9月の中旬。ついに姉が米を収穫した。初めての稲刈りだった。私も手伝いたいのは山々だったが、あいにく東京と三重では遠すぎた。
でもその日は朝から家族総出で大変だったらしい。まず、機械を動かすガソリンか何かが全く用意できておらず、母がガソリンを買いに走った。メタボの父も走り回ったらしい。そして親戚のおじちゃんや、機械を購入したヤンマーさんも手伝いに来てくれて、母はその手伝いの方たちに振る舞うお昼ご飯や、おやつを買いに再び走った。
姉は機械の上に乗っかって、ブイイインと前後にうごめいていたが、それ以外の事は無頓着で、母は息を切らしていたらしい。84歳のおばあちゃんは、自分にも何かできやしないかとうろうろしていたらしい。母曰く「パパがあんなに動いとんの初めて見たわ。」というくらい、ソファに座ってめったに動かない父でさえ、娘の初の稲刈りに精を出して動き回ったらしい。すべて母から聞いた話なので「らしい」しか言えないのが残念でならない。行きたかったような、その場にいなくてよかったような気持ちで、姉の稲刈りを遠くから祝福した。
姉と電話で「どうやった?」と聞いても、「へへへ。とれた。」とか「う〜ん。わからん。」しか言わないので、饒舌に、且つ余計な話も盛り込みまくる母からしか詳細は聞き出せないのであった。そして、その母からの話では「もう!ねえちゃんは細かい事全く気がつかんであかんわあ!」と嘆きながらも、なんだか嬉しそうでありました。
そして、ついに私のもとへその米が送られて来たのでした。一番上のまだ炊いていない状態の米をよく見てください。砂のように細かいんです。めちゃくちゃ細かいんです。私は「ずいぶん変わった品種をまいたんやな。」と思いましたが、どうやら別に細かくなる予定はさらさらなかったらしいのです。姉曰く「なんだか知らんが細かい米ができた」だけのようでした。
私はその姉の育てたという米を「絶対に期待しないで食おう。」という気持ちで炊飯スイッチをオンにしたのです。でも「ピロリロリ〜ん」という炊きあがりの間抜けな音が響き渡り、おそるおそる炊飯ジャーのふたを開けると、そこにはつやつやと光り輝くかわいい米たちが、ほかほかの湯気を立てていいにおいを充満させておりました。
おお、なんてかわいいんでしょう!身内の育てた新米っちゃあこんなに愛おしいもんでしょうか。振り返れば、3月姉自身はバリへ新婚旅行へ行っている間に、母に高額な農機具の契約をさせ、(お金はもちろん姉が出していますが)周囲からだいぶ遅れての5月の田植え、水が田んぼに引けない事で、84歳のばあちゃんは心配で夜も眠れず、雨の中石を動かしに行ったり、育って来たら育って来たで「いもち病」という稲の病気やないかという話に家族全員頭を垂れ、親戚のおじちゃんに「もう刈り取らな、稲が水に浸かってだめになるぞ!」と脅されたり、それでも家族は「なんや、うちの田んぼの稲が一番元気やないかなあ!」と親ばかならぬ稲ばかぶりを発揮したりして、ここまできたのです。
かわいくないはずがない米なのです。子どもに、田植えを経験させたり野菜を育てさせたりするのは、絶対にいいはずだよ。私なんて自分が育てたわけじゃないのに、こんなにもこの米を大事に食べようと思うもの。自分が育てた野菜や米なら、子どもは本当に大事に美味しく食べるだろうと思う。よって、もう少し大きくなったら絶対に息子にも手伝わせたいと思う。
その気持ちを知ってか知らずか、その日の息子は、そのつやつやのご飯を見て一生懸命指差し「食いたい。」という意思表示を見せ、白い米だけでお腹いっぱい食べたのでした。でも、本当にそれくらい美味しかったのです。米はすごい。パンなら、砂糖や塩やイーストやらバターやらたくさん他に何かをいれないと美味しくならないけど、米はそれを炊くだけで美味しいのだから。
ねえちゃん、パパママ、ばあちゃん、親戚のおっちゃん。おつかれさまでした。そしておいしい米をありがとう。来年はどうなるかわからないけど、少なくとも私はとても期待しています。