赤子はまだ誕生していないので、くまちゃんのぬいぐるみがモデルを務めます。
というか、、、世間の赤ちゃんと車をお持ちの親たちは、こんな大変な器具と日々付き合っておるんか。ママ友のひとみちゃんも、ヨーコちゃんも、何ら難しそうな顔一つせずに、涼しい顔して赤子をのせていたのは何だったのか?二人が「回転するやつがええよ。」と言っていたので、その名も「クルット」というエールベベのチャイルドシートを購入。
月曜日にチャイルドシートが届いたものの、見るからに複雑そうなその器具に触れる事を私はおそれておりました。しかし玄関にいつまでもそれを放置しておく事を家族が許す訳もなく、うすら寒い3月20日の春分の日、父と母、そして私の3人掛かりで傷だらけのプリウスへの設置を試みました。
こういうとき、主に活躍してくれるのは我が家の場合圧倒的に母です。いついかなる時も、頼りになるのは結局がんばりやの母です。飽きっぽくて疲れやすくて根性の無い私と父は、いつも途中で眠たーくなったり、ふらふらとどこかへ行ってしまう事を母は知っているので、もう最初から説明書は母が握りしめて我慢強く解説しながら設置に入りました。しかし、今回は私の赤子のチャイルドシートの事なので、あたりまえですが私が一番頑張らなければいけない訳です。そういうことなので私も、大嫌いな取り扱い説明書をにらみつけながら、「自分は真剣である」という事を母にアピールしながら作業に参加しました。
3人の大人が、狭い車内であーでもないこーでもないとひしめきあって、引っ張ってみたりつねってみたり、ボタンを押してみたりして、多分、どうにか設置できました。もう3人の大人は疲れ果てて髪も乱れ、言葉数も少なく、最終的に販売店に行って確認だけしてもらおうという結論に至りました。
チャイルドシートという、この極めて複雑な器具を、世間は受け入れている。私はそのことに静かに驚いていました。ひとむかし前のシートベルトさえ義務ではなかった時代、母はまだちんちくりんの私と姉を助手席につめこみ、急ブレーキの時は手で押さえつけていたとのことでした。小さかった私と姉を喜ばせるために、坂道を大ジャンプしてわざと車を飛び跳ねさせていた母の隣で、私と姉はいつも「ジェットコースターの坂道」といって大喜びしていたのを覚えています。なんと大らかな時代であったことよ。
それが今やがんじがらめの拘束シートに、退院時からしばりつけなければいけないとは、すごい時代になったものです。でもこうなったのには、何人もの子どもの命が失われた結果であって、その悲しみに包まれた大人達が出した結論なのだなあと、何人もの親の愛を感じずにはおれません。無傷でむくむくと太り、いつのまにか三十路になった私と姉は、何も知らずただラッキーだっただけのこと。
「今日も死なないでほしい」と願って母はチャイルドシートに子を縛るのだ。