布団からの脱出頻度が高い為に、慌ててベビーベッドをおばあちゃんである母が買ってくれる。しかし、私の敷き布団との高低差が激しい為に、息子が殿上人のように遠く感じる今日この頃。しかし、東京のマンションに置くスペースあるんだろうか。
それはさておき、痛みデパート上顧客プラチナカード会員の私が、また新たな痛みをお買い上げ。乳腺炎になった。乳腺炎とは、乳で作られたミルクが、出られなくなって詰まり、おっぱいがガチガチになってしまう症状のこと。寝られないくらい痛い。友人がこれになったらしいが、陣痛よりその子は痛かったらしい。
乳の出が良く、高脂肪高タンパク料理を食いまくっていた私は、なんとな〜く自分はこれになるんじゃないかと毎日ビクビクしていた。私がお菓子を食べようとすると、姉が「あんた、そんな甘いもん食べたら乳腺炎になるで。」と頻繁に私をおどして、そのおやつを姉は自分の物にしていたけど、度々というか毎日、誘惑に負けて私はムシャムシャと高カロリーおやつを食いまくっていた。
そしたら、ある日の深夜痛みと違和感でふと目覚めると、おっぱいが石に変身していた。もう人体の固さを超えていた。寝る直前に息子にしっかりと授乳をしたつもりだったのでショックが大きかった。慌てて、熟睡している息子を叩き起こして、「ほれ、吸え!吸ってくれ!母ちゃんを助けてくれ!」と叫びながら息子に乳をやろうとするも、息子はすぐに寝息をたてて眠りの世界へ帰って行った。
ガチガチの乳をほりだして、リビングを右往左往しながら明け方産婦人科に電話をした。「開院時間まで待って来てくださ〜い。とりあえずアイスノンで冷やしといてください。」と言われ、一睡もしないまま8時半の開院時間に飛び込んだ。
その日はたまたま女医さんだった。私の乳を見るなり「あ〜、おっぱいよく出るタイプの人ですね。これからも度々なりますよ、多分。自分じゃ痛くて手加減するから、看護婦さんにしぼってもらいましょう。結構痛いですよ。」と、再び辛い宣告を受ける。
ナースステーションに重い足取りで辿り着く。その日は、優しい石野真子似の看護婦さんだった。ラッキー!と思っていたら、奥から一番厳しい婦長登場。「耐えられるか?」と婦長一言。さすが、婦長。言葉に重みがありますなあ、、、と思いながら恐怖に引きつる。婦長の屈強な手が私の乳をひんづかんで、汁をひねくりだした。もう、叫ぶ気力もない私は、多分おもしろい顔をしていたのだと思う。隣で真子が笑いをこらえていた。
痛みを紛らわすために、私はしゃべった。「やっぱり、私が甘いお菓子を食べ過ぎたせいですかねえ?」と聞くと、婦長は「はあ?そんなことあらへんわ。残った乳を後絞りせんだであかんのやろ。」と簡潔に片付けられた。しかし、婦長の屈強な手を持ってしても私の固まった乳汁はしぼりきれず、「あとは、旦那さんか赤ちゃんに吸ってもらいな。」というぶっちゃけた言葉をあびせられ、私は病院を去った。
帰って来て、やっとお腹がすいたらしい息子にガチガチおっぱいを差し出すと、息子は涼しい顔をしてそれを全部吸い上げ、ウソのように痛みと固さが取れた。なんだったんだ、なんだったんだよう?初めてあそこまで固くなったので、慌てて病院に行ったけど、ああいうことは授乳開始一ヶ月過ぎた頃は割とよくあることらしい。
婦長が「カンケーねえよ」と言ったので、私は再び甘い物をむしゃむしゃ食っている。そして、たまにガチガチになっては、慌てて息子を叩き起こしている。