GWは死者と語るフェアでした。私が大学1年生の時に亡くなったおじいちゃんの13回忌と、私が生まれる遥か前に亡くなったひいじいちゃんの50回忌(!!)でした。死んで50年経っても振り返ってもらうってすごいことだぜ、、、。私は自分の死後50年なんて想像もできない。
田舎は法事が盛んで盛大。盛んすぎて若者は辟易しているけど、おばあちゃんは自分の最後の大仕事だと思って、かなり前から着々とこの日の為に準備していたそうな。うちの母や伯母さんたちはそのせいで色々もめたりもしたそうな。とにかくおばあちゃんにとっては大地を揺るがす大イベントだったのだ。
私は愛知から都会育ちの夫と参加し、場所を変えて3回もお経を唱える田舎の法事に夫はびっくりしていた。私だってびっくりしたよ、法事の度にびっくりしてるよ。
ジャンクロード=ヴァンダムと木梨憲武に似ているおじいちゃんに、私はそれはもう可愛がってもらって、首の骨が折れる程頭をなでてもらったことをよく覚えています。この絵は私が高校生の時におじいちゃんとおばあちゃんの金婚式を祝って描いた油絵です。大きく描き過ぎておじいちゃんとおばあちゃんがベトちゃんドクちゃんみたいにくっついてしまいました。ヘタクソですがよく似ていると評判です。
私が大学に入学した年の5月に、おじいちゃんは泥酔したままお風呂に入って死んでしまいました。私はその時初めて身近な存在の人を亡くし、人の死が与える衝撃と空洞というものを感じました。死ぬという事はもう会えないということなのだ。今までそのひとが居た定位置のイスにはもうその人は座らないし、声を聞く事もない、箸もちゃわんも持ち主がいなくなる。持ち主がいなくなってもそこにまだ痕跡がある。ブラシにはその人の髪の毛がついていたりする。一緒に住んでいた残された者は、その痕跡とともに生きていかなければいけない。会いたいなあと思いながら。
そしてそれは人類みんなが経験することなのだ。とにかく私はおじいちゃんの死で、人の死を理解した。自分の死がこわいのではない。大切な人の死が何よりもこわいのだと知った。
次の日には私達一家は今度は京都へ行き、3年前に亡くなった大阪のおばあちゃんの納骨をようやく務めました。薄暗いお堂で、若いお坊さんが私達4人と、亡くなったおばあちゃんの為だけにお経を唱えてくれます。
その心地よいリズムの中、父が大きないびきを一瞬かいて、私達は冷や汗を流しました。私達はまだ生きていますから、眠くもなるしお腹もすくのです。しょうがない、しょうがない。