞいてみると、瓶のふたからきっちり描いています。全体のバランスをはかろうという気持ちは微塵もありません。あとからきっと「全部入らない」と騒ぐのでしょうが、この描き方も私は好きです。

こんな秋をまっていたのです。感心した校長先生がこっちをのぞいているわ。いいところだけ見てくださいね。普段は崩壊している私の授業はくれぐれも見ないでくださいね。

  • 2010年9月28日
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栗を拾う。

昨日はおばあちゃんちの庭で栗拾いをしました。

まだ本格的に落ちてはいないのですが、うかうかしているといつの間にか落ちまくって、あっというまに虫どものアパートになってしまうので、常に目を光らせていなくてはいけません。

私が一年で一番おばあちゃんに貢献できるのが秋です。実りの秋、80の老婆がすべてを収穫するには、小さい畑ながらに腰がひんまがってしまいます。かといって、私も日焼けのこわい年頃なので日の暮れにぼさっと畑に現れては、コソドロのように毎日少しずつサツマイモやイチジクを掘り返したり、もぎとったりしています。

それで昨日はいよいよ栗にまで触手をのばしたのですが、これは簡単そうにみえて一番腰と目にきます。立ったままずっと下を向いてイガから栗を取り去る作業は、一種トランス状態になります。もう脳みそも栗にしか反応しなくなり、下ばかり向いているのでいよいよヨダレまで垂れて来ます。一人でするのはおすすめしません。

それでも、このイガに詰まった栗を見つけた時のアドレナリンのピュアさといったら。収穫の喜びってすごい。

収穫した栗は、渋皮甘煮にしたりそのまま茹でて食べます。この日の夜もおばあちゃんが茹でた栗を食べましたが、皮を剥くのがまた一苦労で、一体どんだけ手間取らせるんだ栗達よ?と悪態をつきながら口にほりこんでやりました。

そういえばこの日はお月見で、庭に出ておばあちゃんと月を見ました。私は乱視で、月が二重に見えるのですぐに飽きて家の中に入ってしまいましたが、おばあちゃんは月が雲に隠れるまでずっと見ていました。どうやら俳句の勉強会にもっていく句を作らなくてはいけなかったようです。

  • 2010年9月23日
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断捨離る。

この3連休は今流行の断捨離をしました。我が家ではなく、大阪の祖母の家で。3月に亡くなった祖母の遺品整理に明け暮れました。主に母が、時々私が。

85年生きていた女性が一人亡くなるという事は、途方もない遺品が出るという事なのだと私と母は思い知りました。(姉と父は片付けが苦手なので、ノータッチです)しかも彼女はとにかく溜め込む性質で、博物館に寄付した方がいいんじゃないかというような、年代物の色鉛筆やら着物やらが手入れをされないまま彼女の部屋に、クローゼットにカビとともにしまいこまれていて、私はその部屋に入っただけでくしゃみが止まらなくなり、常にマスクと手袋が必要という状態でした。

最初は宝探しのようにワクワクしていましたが、わたしの頭の中の分別回路がパンクする程の量で、「ゼンブステテイイデスカ」と脳みそがつぶやいていました。人に譲ろうにも、歩くエレクトリカルパレードと言っていい程派手だったので、誰も着れない。バラとヒョウ柄に覆い尽くされたアンサンブルスーツって誰に譲ればいいか見当もつかない。

輪ゴムも、ビニール袋も、お菓子の空き箱も「いつか使うから」といって彼女は捨てられなかった。おばあさん世代は物が豊富でなかった時代に育ったので、捨てられない人が多いというのをとてもよく聞きます。彼女も間違いなくそのひとりでしょう。

物を所有することってなんだか物悲しい。でも私も全然捨てられない、カレンダーの裏だってメモ用紙にしたい。生きている間は、生きている証として思う存分溜め込んでもいい。死んだらそれは捨てられるんだと、私は知っていよう。家族の物は「こんなものまで溜め込んで!」とちょっと怒りながら偲びながら捨ててあげよう。

3月から徐々に進めて、今ようやく半分くらい。次は冬だな。

  • 2010年9月21日
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トリッパー秋号


小説「濡れた太陽」の扉絵を描かせていただいております、トリッパーの2010年秋号がでました。

昨日辺りからめっきり秋らしくなりましたね。あの地獄のようだった猛暑列島がやっと深呼吸を始めた、という感じがいたします。風がさわやか〜。気がつくと目の前の田んぼの稲が刈り取られて、ハゲグラウンドになっていました。あ〜寂しい。

これからどんどん朝起きるのが辛くなっていくのだろう。ハンドクリームを重ね付けしてもすぐにかさかさになっていくのだろう。あんなに暑さが憎かったのに、もうこわい、今度は寒さが。もう夏の事なんて忘れちまった。

まだまだ始まったばかりだわ!と思っていた「濡れた太陽」の扉絵も、いつのまにか4枚目。毎回緊張しますが、毎回楽しいです。しかし、私は力を入れすぎると何事もうまくいったことがないので、「意識しすぎるな、意識しすぎるな」と唱えながら描いています。結果激しく意識して描いてしまいます。

今回は青年の顔を描きました。老けてるけど。最近手相に凝り始めましたが、自分の指紋がほとんど見えないということが判明しました。多分絵を描く時にこすりまくるからなくなったんだと思います。


指紋を失いながら描いています。

  • 2010年9月15日
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映画イラスト「告白」

「私はできる限り、丁寧な言葉であなたたちと向き合って来たつもりです。友達のような教師になるつもりはありませんでした。」と冷静で美しい言葉で冒頭に話す森口先生が、とても好きでした。友達のような教師が多くのドラマでもてはやされている今の日本で、こんなに背筋の伸びた潔い教師役は珍しいなと、嬉しくなったのです。

というか、なめられまくっている友達教師の自分がとても恥ずかしくなりました。

終始残酷で救いがない内容なのですが、スローモーションでブルーがかっている映像が非常に美しくて様々な箇所で刺激されました。キャストが全員美しすぎて、設定などもリアルでない部分がたくさんあるのですが、映画としておもしろいのでいいと思います。

こんなことってあるか?とは全然思いません。残酷で悲しい事実が多すぎて、どうして人は生きなくてはならないんだろうと多くの人が感じている世の中だと思います。映画でもありましたが、よい出来事よりも残虐な出来事の方が世間で騒がれます。だからこの映画もヒットしたんだものなあ。こうすれば人類はもっとよくなるという答えはどこにものっていませんが、少しでも自分の事を、相手の事を考えるきっかけを、映画という手段で与える強さを感じました。

  • 2010年9月13日
  • 映画イラスト
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