夕日に向かってとぼとぼと歩くご婦人。母です。マジックの祭典inブラックプールも終盤に近づき、この日は会場で立食パーティの日でした。「目立たなあかん」と言って、津のマジッククラブのおばさま達と母は着物を着て張り切って出かけて行きました。私は立食パーティと聞いて、機動性を重視しました(普段通りということです)。
思惑は当たり、色んな人から記念撮影を頼まれる母達。「ジャパニーズキモノ!!」と叫ばれていた。よかったね。ただ、このヴァイキング立食パーティ、なぜかけっこう毎年食べ物が足りない。ヴァイキングじゃねえべよ、これじゃ配給だべよ。昔横浜で行なわれたときも、食べ物が足りなくて怒号と罵声が飛び交っていたのでした。今回も食べ物が全然足りずに、長蛇の列に並んでいた人が目前でSOLD OUTになるなど、相変わらず怒号と罵声が飛び交っていました。私も30分並んでしょうもねえホットドッグ1つつかまされた日には、人間の尊厳とは?とかぼんやり考えたよ。いや、むしろ貧困と飢餓に苦しむ国々について考えさせられた。いい機会でした。
経験を生かさないマジックの祭典。シルクハットのキテレツな格好をした人とかが、食べ物がもらえなくてわめいてる姿とか、結構切なくなる。人は飢えると凶暴になるんだな。
母も着物で我武者らに食べ物を求めて這いずり回って、このとぼとぼとした後ろ姿に至った訳ですよ。
立食パーティの後は、なぜかサーカスを見せられる。「サーカスを観に行こう!」と思ってサーカスを観るのと、突然サーカスを観せられる場合とは気持ちの持ちようが全然違うんだな。私は酔っぱらった母を連れて不安げにサーカスを観ていた。こんなに不安な気持ちでサーカスを観たのは初めてだった。なぜなら酔っぱらった母が、見知らぬおじさんと大きな声で話すので「シー!」と言うのに必死だったからだ。そうして突然「あっつーい。暑いようシホちゃん。もう帰ろうよー。」と母が言うので、母と一緒にさっさと会場を後にした。サーカスに執着しない自分を大人に感じた。
イギリスはこの時期日が長い。この明るさで夜の9時半くらい。母とぼんやりホテルに帰るときに見た街の景色が、夢の中で見るような現実ではない街のようだった。きっと二度とこの景色を見る事はないのだなあ。ブラックプールにはきっと二度と来ないもの。
この街に居る間に立ち寄ったスーパーで、フランス人の坊主頭にピアスがじゃらじゃらついた女性に話しかけられた。その女性はなぜか私達にこう言っていた。「あなた達は香港人か?この街をどう思う?私はこの街が嫌いよ。何もない。」と告げた。そんなことを言われたら、そうなのかなと思ってしまう同調しやすい日本人ですよ私は。
確かに何もなかったよ、ブラックプール。ブラックプールを好きかと聞かれたら、多分そんなに好きではないと思う。マジックの祭典でもない限り絶対に知り得なかった街だった。
この何もなさが、ある意味やはり夢のようなふわふわとした気持ちを生んだ。蜃気楼のような日々だった。あの街角で出会った人々は今日もブラックプールに住んでいるのかと考えると不思議だ。
さようならブラックプール。明日からは、こんにちはロンドンだよ。