退院して3日で、息子のへその緒が沐浴中にぽろっととれた。最近は産院で取ってくれるんじゃないんですよ。自宅で取れる日を待つんです。そのための消毒セットとか、桐の箱とか産院が用意してくれるんです。うちの両親が「これ、へその緒にそっくりやろ〜!」といって、貝ヒモのおつまみを買って来た。二人はスーパーで盛り上がっていたのだろうか。
続きを書きます。私は恐怖と痛みで痙攣が止まらなくなったのです。痙攣しながら私は「うわー!なんかすごいことになってきたよー!死ぬよー!」と自分では止める事のできない振動に身をまかせていました。これを見たら先生は帝王切開にしてくれるかも、、、。という期待を胸に震え続けた。
母と看護婦さんがびびっていよいよ先生を呼んで来てくれました。この時点でだいたい夜の9時くらいです。先生が下した決断は、このままだと体力がもたないので、今日は陣痛促進剤の点滴は止めて、また明日しましょう。今日はぐっすり寝てください。とのことでした。私はそれを聞いて「冗談じゃないよー!明日もこの苦しみを持ち越すのかー!もう一思いに腹を切ってくれー!」と泡を吹きながら心の中で叫んでいました。そうして、点滴は止められ、静寂が訪れたかに見えました。
大人しくなった私を見て、母は夜の10時に帰って行きました。私はまるで上京した日の夜のような心細さで、ベッドに横たわっていると、、、なぜか再び痛みのビッグウェーブが襲って来たのです。
「ここここれは、、、まさか本物の陣痛!!!」点滴で刺激された息子は、ついに目を覚まし、産まれる為に陣痛を起こし始めたのでした。「ぎゃああああああ!!!いた〜〜〜〜いようううう!」真夜中の産院に私の断末魔の叫び声が響き渡ります。私は未だかつてこれほどの大声を出した事はない。隣人を思いやる気持ちなど、この時の私にはイチミリもなかった。後日、そのときに入院していた患者さんが、22日の晩にすごい叫んでる人がいてめちゃくちゃ怖かった、という話をしているのを小耳にはさみましたが、私ですよ、ごめんあそばせ。
「逃げたい!逃げ出したい!この痛みと恐怖から解放されるなら自分以外の人間になりたい!」そう思いながら叫び続け、もうアカンと思ってナースコールを連打。そしたら、なんかすごい肝っ玉母さんみたいな看護婦さんが登場して、私の股の部分をおもむろに指で開いて覗き込んだ。そのこなれ過ぎた手つきに私は恐怖を感じ、とっさに「やめろー!!!」といってその看護婦さんを思いっきり突き飛ばしたのでした。
看護婦さんは驚いて「何すんの〜!ちょっと見てみん事には分からんやろ〜!」と少し傷ついたようでしたが、もう私は色々なことに恐怖を抱き過ぎて理性が吹っ飛び、オオカミに育てられた少女アマラとカマラレベルに粗野で野蛮になっておりました。肝っ玉看護婦さんは、そんなオオカミ少女と化した私の側について背中をさすりつづけてくれましたが、私が「ぜんぜー呼んでくれ、、、。頼む、、、。頼むー。死ぬー。」とうなるので、もう自宅に帰って(といっても隣の建物)いた先生を呼びに行ってくれました。
眠りから叩き起こされた先生は、再び痙攣の始まった私を見て、「もう、無痛分娩に切り替えやなどうしようもないなあ、この子の場合、、、。」とつぶやいたのです。「むつうぶんべん!!??ですと??!!それ頼むー!!」痙攣しながらもオオカミ少女はその声を聞き逃しませんでした。
続きはvol4で、、。