朝は、早く起きて朝の温泉に入って、のんびり朝食でも食べて、余裕で支度をして。そんな訳にはまったくいかなかった。真夜中何度も起きて泣きわめく息子に付き合い、ほとんど寝たのか寝ていないのか分からないまま、夫に起こされた。6時45分に起きようねって、言ってたけど、夫が静かーな声で「もう、起きようか、、、、。」と私に言ったのはすでに7時15分のことであった。昨晩私が寝ていない事を恐らく知っていたので、声を掛けにくかったのだろう。
うつぶせで折れ曲がったまま昏睡している息子を抱えて、ぼろぼろの私達は朝食バイキングに行った。そこでも私達は全く落ち着かず、何を食べたのか全く覚えていない。ほとんどの親戚の面々に会ったけど、私の母とおばあちゃんが見えない。父がいたので、聞いてみると「ママと、ばあちゃんは着物着やなあかんで、朝ご飯抜きで今必死に着付けしとるぞ。」と。うおー、向こうも大変そうだ。ちなみに、母は着物を1人で着ることができます。
荷物を置きに、母達の部屋にいってみると、そこはまさに修羅場であった。母が着物を着る日は、毎回修羅場みたいな光景が繰り広げられている。女達は衣擦れの音をさせて、騒ぎ合っている。「ママー、この荷物どこに置いといたらええ?」と恐る恐る尋ねると「もう、そこらへんに投げといて!」と言っていた。おーこわ。よかった、私はワンピースで。いよいよ集合時間が近づいて、私が慌てふためき騒いでいると、夫がしずかーな声で「しほちゃん、落ち着こう。深呼吸しよう、、、。」と。良かった、夫が落ち着いている人間で。どうにかバスの集合時間に間に合いました。
ホテルから出雲大社まで、バスで40分くらい。再びバスに大集合した親戚の面々。けっこうみんな色々ギリギリだったようで、たえおばちゃんは帯が曲がっていた。ママは変な所にピンがささっている。さやかちゃんちも子どもが寝なかったみたいで、大きな目が眠たそうだった。瀬島家はだいたいいつもギリギリな事が多く、初めて夫のご両親と顔合わせのときも確か遅刻した。
雨なのに、出雲大社は大変に賑わっていた。バスを降りて、通された低い天井の続く日本家屋、赤い絨毯。きらびやかで現代的な結婚式場はたくさんあるけど、古めかしいのもいいもんです。あー、日本人って背が低かったんだなあと、しみじみ思う。
親族控え室に通されて、みんなで昆布茶を飲みながらわいわいする。すると、ついに白無垢姿の姉が現れた!!!おおー!親戚一同から歓声があがる。はずかしそーに、よろよろと姉が中央へ歩いてくる。なんか清の西太后みたい。というのは、姉本人がつぶやいた言葉です。私達姉妹は恥ずかしがりなので、常に自虐的なことを言ってしまうのだ。いやいや、大丈夫、綺麗です!この日の、大主役の姉は、みんなから写真をバシバシ撮られていた。バリ島帰りの姉の手は、白い粉を塗ったにも関わらず、日焼けが隠しきれず黄土色の手になっていた。
トイレだか何かに行っていた父が控え室にやっと来て、姉の姿を見て、嬉しそうだった。「おー、これがナホコかや〜。えらいこちゃな〜。」みたいな事をつぶやいていた。私も嬉しかった。ねえちゃん、きれいやで!!
まだ続きます、、、。