姉とのロンドン散歩は続く。そろそろイギリスブログ書くの飽きてきてしまったけど、もう少し記録しておきます。
イギリス発のブランドといえば、マーガレットハウエル(多分)。私も姉も好きなブランドなので、こりゃいっとかな!と閉店間近に駆け込む迷惑な私達。でもそのとき、私も姉もポンドがわずかしかなく、買えるものといったら靴下くらい。ただの見学で終わりました。
服だけでなく、家具も扱っている。生活全てをデザインしている。店内は独特の清らかで静かな空気が漂っていました。よく見たら店内でスタッフが実際に多分何か作ってるようだ。写真向かって右が作業場らしい。左端にわずかに写っているキャベツのような頭の女性は私の姉です。
前日のアラブ料理にちょっと懲りたので、今日はホテル前のスーパーで食べたいものを買い込んで部屋でゆっくりしようという話になった。父と母、姉と私の4人でスーパーへ出かける。姉がバスのチケットを払い戻したいというので、姉を待つ間父はスーパーの前でタバコを吸い、私と母はスーパーで物色していた。
私がスーパーで食べ物に目を輝かせていると、母の姿が見えなくなったので不安になりスーパーの外へ出ると、タバコを吸っていたはずの父が何やら汗まみれになって息が絶え絶えになっており、母は険しい顔をしている。姉は「あ〜あ」といって少し呆れているようだった。
母が「シホちゃんのケータイでドコモへ連絡できる?」と聞いて来た。どうやら父が胸ポケットへしまっていたケータイをひったくられたらしいのだ。父はメタボリックな65歳の体にむちを打ち、全力で犯人を追いかけたそうな。死ななかっただけで、よかった。重々しい空気を背負って、スーパーどころではなくなった我々犯罪被害者ファミリーはとぼとぼと、一度ホテルへ帰り、充電中だったわたしのケータイでドコモへ連絡した。
そうして、保険を申請するのに念のため警察へ行こうとなり、ホテルの目の前のロンドン警察へ皆でとぼとぼと歩いた。ロンドンの警察は、非常にしつこかった(いや、丁寧だった)。父は別室へ連れて行かれ身振り手振りでそのときの様子を事細かに説明した。父が日本人の割にオーバーな関西人であったことが、本日ただいま生かされたのだった。その様子はガラス越しに私達も見ていたが、なんというか、最初は不注意な父に少し腹が立ったりしたが、こうして生きていてくれてそれだけでよかったと、派手なジェスチャーでまくしたてている父を見てしんみりしてきた。犯人に下手に追いついたりして、殺されていたりしたら、私はロンドンが死ぬ程憎い街になっていただろう。父がメタボな年寄りで幸いだったのだ。
思えば、我がファミリーは海外で多くの犯罪被害にあって来たように思う。スペインで母がスーツケースのアクセサリーを盗まれ、祖母がどこかのバスでポシエットを切り裂かれてお金を盗まれ(ばあちゃんはそれ以来パンツにお金を入れるようになった)、私と姉はポルトガルのタクシーでだまされて遠周りをされて高額な料金を請求されたりした。そういうことがあると、やっぱりその旅行の思い出が陰る。そうならないために、気をつけなきゃいかんと思う。
あんまり事情聴取が長引くので、(どうやらケータイ盗難が多発しているらしく、私達が待っている間にも被害者の女性が警察に来た)私と母でスーパーへ先に行って、食料を調達しようという事になった。小心者の私はすっかりロンドンの街が怖くなり、縮みあがりながら買い物をした。
いつもは父と顔を合わせればケンカをしている私だったが、もう若くはない父を労らなければいかんという気持ちが、あの汗だくの息切れ切れの父を見てやっと芽生えた。なので父の好きなオレンジジュースと卵のサンドウィッチを買った。その日はイギリス最終日の夜だったけど、なかなか良い経験ができたねと最後は笑えて良かった。父はさっそくケータイを盗まれた話を武勇伝にしていて、得意げにマジッククラブの面々に話していた。
外国の滞在時間が長ければ長い程、私は日本が恋しくて恋しくてたまらなくなる。湿気が高かろうが、熱帯夜が続こうが私はこの国が好きだ。飛行機の間中、お漬け物のことやうどんの事をぼんやり考えていた。日本に到着して、テレビで日本語が流れていることが嬉しくてたまらない。
母は日本に帰るのが嫌だ〜といって、飛行機でワインを飲んだくれていた。姉は早朝にスペインへ帰って行った。父は疲れ果て飛行機で爆睡していた。
日本が一番!といくら思っていても、きっとまた外国へ旅したくなるのだろうな〜。次はちゃんと夫と一緒に行こう。
最後の写真は、日本ではなかなかお目にかかれないカラフルすぎるケーキ。ちょっと食べてみたかった。