最近読んだ本で、ちょっと世界が違って見えるようになる本だったのが瀬戸内寂聴さんと美輪明宏さんの対談集。すごくおもしろくて、あっというまに読めた。
驚いたのは、二人が三島由紀夫や川端康成や江戸川乱歩という、今は生きていない伝説のような人々と親しく、気持ちを通い合わせていたこと。よく考えたら、二人の年齢を考えると全然おかしくないのだけど、本当にさっきまでしゃべってたよ、三島さんと、というような感じで話すのですごくびっくりした。江戸川乱歩って私うっすら架空の人物だと思ってたし、川端康成は本当はノーベル文学賞をもらいたくなかったとか、それで自殺したとか。
二人も「歴史に残る人たちと知り合えた幸せ」について語っていたけど、三島由紀夫さんのことを本当に「純粋で子どものような真っすぐな人」と言っていて、色々誤解を受けがちな三島由紀夫のことをこうして語ってくれる人がいて、なんか良かったなあと、思った。三島さんはいい友人をもったのだなあ。
霊についても、すごくあけっぴろげに話していて、美輪さんが霊視ができることは有名だけど、美輪さん自身最初は全然信じてなくって、見えるのがいやでいやでしょうがなかったとか。どういうふうに見えるのかといったら、昨日の焼き芋が美味しかったなあとか、色々な事を同時にひとは考えていたりするけど、それと一緒で、たくさんのことを同時に感じたり考えたりするように見えるのだって。
私は生まれ変わりとか、死んだ人の魂とか、そういうの全部信じたい方で。宇宙人とか、キツネの霊とかも全部。こわいんだけども、それがおじいちゃんの霊なら全然怖くないなあと思う。おばあちゃんがよく「おじいちゃんに色々うまくいくようにお祈りしてた。」と言ったり「今日は山の神様の日やから。」とか当たり前のように言っているときは、「またそんな変な事いって。」と思ったりするのだけれど、自分の大好きだった人や家族が亡くなると、どんどん霊や魂というものが愛しくなってくるのだろうと思う。(おばあちゃんが危ういのは、それを頼りにしすぎてる所にある)
「何かが見ていてくれる」と漠然とだけど信じる事は、それを頼りにするということではなくって、「じゃあ、ちゃんと生きなくっちゃな。」と前向きにさせてくれる力があると思う。死んでしまったおじいちゃんでもいいし、お天道様がみてる、ということでもいいし。
見えないものを意識させてくれる本や言葉は、たまに読むと、私は背筋が少し伸びるのだった。