今私の住んでいる一宮市は、画家の三岸節子さんの故郷らしいので、節子さんの記念美術館があります。これは、ここに住んでいる間にいかにゃならんと思い、美術に興味の無い夫も引き連れて行って来ました。だって知らない場所を運転するのがこわくてさ。
ものすごい住宅街に突然現れる立派な建物。練馬にある、いわさきちひろ美術館も住宅街に静かに建ってるけど、いわさきちひろ美術館のほうが、水彩画なだけにもっと優しい雰囲気が漂っていたなあ。三岸節子さんは重厚な油絵を描いていたせいか、建物もけっこうな重厚感があった。
館内に入ると、年配の方々がけっこうたくさんいた。もっと静まり返ってると思っていたから意外だった。どうやらべつの展示も開催されていて、それ関係の人々らしかった。
節子さんの絵は全部で24点あった。意外にも、私よりも夫の方がゆっくり絵を観ているようだった。私は絵を観ているときあれやこれや言うのはなんか恥ずかしいので、できるだけなんにも言わないでいる。夫も何を考えて観てるのか全くわからない。でも私が「この人の絵って、近くで観るより遠くから観る方が断然いいよね。」と言うと、「うん、そうだね。近くで観ると何かわからないね。」と答えた。どうやら意見は同じようだった。24点しかないので、あっと言う間に観終わってしまった。
私は大学生のとき、自分で言うのもなんだけど、それはそれは真面目な学生だったと思う。全員が寝ている授業でもノートを取っていたし、課題が出たらものすごく一生懸命やっていた。若い人間には、やってみないとわからないことがたくさんあって、何をしたらいいかよく分からないけど、今大学生の自分がやるべきことはとりあえずこれなのだ、と思っていた。授業をさぼって一人旅をする人もいっぱいいたし、インドで大麻吸ったよ、などと言う人もいたけど、私には大学の図書館だけですごく広い世界にいると思えたのだ。
毎週のように、つくばから高速バスに乗って東京の美術館にも行ったなあ、と、壁いっぱいに張られた展覧会のポスターを見ると思い出す。混雑している東京の美術館で、白粉の匂いをぷんぷんさせて大きな声でしゃべりながら観ているおばさまの集団や、彼女に絵のうんちくを垂れ流している得意げな男の人に対して「なんだよ、フン。」と思いながら、自分なりにつっぱって観ていた覚えがある。「何かを見つけなくっちゃいけない。」と思いながら焦って生きていた気がする。今思うと、なんて清く正しい学生だったのでしょう。
今はただ、この後食べる昼ご飯を楽しみにしている平和なおばさんだけど、どんな美術館に来ても当時の事を思い出す。
節子さんの綴った言葉に「果たして私は風景画家となっただろうか。私はあくまでも名所絵葉書のような風景にはしたくなかった。自分なりに消化し、私の世界を造ったつもりだ。」というのがある。
節子さんは一生つっぱって生きていたに違いない。芸術家はつっぱりを忘れたらいかんのだ。